あらすじ
気鋭の歌人たちが編む「現代の万葉集」完成!
本書は2024年4月から9月まで、初谷むい+寺井龍哉+千葉聡の歌人トリオがXのスペースで配信した「スペース短歌」という番組を書籍化。
「スペース短歌」は、毎月1回テーマを決め、短歌作品を募集。3人による作品への感想や雑談などが大人気となり、話題を呼びました。6回の配信で集まった1324首から選りすぐりの113首と3人の評、そして爆笑トークをお届けします。
歌人の枡野浩一氏と服部真里子氏のゲスト回もあります!
寂しさを慰めてくれる声があります。
明日へと踏み出す勇気をくれる歌があります。
仕事場に向かう車の中で、または、夜遅くまで勉強に励む部屋の中で聴くラジオには、あたたかいパワーがあります。
わたしたち三人は、「短歌を紹介するラジオ番組があったらいいな」と思っていました。X(旧Twitter)を覗いてみると、面白い短歌を発表している方がたくさん!
そういう新しい歌人の、新しい歌について語り合いたい。「こんないい歌を見つけたよ」といろいろな人に伝えたい。
それなら、「あったらいいな」と思うだけではなく、思い切って番組を作ってしまおう! 三人で話し合い、Xのスペース(音声配信システム)で新しい短歌を紹介することを思いつきました。それが、この「スペース短歌」なのです。
二〇二四年の四月から九月まで、わたしたちは、月に一度、「スペース短歌」を開きました。それは、まさに九十分間のラジオ番組。数々の音声トラブルに見舞われ、トークが途絶えたりもしました。それでも、みなさんから事前にお寄せいただいたたくさんの短歌の中から、とびっきり面白くて、刺激的で、味わいの豊かな、すばらしい歌をご紹介することができました。
この本は、「スペース短歌」で繰り広げられたトークをまとめたものです。
短歌の喜びを多くの方と分かち合いたいという、わたしたち三人の願いは、かなえられたでしょうか。それは、どうかこの本でお確かめいただきたく思います。(でも、ちょっとだけ本音を言わせてください。みなさんに楽しんでいただきたいとトークを頑張ったわたしたちのほうが、じつは、リスナーのみなさんからたくさんお力をいただいていたようなのです……。)
そして、もし「短歌って、なかなか面白いな」と思っていただけましたら、ぜひ、これから、歌を詠む友だちになってください。
スペース短歌一同、こころよりお待ちしています。
(「はじめに」より)"
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Posted by ブクログ
Twitterのスペース機能を使った短歌ラジオのような企画があったらしい。お題に合わせて短歌を持ち寄りいろいろ感想を言う会の文字起こしまとめみたいな本でした。
三名の歌人の読みがそれぞれ異なることもあれば同じこともあり、自分には思いもよらない考察が飛び交っていて世界が広がる感じがしました。たまにゲストもいます。
個人的によかった短歌・解説
・違う鳥を見ているのかもしれなくてうれしくなった冬の湖畔で 霧島あきら
恋人なのか、友達なのか、家族かもしれないけれど、誰かと一緒にいて、「鳥がいるね」「本当だ。かわいいね」と話している。でも、話しているうちに、もしかしたら違う鳥を見て話していたかもしれない、と気づいたっていう歌。二人がどんなに親しくても、全く同じ気持ちになることはないし、二人がどこか違っていることが嬉しいっていう感覚は、意外とあるなと思っていて。同じものを見ていることはもちろん幸福ではある。でも、違うものを見る嬉しさもある。私たちはそれぞれ違っている人間だ、という嬉しさってあるな、と再確認しました。すごく好きな歌でした。
龍哉 初谷さんのお話、すごくよくわかります。今われわれは同じ短歌を読んでるわけだけど、三人とも、解釈が微妙に違ったりするわけですよね、自分はこう思い込んで読んでいたけど、たとえば千葉さんは全然違う読み方をしてて、初谷さんはまた全然違う読みを言ってきたとなると、正直、ビビるけど、でも、その違いがわかることがちょっと嬉しい。「ああ、そっち側にも世界があるんだ」という、そのことはわかる。
それが、この歌の場合は鳥なんですね。「あそこに鳥がいるね」と、自分は夢中になって話していたら、どっかのタイミングで「え?違う鳥を見てた?」みたいな話だったわけですよね。そのときの、この人には別の世界が見えてるな、世界は実はもっと豊かだな、というのが嬉しいし、もっといろいろな世界を知りたいと思わせてくれるものですよね。
ちばさと そうだよね。親しい間柄の二人なら、思い込みでおしゃべりしていても楽しめる。この二人が手探りで何か見つけようとしてる過程を詠んだのかもしれないし。
さまざまな気づきをいただきました。霧島あきらさん、ありがとうございました。龍哉くん、次の歌をどうぞ。
・温かいまま骨になる祖父の手をひきながら見た北斗七星 ケムニマキコ
「温かいまま骨になる」っていうのは、ひいている手に骨の存在を感じるくらいに痩せているっていう生前のイメージと、おじいさんの死が近くて、死んだあと焼かれて骨になる、その骨に火葬のときの熱がかすかに残っている、みたいな死後のイメージと、両方あると思うんです。どんなに痩せていっても生き続けていることを「温かいまま骨になる」って言っているかなって思って。なんかこのすさまじい感性に「うっ」っと胸打たれて、この歌を選びました。それに、歩きながら見た「北斗七星」の、少し冷たいような感じ。やっぱり星座なんで、星と星がつながってる見えない線、骨みたいな線をイメージさせて、祖父が温かいまま骨になって星座になってしまうということも想像しました。そう考えると、星座っていうのも、肉体はないのに、どこか焼いたあとの骨のように少しわずかな何かの熱を残しているような、そんな気までしてきます。祖父と手をつないでいることも星座みたいですよね、人が星で手をつなぐと星座になる。骨になる前の自分も、実は温かい骨が身体の中でつながってるわけなんで、自分自身の中にも星座がある。そう考えると自分も、生きながらにして死の世界に半分に足を踏み入れてるようにも思えます。やっぱり「温かいまま骨になる」というフレーズに、ものすごく力がありますね。
ちばさと 深い解釈を、どうもありがとうございます。この二人は、「生きる」と「死ぬ」のちょうど境目にいるような気がします。