あらすじ
ユーラシアの遊牧民が、世界史のなかで果たしてきた役割の大きさについては、近年、広く知られている。黒海沿岸にまで黄金文化を展開したスキタイや、歴代の中華王朝を脅かした匈奴や鮮卑、突厥などの存在、さらに13世紀にモンゴルが築いたユーラシアの東西にまたがる大帝国は世界史の転換点になったといわれる。
しかし、こうして語られる壮大な歴史像に、本書の著者は心を躍らせる一方で、不満も感じてきたという。そのなかに「遊牧民の姿は見えなかった」というのだ。
ユーラシア大陸を人体に見立てれば、モンゴル高原がその心臓部にあたるという。そこに暮らす遊牧民たちの動静が生み出す人と物の流れが、血流のように各地に行きわたり、人種、民族、宗教の垣根を越えて新しい細胞を目覚めさせてきたのだ。本書は、30年以上モンゴル各地の遺跡を発掘してきた著者が、その成果を集成した「遊牧王朝全史」である。
近年の考古学は理系研究者との協業により、新たな知見を次々もたらしている。例えば、出土人骨の最新のゲノム解析では、多数の東ユーラシア人を少数の西ユーラシア系エリートが統治していた匈奴という遊牧王朝の実態がわかってきている。また、歯石からは摂取していた乳の種類もわかるという。さらに、権力の源泉となる鉄はどこから来たのか、モンゴル帝国が営んだカラコルム首都圏の実態は――。文献史料には表れてこない、遊牧と騎乗の起源の探究に始まる「馬と遊牧のユーラシア史」を知る必読の書。
目次
はじめに
第一章 始動する遊牧民族――青銅器・初期鉄器時代
1 遊牧民の登場
2 家畜馬の到来
3 エリート層の形成
4 遊牧王朝の萌芽
第二章 台頭する遊牧王権――匈奴、鮮卑、柔然
1 ゴビ砂漠の攻防
2 シン・匈奴像
3 単于の素顔
4 みずから鮮卑と号す
5 カガンの登場
第三章 開化する遊牧文明――突厥、ウイグル
1 トルコ民族の勃興
2 大国の鼻綱
3 突厥の再興
4 ウイグルの興亡
第四章 興隆する遊牧世界――契丹、阻卜、モンゴル
1 契丹と阻卜
2 モンゴル部族の登場
3 最初の首都
第五章 変容する遊牧社会――イェケ・モンゴル・ウルス
1 国際都市の繁栄
2 大造営の時代
3 亡国の影
おわりに
参考文献
索引
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Posted by ブクログ
モンゴル高原に芽吹いた人々は、やがて遊牧を行い、
歴史の変遷の中で様々な王朝が生まれては消えていった。
最新の考古学と理系研究の協業により、
遊牧王朝の興亡を解き明かしてゆく。
・現在のモンゴル国とモンゴル高原
・ユーラシアの王朝の興亡
・はじめに
第一章 始動する遊牧民族 青銅器・初期鉄器時代
第二章 台頭する遊牧王権 匈奴、鮮卑、柔然
第三章 開化する遊牧文明 突厥、ウイグル
第四章 興隆する遊牧世界 契丹、阻卜、モンゴル
第五章 変容する遊牧社会 イェケ・モンゴル・ウルス
・おわりに
参考文献、索引有り。
何故モンゴル高原に遊牧民は生まれたのか。
牧畜の起源と伝播。係留飼、放牧、移牧、遊牧の流れ。
文化の流れと共にアルタイ山脈を越える。
同時に、家畜化された馬も伝来する。馬は馬車から騎乗へ。
石器から青銅器へ。そして軍事エリートが登場する。
文化の変遷と副葬品の変化、鉄器製作。鉄工房と馬具の進化。
西ユーラシア人と東ユーラシア人との関係。
交易ルートと草原の道。中小有力者の勢力争いと混乱からの
集団・統合が成され、国が形成されてゆく。
モンゴル高原を統一し、秦・漢と対峙した、
最初の遊牧王朝・匈奴は、中央集権的な統治機構を有した。
部族連合・鮮卑の足跡、カガンが君臨する柔然の台頭。
柔然を大破した突厥第一カガン朝は隋・唐と対峙。
唐により滅亡するが、突厥第二カガン朝が成立。
だが、内部抗争で衰退する。
九つの鉄勒諸部族が連合し支配層を形成、
ウイグルカガン朝が登場。様々な民族が集う都市が出現する。
しかし気象変動による家畜の大量死が起因となる反乱と
キルギスの侵攻で滅亡する。
その後、北宋を巻き込む契丹VS阻卜の抗争を経て、
モンゴル部族の集団をまとめ上げた、テムジンの登場。
モンゴル高原を統一し、イェケ・モンゴル・ウルス、
モンゴル帝国の初代君主チンギス・カンと成る。
周辺に侵攻し、帝国の版図を拡大していった。
チンギスと息子の二代君主オゴテイの違いとは?
