あらすじ
完璧主義とは、ひとつの経済システムが生みだした、人間ががむしゃらに限界を超えようとする心理である。本書では、この考えを基に、完璧主義とはどういうものか、それが人間にどのような影響を及ぼすのか、それがいかに急激に増えているか、なぜ増えているのか、そこから逃れるにはどうすればいいのか、解説する。/うつ病、不安障害、強い絶望感――精神的苦痛の奥には完璧主義が潜んでいる。専門家による研究の最前線と集大成。
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Posted by ブクログ
完璧などありえない。にもかかわらず完璧を志向し、完璧になれない自分を責め続けていては、心がもたない。だから完璧主義者の心は折れやすい。最初は努力できても、失敗すると、無意識に労力を減らしたり、先延ばししたりする。つまり完璧から遠ざかる行動をとってしまう。そしてまた自責する。
つい最近、ある仕事をとても頑張った。完璧主義的だった。周りの同僚たちが、自分を大いに称賛することを夢想した。しかし実際にはそう上手くいかず、しぶしぶ提出した仕事に対して、いくつかの修正依頼が出た。しばらく経つが、私はまだその修正をせず、他の仕事を優先させている。まさしく先延ばしていることに、この本を読みながら気づいた。
過去に何度同じことを繰り返したように思う。週末に缶詰で勉強しようと意気込んだものの、結局は1分も勉強していない、なんてこともあった。5分でも勉強していれば、完璧に少しは近づいただろうに。
実際に研究では、完璧主義と仕事や学業のパフォーマンスの間の相関が、とても低いことが分かっている。
にもかかわらず、世間が完璧主義者を称賛するのは、「成功者バイアス」である。たしかに成功した著名人はいるが、その裏側に多くの成功していない人がいる。また我々の激しい競争の経済システムが、我々に完璧の仮面を被ることを強制している。
完璧主義には、「他者との関わり」という側面がある。完璧主義者と求道者の違いはここにある。私の場合は、「他者より優れていたい」という欲求がとても強い。身近に自分よりも成功している人がいると、自分が欠陥品のように思えてくる。求道者であれば、このような思考にはならないだろう。
Posted by ブクログ
完璧主義がヤバイものだ、という感覚を持つには最適な一冊。心のどこかで、「時には必要な感覚であり、悪いと言い切れるものでもない」と思う所があった。著者が言うには、そうではないのだ。気付きがあった。
完璧主義には主に3つあり、「自己志向型、社会規定型、他者志向型」と呼ばれるものだが、これだと単純化し過ぎていて、実際には混ざり合っているという。それぞれ、自分自身にストイックになる自己志向型。他人にそれを求める他者志向型。社会の目を意識した完璧さを求める社会規定型。実際には、社会の目を意識して自己目的を設定するような複合系もあるので、確かに単純化はすべきではなさそうだ。だが、他者志向型が最も面倒なヤツ、という感じは誤りではないだろう。
他者志向型の完璧主義者の典型だったジョブズは、力を示す手段として完璧主義を利用し、ビジネスを成功させた。「他人の弱点をピンポイントで把握できるのがあの人のすごいところです。どうすればかなわないと思わせられるのか、どうすれば相手がすくむのかがわかってしまうのです」ジョブズは「無礼で、横柄で、非友好的で、意地が悪く」、従業員を巧みに操って鼓舞するタイプの上司だったという。
完璧主義というのは、国民性もあるだろう。日本人は「社会の目」を気にした社会規定型が比較的強そうだ。さてタイトルの新たな災厄とは何か。SNSによって「理想化された他人の姿」と自分を比較し続けることで、「自分は足りない」という感覚が強化される。消費文化は「もっと良く」「もっと美しく」「もっと成功を」と煽り、終わりなき自己改善の圧力を生む。「成長こそすべて」「競争こそ正義」という価値観が、完璧主義を助長。成功者は完璧主義を美徳とし、失敗者は「努力不足」とされる構造が、精神的な格差と苦痛を生む。
完璧なものとして設定する理想モデルは、結局、「経験と偏見」の鋳型だ。それを踏まえて、そんなものを追い求めすぎて心身を壊さぬよう、寧ろ、鋳型を変えられる人間を目指す方が良さそうだ。