あらすじ
〈ベストセラー『虐殺器官』の著者による“最後”のオリジナル作品〉これは、“人類”の最終局面に立ち会ったふたりの女性の物語――急逝した著者がユートピアの臨界点を活写した日本SF大賞受賞作。※本文中にHTMLタグのような表記がありますが、これは本書の仕様です。
...続きを読む感情タグBEST3
このページにはネタバレを含むレビューが表示されています
Posted by ブクログ
私はラストの展開について、人間の意思を取り除くことによって生命主義システムの存続のためにを人類が行動するようになった世界、人間が何をすべきかというのはシステムが自ずと示してくれるため、人間が迷わなくなった、悩まなくなった世界になったという解釈をしています。
この本の中では大部分を実存主義的なものの見方で人間の自我というものを定義している気がしています。作中にもあった「このからだも、このおっぱいも、このおしりも、この子宮も、わたしのもの」というところにも現れていた気がします。
一方で、構造主義的な見方によると、人間の自我というのは、その人の中にあるのではなく、その人が発する言葉の中、人間関係の中にあるというような考え方です。(だとわたしは解釈してますが、違ってたらすみません。)
そして、構造主義的な見方でこの本に描かれたラストの世界観をみると、わたしはシステム= 世界であり、システム=世界はわたしだというように思えるようになったという見方ができます。この考え方自体は仏教の中には近い思想のものがありますし、個人的には好きな考え方です。
しかし、このシステムの一番の問題点も浮かび上がってきました。
それは失われてしまった意思の中に、現実を解釈するという機能も入っていて、それさえも失われてしまっている、つまり「システム・世界=わたし」という解釈さえも思えなくなってしまい、ただの部品になってしまっている可能性が高いという点です。(そういう記述もあったし。)
「私は世界で、世界は私である」と解釈できる力が残されていれば、人はこのシステムに従いながらでも、より良いものにしていけると思うのです。なぜならそれは自分自身なんですから。そして、ここに自我が残ると思います。
しかし、もしその力が完全に無くなっていれば、ただの物体になってしまったということですので、現状のシステムを維持する方向にしか動けないでしょう。これは完全に自我が消滅した状態だと思います。
停滞は衰退です。きっとこのシステムは将来的に何らかしらの変化に耐えられず消滅する気がします。例えば、敵が現れてこのシステム内の人間を殺戮しようとしてきたら。Watchmeをつけていない人類はこの人たちを殺さずに生かしておこうとするでしょうか。
Posted by ブクログ
1.最適化
合理性を求めていった結果、規則や、空気に縛られて、最終的に人類の意識はなくなってしまう。そのきっかけが医療の高度化によって引き起こされるのは面白かった。「脳もまた肉体の一部である以上、それを制御してはならない根拠など、どこにあるだろうか。」脳を制御し始めた場合、自分の意志はどこに存在するのだろうか。正しい報酬設定のために生きることに意味はあるのだろうか。
2.美
トァンの最後の意志としてミァハを撃った。そして意識は消滅した。その表現がとても綺麗に感じた。文中のタグ表現で無機質に見えるような場面も多かったが、後半になるにつれて、そして一番最後の場面は「感情のテクスチャを生起」させられた。
3.虐殺器官
『虐殺器官』と比較すると、どちらも非常に面白かったが、個人的には『ハーモニー』のほうが強い現実味を感じた。『虐殺器官』が「悪意」や「暴力」を言語として操作する物語だとすれば、『ハーモニー』は「善意」や「健康」を突き詰めた先の物語だ。悪意のない健康への最適化の結果として、人類の意識が消滅していくという展開は、突飛に見えて、むしろ現代社会の延長線上にあるように思える。