オゴテイは金を滅ぼし、行政機構の整備を手掛ける。
国際都市の新都カラコルムには仏教、イスラム教、
キリスト教などの宗教施設が存在していた。
王位継承を巡る内戦の勃発。勝者クビライの大元ウルスの
中心が大都(北京)に成ったことからの北モンゴリアの
重要度が低下。更に反乱と戦火、穀物不足、そして
明により大元ウルスは滅亡へ。
再度イェケ・モンゴル・ウルスの首都はカラコルムに。
だが結局、イェケ・モンゴル・ウルスは幕を閉じることに。
続モンゴルによるモンゴル高原の支配は、
チンギス・カンの子孫とオイラト部族へ。その後の混乱。
清の登場。そして近代・現代へ。四大ウルスのその後も。
モンゴル高原を中心にした遊牧王朝の興亡は、
モンゴル系、トルコ系など様々な民族集団の群雄割拠と
中国の王朝などの大国との関係、王位継承を巡る内戦が
左右していました。更に気象変動が多大の影響を与えて
いたことも、ゲノム解析などの最新の科学での調査で
明らかになっていました。遺跡調査が詳細です。
また、伝統的な遊牧生活に則り、チンギス・カンなどが
宮廷人と家畜群が列になりゲルも運んで、宿営地を季節毎に
巡る移動を行っていたことも、興味深いものでした。
Posted by ブクログ
タイトルを見たときは、近年増えている遊牧民、遊牧王朝に関する歴史書と思って読むことにしたのだが、いい意味で当初予想していたものとはずいぶん違った。確かに、匈奴、鮮卑、柔然、突厥、ウイグル、契丹、モンゴルといった遊牧王朝については、学校の歴史授業(世界史の中でも中国の歴史の関連で)でも習ったが、それらのほとんどは文献史料により分かる範囲のものだった。
しかし、それでは遊牧民の歴史や本当の姿、遊牧文化やその担い手の暮らしぶりなどは分からないのではないかと著者は言う。例えば牧畜の始まりはいつ頃なのか、遊牧を導入したプロセスはどのようなものだったのか、鉄や馬はいつ頃から使われるようになったのか、また遊牧王朝を立てた人々は人種的に見てどのような集団だったのか、といったようなこと。
そういったことについて、従来からの考古学に加え、最近では理系研究との協業、ゲノム解析、人骨に残ったコラーゲンの分析、家畜骨に残った微量元素同位体分析などで、かなりのことが分かるようになってきたと言う。そして乾燥地なりの利点として、木材や骨などもかなり良好な状態で検出できるうようだ。そしてそうした研究を成り立たせるためにも、著者は徹底したフィールドワークを行ってきたらしい。それらの成果が本書の叙述に十分活かされていて、例えばゲノム解析によるエリート集団の出自、鉄の精製方法、首都や季節駐営地の所在や宮殿の様相など、今まで知らなかった最新の知見を得ることができる。
遊牧生活にとって1℃、2℃の気温の低下が牧草の生育を妨げ家畜の生死に関わる問題であり、それが農耕地帯への侵攻を招く大きな要因であったことが良く理解できた。またせっかく見つかった墓も多くは盗掘され、おそらくはあったであろう埋葬品もほとんど盗まれてしまっているようだ。ピラミッドでもかなり盗掘されているそうだが、日本の古墳はどうなのだろう、そんなことをふと思った。