あらすじ
泣いている子どもを見ればかわいそうだと思うし、かわいい女子が涙をこぼせばどうかしたのかとつい心配してしまう。じゃあ、男子の涙は…? カメラの前で、キャラを作って笑って泣いて… 涙をめぐる青春部活系ストーリー!
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Posted by ブクログ
聞いたところによると、『ぼくらの胸キュンの作り方』と同じ学校が舞台だそうだ。「中学生による共同での創作活動」が描かれる点も共通している。
『ぼくキュン』は、「好き!やってみたい!」という気持ちから友だちと二人で漫画製作を始め、物語やキャラクターをゼロから作り込んでいく過程で、気づきや経験を得ていくお話だった。一方本作の主人公の波瑠くんは、周囲の期待に合わせてうまく立ち回ろうとしていたら、やりたくもなかったが流れで自主制作映画のほぼ主役(映画研究会看板女優の相手役)を演じることになり、先輩の書いた脚本と指示に沿ったモノづくりに巻き込まれていく。
やるとなったら中途半端なことはしない、真面目な波瑠くんなので、いやいやながらの後ろ向き参加では決してなく、主体性はちゃんとある。そうやって役者という初めての役割に取り組む彼の姿を見ていると、役者さんというのは、作り手でありながらも与えられた脚本の読者という意味では受け手でもあって、作り手といいつつも“作り”ようのない自分の姿形と声と気持ちを丸見せすることがその実作業であるという、面白い創作の形だなあということを発見した。
波瑠は、これまでは自分の本音に蓋をしたり、偽りの笑顔や気配りをうまく表に出したりする、そういうスキルを身につけ研ぎ澄ますことで生き延びてきたけれど、映画のための演技をきっかけに、自分の本音に向き合うスキルを使って生きてみることもできるのかもしれない、と気づいていく。そんな彼の変化が、実はよりハードな環境で生きてきた、看板女優にして“嘘泣き女王”の凛子にも影響を与える様子が、なんだかおばさんには眩しい⋯。表紙絵の美少女が眩しいのは、「こんな可愛い子に助けを求められたら恋しちゃうし頑張っちゃうよね〜」という他者から見た魅力によってではなく、この子自身が持っている自分で変わっていく力で輝いているからなんだなと、読み終わってみるとわかる。
「男の涙」がテーマということで、確かに男性が泣いたり弱さを見せたりすることの許されてなさ、泣いてもええんやで問題はあるよな、と思う。だが、女だっていつでもどこでも泣いてまえーが許されてるわけではなく、泣いたら泣いたで「涙は女の武器」とか非難めいた発言をされ、それを受けて別の女性が「私は泣いても男性に『女の武器』と言っていただいたことはない」とコメントするなど、私が高校生のころ政治家たちのそんなやりとりがニュースを賑わせていた記憶がある。作中でも凛子は女子から嫌われがちという描写があり、あれは嘘泣きだからかもしれないけど、とにかく涙問題は複雑!
きっと、男であれ女であれ、この土俵では泣いてはいけないとされる場所が確かにあるのだと思う。土俵を下りちゃうのも手だけど、「不逞不遜の大胆さ」(by キャロル・ギリガン)を発揮して堂々と泣いてみるのも、今度はやってみたい。