Posted by ブクログ
伊藤計劃の長編の素晴らしいところは、「人間を人間たらしめるのはなにか」という本質を突きながら、常に“社会的生物としての人間”という集団にフォーカスしている点だと思っています。
長編第一作『虐殺器官』では、「言葉」が虐殺のための臓器として描かれていました。デマ、欺瞞、対立──それらは言葉によってもたらされ、人間は集団の中でいかに安易に誘導されうるか、その危うさが描かれていたように感じます。
今作『ハーモニー』では、大災厄を経た後の社会が、WatchMe に代表される総監視社会・究極の合理社会として描かれ、その中に生きることについての思考実験のような要素を強く感じました。WatchMe による健康の完全な管理は、人間から「死のおそれ」をほぼ完全に取り除いてしまう。そしてそれはやがて、体だけでなく精神までもコントロールするようになり、人間は決められたタイミングで怒り、決められたタイミングで落ち着く、管理された行動しかとれなくなっていく。
人類の進化において「ウイルスや細菌が絶滅すると人類も絶滅する」と言われるように、害悪と免疫は表裏一体です。同じように、社会もまた、人間の苦悩や葛藤をもたらす社会的な「害」と、それを乗り越えていく精神の「免疫」との関係によって、人間が人間たらしく生きているのだと、この作品を読んで強く感じました。
ここでひとつ興味が湧き、自分なりに思考実験してみたくなります。
完全に苦悩という感情を失った人間、葛藤を完全に失った人間は、果たして「意識」すらも失うのだろうか、という問いです。
ラストで、ミァハはハーモニープログラムを発動させ、トァンはミァハの命を奪います。これはトァンがミァハの作り出した「完全に調和のとれた存在だけがいる世界」を受け入れながら、ミァハには「不完全な人間としての意識と個体を持ったままその生を終わらせる」というある種逆説的な行動でした。その後、トァンは意識を消失し、人類は「意識を持たない、管理された個体」として淡々と生きるようになって物語は終わります。
苦悩や葛藤を失うということは、結果として喜怒哀楽も失うことにつながる。
それは、人間としての「感性」を失うことと同義であり、感性を失うということは、「感じる」という感覚そのものがなくなることでもある。感じることがなくなれば、考えることがなくなる。考えない人間には、もはや“記憶する”必要もなくなる。
そうしたプロセスの先にある「究極の退化」を、この物語はあえて「進化」として描いている。そのねじれた構図に、とても強い興味深さを感じました。
Posted by ブクログ
文体が綺麗で、残酷。
「調和」と「意識」という哲学的なテーマで、こんなにも惹かれるとは思わなかった。「意識の消失は死なのか」という命題に、真っ向から勝負している。
病気が根絶され、「福祉」という公共的な優しさで満たされた息苦しい社会。
苦痛や自殺を悪と見なし、「セラピー」という論理的な優しさで抑えつける社会。
まるで予言書のようで恐ろしかった。
結末がハッピーエンドかバッドエンドか、どちらとも解釈できるのが魅力的だった。
Posted by ブクログ
体の中に入れられた「WatchMe」のおかげで病気がなくなった世界。
危険な事も先回りして勝手に回避され
個人情報も常に公開されている社会の中で、人々はお互い慈しみ支え合い暮らす。そんな少し未来の話。
3人の女子高生、トァンとミァハ、キアンの関係とか、ミァハの存在感に掴まれます。
トァンの退廃的でちょっと投げやりな感じ、そしてミァハに傾倒している感じも…ビジュアル的にも「真紅のコート」だし!
こんなふうにキャッキャと読んでも、雰囲気やストーリーに浸れて、うすら寒さも感じて、ホントに面白いのですが
何やらわかる人にはわかるものすごい仕掛けがあるらしいですね!
