感情タグBEST3
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Posted by ブクログ
何度読んでも面白い!優しさに殺される世界の少女たちの話。
世界を巻き込む規模の話で、最終的に世界は大きく変わってしまうけど物語の形としてはひたすら主人公の個人的な話で、セカイ系だな〜としみじみ
トァンが良いキャラしてる。好き。
なんのために考えて生きてるんだろうってたまに思考するけど、そういうものをロジカルに突き詰めたSFでとても引き込まれる。
最後は世界が幸福で満ち溢れる「ハッピーエンド」だけど、意志をもつ私たちからしたら素直にそう受け取れないのも良い。
Posted by ブクログ
人が病気にならない世界。
身体は社会皆の共有物で大切にしなければいけない、ボランティアにも倫理活動にも出ないと可視化された評価が上がらず信用を得られない世界。1984みたい、と思った。
高度過ぎるシステムが人の意思を自在に制御でき、好きに自殺させられるようになり、社会的大混乱を起こす。これを避解決するには、合理的判断を最大化し結果無用の長物となった意識を排除するしかない。
意識を残したい主人公が勝利?するかと思ったが、結果意識は無くなった。敵?のやり方はともかく、目的には納得する形。まぁ、、、そっか、なるほどって感じ。
リアリティーもあって、展開も早くとても面白い!
満足です。
Posted by ブクログ
例えば私が考えようとしている公共性、公共圏といったものがすべて満たされるようになった社会を推し進めて行った先がこの世界だったら。私も彼女たちと同様に死を望む気がする。
「わたし」というものが大切にされない社会。あくまで「わたし」が大事なのは公共的リソースだからという意識。
人権は守られなければいけないが、「わたし」に国家が(いや政府ではなく生府が)介入することのえぐさを感じた。
突拍子もない設定のSFというより、今ある社会を基盤に
発展させた、あるかもしれない世界観、というのが心地よい。
なぜ、「あなた」が大切にされなければいけないのか、迷っている人におすすめ。
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⚠️ネタバレ含む⚠️
文中の「わたし」は意思を持たない者へ向けたコード上の「わたし」で、一体なんだったんだろう。読者はトァンの目、脳が文字化(コード化)された羅列を読んでいたようだ。奇妙な感覚。
また、最後老人らによってコードを入力され、この世界には意思が消滅した人間ばかりのような終わり方であるが、WatchMeをインストールしていない子どもは、あるいは紛争地域の人々はどこへ?かれらは「意思」を持つ「最後の人間」になったはずだ。終章を読む限り、トァンらの世界は随分と昔の話で、時代がくだった世界の読者に宛てられたコードを読んでいたことが分かる。でも、その世界の「われわれ」にどうやら意思を、感情を持つ人々は存在しないらしい。
すべてがシステム化され、相互扶助が高められた社会において、「意志を持つ人間」
はもはや人間ではないのか。
Posted by ブクログ
2010年に書かれたとは思えない本。これからこの本に書かれたようなことが起こっても決しておかしくないと思った。この本を読んでから電子決済が怖くなってしまった笑
Posted by ブクログ
SFは設定が9割だと思ってるけど、前作『虐殺器官』同様、こちらも斬新な設定でとても良い。WatchMeというプログラムを脳内に組み込み、あらゆる病気は排除された超健康福祉社会が、ユートピアの姿をしたディストピアとして描かれてる。
最初からなんの説明もなく、文章全体がhtmlっぽい文法で書かれてて、なんだこれ、と思ってたら最後に物語の中でetml=emotion in text markup languageが登場するという…。
読み手である自分自身もタグから感情を想起していたということか。
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大災禍の後、ユートピアと化した社会。全ての成人は体内にWatchMeが埋め込まれ、健康管理されている。見せかけの優しさに嫌気がさしたカリスマ・ミァハは、わたし(トァン)とキアンと共に成人前に自殺を図る。ミァハは死亡、トァンとキアンは自殺に失敗する。
数年後、戦地から日本に戻されたトァンの目の前でキアンが自殺。世界中で同時に6,000人が自殺を図るという怪事件が起こる。キアンは死ぬ直前、脳に組み込まれた電話でミァハと会話をしていたことが判明。(ミァハは生きていて、健康管理社会に反対するグループにいた)
ミァハがテレビに音声を送りつけ、全ての人類に対して誰か一人を殺さないとWatchMeを通じて自殺させると宣言する。
