あらすじ
すべて「じぶんごと」として考えることを迫られる時代に「ひとごと」そのものを思考する倫理を立ち上げる。気鋭の思想家がデビュー以来綴ってきた批評=エッセイが哲学へと結実する実践の書。
◎伊藤亜紗氏推薦!
何かに魅入られる。その魔法の時間を引き伸ばすことが批評であったような時代に、本書は終わりを告げる。いったん魅入られたならば、魔法が去ったあとの醒めた体が何事かを語り出す。本書はそのことを証明する。
◎内容
何かを発言することが通販サイトの商品ページに足跡を残すことと大差なくなってしまったこの時代に、〈書く〉ことの意味はいかにして立ち上げなおされるのか――『非美学』の若き哲学者による渾身の批評=エッセイ集。書き下ろし序文と巻末の著者解題も必読!
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道徳も真理も腐りきっているとしたら、いったいひとは何を拠り所にして生きていけばよいのか。そんなものはない。しかしそれはたんに人生の厳しさであるだけでなく、楽しさや喜び、あるいは優しさの条件であるだろう。雑多な文章が収められたこの本に通底するのは、「ひとごと」との距離のうちにある、そのようなポジティブな条件の探究である。――本文より
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
エッセイであり批評である、パンチの効いた言葉たちを浴びる
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この副題には、エッセイでないものは批評ではなく、批評でないものはエッセイではないという私のひとつの信念を込めている
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平和なときに「みんな」で考えるのは、戦争の準備だ。平和なときに「それぞれ」で考えるのは、今が平和であることを確認することだ。ふたつのことはすれ違っている。大人は器用にこのふたつを行ったり来たりするけど、ずっと迷っているだけだともいえる。
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社会的分断というのは、言葉の面から見れば、あらゆる言葉がその集団の内部ではミームとなり、外部からの、あるいは外部の集団への言葉がスパムとなることを意味するだろう。これは標準語と方言のようないわゆる中心-周縁図式とは異なる社会言語学的な軸として考えることができるかもしれない。
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真面目な言葉とふざけた言葉、客観的な説明と主観的な意見、指示と喩えの分割は、言葉に対して距離を置くことのできる人間にとってしか役立たない。よかれ悪しかれ、私たちはそうした距離の失調しつつある時代を生きている。あらゆる言葉は信じることができるかどうか、共感できるかどうかで測られる。現代が共感と反感の時代に、あるいは視覚的コミュニケーション優位の時代になったと言うだけでは片手落ちだ。その一方で言葉の使われかたも変化しているはずであり、小説が察知するべきはその変化だろう。
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喩えでしかないものの領分が失効するとき、描写は筋を際立たせるためのものではなくなり、内面は行動を際立たせるためのものではなくなるからだ。それらはどれも言葉であることにおいて等価になる。
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山と山の絵をとりあえず並置してみること、映画的経験と日常的経験をとりあえず並置してみること、こうした離接的綜合の技法によって、派生的なものとして劣位に置かれるもののポジティビティ=実定性を捉え、両者の関係をより創造的なものとして考えることができます。