〈えー?〉
どなたかの解説を読んで
〈鳥肌〜〜〉
となりました。
〈あまりわかってはいない〉
伊藤計劃が病床でこれを書き上げたと思うと、さらに複雑な気持ちになります。
Posted by ブクログ
重いSF(想像の域を超えすぎているもの?スターウォーズみたいな、もうそれはその人にしか思いつくのも無理や!みたいなの)は割と苦手で、SFという先入観で読み入ったので自分に合う作品かかなり不安だったけどとても面白く読めたので嬉しかった。
ただ、本の前半35%ぐらいは割と世界観の説明づくしで物語としては詰まらなかったかな。後半はその世界の解像度がグンと上がってテンポよく読めたのでおすすめ。
内容は人類がほぼすべての病気を克服したらどうなっていくだろうという思考実験を物語にしました!みたいな感じ。
伊藤計劃は初めて読んだので、とにかく理屈と予測が丁寧でそれでかつ読みやすいように没頭しやすいように物語として登場人物でまとまりとフローを作り上げている作品だなと思った。
2010年の作品とは思えないぐらい、当時から社会の片鱗というか流れが変わっていないのか伊藤計劃の予測が卓越していたのか。両方だろうな。読んでいる最中から終わりまで現代のSNSとか社会の在り方を考えられる作品だったかなと思う。
Posted by ブクログ
面白かった。文中にダグを入れるギミックはかなり気に入った。今まで見たどんなギミックよりも好き。後半加速度的に話のスケールが大きくなるのでやや冷めるが、上に書いたギミックの件もあって読書体験としてはかなり良い。伊藤計劃の書く文章が好きだということにこの2作目で確信を持った。個人的には殺伐としていた虐殺器官の方が好き
Posted by ブクログ
擬似プログラム言語のような独特の文体に慣れるまで、読み進めるのがなかなか大変でした。しかし、その「読みにくさ」こそが、人間がシステムの一部として管理・記述される不気味さを象徴しているようで、読み終えた今はそれも演出の一部だったと感じます。
痛みや苦しみがなくなり、ただ穏やかに生存し続けるだけの世界。それをユートピアと呼ぶのか、それとも意識の死と呼ぶのか。私は、たとえ苦しむことがあっても、自分自身の意志を持ち続けたい。人間が人間であるための「意識」というバグが消えていくラストには、言葉にできない恐怖を感じました。
Posted by ブクログ
日本SF界において、伊藤計劃前・伊藤計劃後と言われるほど伝説的な作家とは聞いていた。「屍者の帝国」は読んで個人的にイマイチでそれから離れていたのだけれど、この「ハーモニー」には「なるほどぉ…」と唸るほどの魅力がある。
「健康」を盾にした息苦しいまでの管理社会という視点において、「一九八四年」や「素晴らしき新世界」に近い世界構造。作者へインタビューの内容を見るまでもなく「二分間憎悪」も出てくる。
その中で、合理的な社会で人間が苦しむのは人間を人間たらしめる意識のせい、そして、意識は神の与えた神秘的な能力ではなく、動物としての生命維持器官であり、進化の過程で切り離してもよいものだとのストーリー。残酷ながら新鮮な視点が論理的で美しい。
だけど、この話の中心人物である御冷ミァハについては、冒頭ではそんな管理社会に対するパブリック・エネミーとしての立場を明確にしているのに、最終的に人間の幸福追求とはいえ、社会に迎合するよう人間を作り直してしまう立場に移行するのがちょっと謎というか、それでいいんか? みたいな感じ。体が社会でなく私のものだと主張するのだ、いう気概に賛同していただけに少し拍子抜け。
あと、元々意識のない種族の末裔だったはいいとして、性暴力を受けて意識を獲得した、という展開も少し強引に思える(ない状態から何をどうやって獲得したのか? 性暴力に耐えるなら意識がないほうが良くないか?)。
あと思春期までの子供や、watchmeを入れてない国もあるわけで、人類全てがハーモニったわけでもないのかなぁとか。
時折挟まるHTML構文での演出はとても画期的。まるで自分がプログラムを読み解く/書き込まれる機械になったような冷たい感覚と、そこに乗っかる「anger」「laugh」等のエモーショナルなタグと喚起される感情、そして文章自体の意味が、相反した、なおかつ複合した感覚を読み手に伝える。まるで作中に出てくるカプレーゼのような、食べ物同士の組み合わせで複雑な味を表現する料理のよう。
これは発明! 次世代の小説のスタンダードになってほしいかも…と思うけど、html構文の知識とか前提になるし、あと最後にネタばらし的に文体の理由が説明されるから難しいかな。でもSF感が突き抜けててとてもよい…
【追記】
読み返して、冒頭に「この話は敗残者、つまり「わたし(意識)」の物語である」と書かれていることに気付いたのだけれど、これは、「ハーモニー」が、進化の過程で振り落とされた意識を主人公とした物語ということが提示されてたのかも。
そうすると、このレビューの二段落目で書いた疑問が払拭されて、物語として一貫性が見えてきた。
つまり、意識がミァハを操り管理社会の中で生存しようとしたが、元々意識が不要な種族のミァハは、意識という時代遅れの器官を捨てた人間の進化を選んだいうこと。だから「わたし」は敗北者。
伊藤計劃は「屍者の帝国」でも言葉が生き物のように人間に寄生するという視点を提示していたし、実際はもうわからないけれど、もしかしたらそういう話だったのかも。だとすると矛盾点は消え、トァンでなく「わたし」の物語だったという記述トリックもあり、素晴らしく面白い!