トァンはミァハに会いに行く。ミァハはもともと産まれながらにして意識を持たない民族だった。人類は意識を放棄したほうがよいと考えるに至った。人類が二度と大災禍を起こさぬよう、WatchMeには人間から意識を奪うコマンドが組み込まれていた。
ミァハの宣言後、やがて世界は混乱し、暴動に溢れ、コマンドのスイッチは押された。トァンはミァハを銃で撃ち、ミァハは理想の世界に戻ることはなかった。
Posted by ブクログ
虐殺器官とはまた違った趣。より哲学に振り切った内容になっていた。管理社会だったり、人間の意識の必要性など、十年以上前の作品とは思えない斬新さ。SF苦手って人でも読めると思う。
Posted by ブクログ
人間に意識や意志は必要か、そうでないか。最後まで読んでも自分の中で答えが出せなかった。
争いもなく自死もない世界は望ましいのだけれど、「わたし」というものが無くなったら、それは生きている意味があるのだろうかと悩んでしまう。時には自らを傷つけもするこの自我を、どれだけ厄介であっても、持ってしまった以上は捨て去る勇気は出ないだろうなと思う。
読んでいる最中、病気や体調不良をなくしたいという気持ちと、空気を読むなんて真っ平御免、何にも指示されたくないという気持ちが拮抗してつらかった。
ユートピアでありながらディストピア。少女が夢見た世界を、少女自身は見られなかったのが切なくて、でもその決断をしたトァンのことも嫌いになれなかった。私の印象では、終盤でトァンがどんどん魅力的になっていった。真実を知ることでシンプルになっていったのかもしれない。大人になったとも言える。ミァハを神格化する向きが無くなったからかもしれない。
最終的に色んな要素が削ぎ落とされ、ミァハとトァンの個人的な話になっていくところが良かった。世界を元少女たちが動かしているという、すべてはあの、本気かどうかも分からないたわいもない会話から生まれたのだと思うと感慨深かった。
Posted by ブクログ
超厚生社会、生命主義など新たなステージの人間社会をSFチック、ミステリアスに描かれている。
主人公トァン、カリスマなミァハ、突然自死するキアン、この3人の少女たちが感じる生きづらい空気、これは現代にもある空気と思った。
平和世界のストレス、とても面白い。
また、プログラムのように書かれた文章が、意識のない世界を表現しているのかとも思った。
読んでいて、登場人物たちは相当頭が良いし、それを書く著者の頭の良さ(?)を感じた。
伊藤計劃の違う著書も読んでみたい。
Posted by ブクログ
「作家刑事毒島」に作者の名前が出て来たので。
「虐殺器官」の方が先に書かれた本のようだが、
こちらの方が先に入手できたので。
正直、難しいところはよくわからなかったが、
現代の平和な、だが、閉塞的な空気感をよく表している世界だった。
もちろん、子供が怪我をしないようにジャングルジムがぐにゃぐにゃと曲がる、
人体にはメディカルポートが埋まっている、
未来のお話なのだが。
しかし、そこに違和感はない。
食べものからの栄養を拒否する薬を作り飲んで自殺した友だちと、
大人になって久しぶりに会って食事をしている最中に、
ステーキナイフで自殺をした友だちと、
かつて三人で死のうとした主人公。
人びとの健康と命が管理され、痛みも不快感もない平穏な世界に、
突如として、自分が殺されないために人を殺せとメッセージが出回る。
「自由意志」を示せと。
はるかに進んだ医療を持つ未来のSFでありながら、
行方知れずの父親を追うミステリーでありながら、
印象に残るのは、共感というか、好感というか。
この空気感を表現する力は、自分には無い。
Posted by ブクログ
冒頭からHTMLをもじったETMLに面食らう。
感情を修飾する言語とは一体なんだろう?と分からないまま読み進めて、終盤でようやく理解できた。
『わたし』であることを捨てられたら、感情や記憶に苦しむこともないし幸せかもしれないけど、それがユートピアだとは認めづらいなとも思った。だからトァンの選択には賛同できたが、キアンとヌァザに対する感傷がそれほど感じられなかったので、復讐する動機は弱い気がする。
ミァハの境遇は、ひどく耐えがたかった。身体の尊厳を守るために意識を生み出さざるを得なかった…というのは自分の実感としては逆ではないか?という気もするが、このへんは著者自身のことと肉薄しているように思う。
Posted by ブクログ
キアンが実はただの腰巾着ではなく、誰よりも大人だったことに気づいたトァンがそこから真相に迫りつつ、復讐心を抱いていたこと、真相に迫りながら意識、意志の存在を理屈として否定しながらも復讐心という意識の産物を抱えている姿が、どうしようもなく人間らしい
と感じることが、ハーモニーであることを妨げる
人は一体であることを望んでいるんだろうか?
少なくとも一体感は大事にされている?
だが意識があれば一体となることはできない
そして意識を失うことは耐え難い
故に人は一体になれず、一体感を目指して苦しい思いを抱いている
ということを切実に描いた小説だと受け止めています
Posted by ブクログ
21世紀後半、大災禍により従来の政府は
生府となり生命主義の健康社会を保つために、
人は大人になると個人用医療薬精製システム
(メディケア)を使用し『公共物としての身体』を
大切に扱うというルールの下で生活している。
「ただの人間には興味がないの」(P22)と言い放つ
御冷ミァハ、ミァハに心酔する主人公・霧慧トァン、
2人の友人の零下堂キアンは、自殺を試み、
結果、ミァハだけ自殺は成功する。
大人になったトァンはWHOの螺旋監察官となり、
僻地で世界のルールを犯しつつ働いているが、
日本に戻されてしまう。そして、彼女の目の前で
大事件が起こる。
最後に人類は何を得て何を失うのか。
SFは苦手分野ですが、もともと存在するWHOの
人間が主人公ということもありとても
読みやすかったです。
三人の少女もそれぞれ個性的で全員厨二病かな?と
思わせつつ、それぞれのバックボーンもしっかり
描かれていました。10代なら御冷ミァハのことを
好きになっただろうなー。
スイーツを好きなように食べられず、
やせた人も太った人もいない世界はさぞ
味気ないでしょうね。私には無理だ。
Posted by ブクログ
意識というのは、「昔は必要だったが、現代では糖尿病の原因となってしまった人体のメカニズム」のように、人類にとって一時的に必要だったが今は邪魔なものなのではないか・・・。分量は少ないのに、面白かったです。
Posted by ブクログ
【結末のネタバレあり】
巻末インタビューで著者が「敗北宣言」と述べているように、結論部分については、正直物足りなさが残るラストとなった。
個人的に一番気になったのが、ミァハという人物が、本当にこのような結論にいたるのだろうかという疑問である。
ストーリーではミァハは、生まれつき「意識」を持たない民族だったと明かされる。
そのため、全人類がミァハの民族のようになるだけと考えれば納得はできるのであろう。
しかし本当にそうと言えるのだろうか。
父のヌァザは、「社会と完璧なハーモニーを描くように価値体系が設定されている」と述べている。
つまり多様性の失われた、ひとつに価値観が統一された上での、意識の喪失ということになる。
このようなプログラムをミァハは肯定するのだろうか?
例えば、ミァハの一族がこの都市に住むか?と問われたとする。
はたして、全ての一族がここに住むことを選択するだろうか。
中には合理的な思考を経て、住まないという選択をする者が出る可能性も否めないはずだ。
人々から「迷い」を取り除いても、正解はひとつではないのだから。
他の例で考えると、無我の境地に達し、悟りを開いた僧侶たちが、この世界に訪れたとして、仏界(浄土)に辿り着いたと感じるのだろうか。
その場合も、ただロボットのようにプログラミングされた人々が暮らす都市を見て、憐れみとともに静かに通り過ぎるだけではないかと私は思う。
意識を失うということは、生き続ける意味も失うともいえるはずだ。
本来であれば(価値体系の設計がなければ)、食事を摂る意志を無くしそのまま餓死するものが現れる可能性だってあるのだ。
(WatcMeに感知されるだけだろうが)
そのような観点から、この結末はミァハがたどり着くべき結論ではなかったような気がしてならない。
インターポールのヴァシロフは死の間際にこう言う「こいつが痛みってヤツなんだな。WatcMeとメディケアめ、人間の体にこんな感覚があるなんて、よく隠しおおせたもんだ。腹の立つ話だとは思えんかね。」
このような発想を持つ集団が、このような結末を望むのだろうか。
恐らく、もし著者に時間があれば、もっと時間をかけて結論を探すことができたのであろう。
しかし残念ながら著者に時間は残されていなかった。
著者による「敗北宣言」という言葉を聞くと、どうしても他の結末というものを考えてみたくなってしまう。
大変身勝手なこととは思いながらも、僭越ながら異なる結末というものを私なりに考えてみた。
以下が私個人としての結論案である。
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ミァハは、自ら書いたプログラムにある細工を施していた。
プログラムが歌い出した瞬間、全ての人類に選択肢が示される。
社会とひとつになれば、全ての苦しみや恐怖から解放されます。
あなたは、あなたという意識を捨て、生命主義社会とひとつになって、生き続けていくことを承認しますか?
Yes/No
生府の老人たちや、螺旋監察官たちは、想定していなかった事態に一瞬戸惑いはしたが、迷いなくYesを選択した。
(ウーヴェのようなものたちを除いて)
今回の事態に怖れを抱いていた者を中心に、医療社会に生きる多くの人類も、同様の選択をした。
そして、Noを選択した人類には、ミァハからのメッセージが示された。
「さあ生きて自由にハーモニーを奏でよう」
その後の社会では、紛争もまだ続いている、自殺だってその存在を消してはいない。
しかし、『空気』と呼ばれていたものは、もうそこには存在しない。
この社会では、お酒を飲んでいる者を見ても、誰も見向きもしない。
もちろん、司法は存在している。
殺人を犯せば罪に問われるように、飲酒が違法な地域や年齢では罪を償わされることになる。
しかし、空気という形で人々から自由を奪うことは、できなくなってしまった。
偏狭な生命主義者も、それを他者に押し付けるために必要な「意識」を失ってしまったのだから。