あらすじ
「黒人」の歴史は奴隷制や植民地の過去と切り離すことができない。1957年にカメルーンに生まれ、フランスやアメリカで学んだアシル・ムベンベ(Achille Mbembe)は、主著となる本書(2013年)を「世界が黒人になること」と題された「序」から始めた。それは、奴隷制や植民地が特定の人種に限られたものではないこと、そしてすでに過去のものとなった事態ではないことを冒頭で宣言することを意味している。新たな奴隷制や植民地、そして人種差別は形を変えて席捲しうるし、現にしている。それを可能にする構造が今の世界にはある、ということにほかならない。
だからこそ、不幸や苦痛、弾圧や収奪の歴史だった「黒人」の歴史を知り、共有しなければならない。そのとき「黒人」には新たな意味が与えられる。著者は言う。「途上にある者、旅に出ようとしている者、断絶と異質性を経験する者の形象として、「黒人」を新たに想像しなければならない。しかし、この行路と大移動の経験が意味をもつためには、アフリカに本質的な役割を与えなければならない。この経験は私たちをアフリカに回帰させ、または少なくともアフリカというこの世界の分身を通じて方向転換しなければならない」。
アフリカから到来する何か、「黒人」から到来する何かにこそ、悲惨にあふれ、いや増すことを予感するしかない現在の世界を普遍的に、そして原理的に転換する可能性はある。歴史的事実を踏まえつつその意味を明らかにした本書は、エドゥアール・グリッサンの言葉を借りるなら〈全-世界〉に向けられる希望の書である。
[本書の内容]
序 世界が黒人になること
眩暈するような組み立て/未来の人種
1 人種主体
仮構作用と精神の閉域/新たな等級化/「黒人」という実詞/外観、真実、幻影/囲い地の論理
2 幻想の井戸
猶予中の人類/所属決定、内面化、そして反転/白人の黒人と黒人の白人/名前のパラドックス/世界の巨像/世界の分割/国家‐植民地主義/軽薄さとエキゾティズム/みずから理性を失うこと/友愛の限界
3 差異と自己決定
自由主義と急進的悲観主義/誰もと同じ人間/普遍的なものと特殊なもの/伝統、記憶、そして創造/諸々の世界の交通
4 小さな秘密
支配層の諸々の歴史/謎の鏡/商品のエロティシズム/黒人の時間/身体、彫像、肖像
5 奴隷のためのレクイエム
多様性と超過/ぼろぼろの人間/奴隷と亡霊について/生と労働について
6 主体の臨床医学
主人とその黒人/人種の闘争と自己決定/人間への上昇/大いなる喧噪/被植民者の解放的暴力/栄光の影/民主主義と人種の詩学
エピローグ
たった一つの世界しかない
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
動産「黒人」観
「黒人とは一つの動産でしかない。一六七〇年以来、長距離を移動して商品化される生産を見込んで、いかに大量の労働力を稼働させるか、ということが問題になってきた。〈黒人〉の発明は、この問題に対する答えとなる。〈黒人〉とは、まさにプランテーションを通じて、その時代の富の蓄積のために、最も効果的な形態の一つを創出することを可能にしながら、商業資本主義、機械化、そして服従労働の管理の統合を加速する歯車なのだ」(本書より)
本書は難解。著者のアシル・ムベンベを研究する甥から勧められ読んでみたのだが、のっけから歯が立たず、意味が通じた部分だけ拾い読みすることにした。で、拾った部分「そのイチ」が上の記述だ。
立ち止まったのは、以前読んだエマニュエル・トッドのインタビュー集『パンデミック以後』を思い出したからだ。トッドはこう述べている。
「自由貿易の「自由」というのは、英国の名誉革命の自由とリンクしているようで聞こえはいいのですが、実は、奴隷制と関係があるのです」
つまりは、黒人は環大西洋大規模農園を成り立たせる労働力であり、富を蓄積させる歯車だった。これが資本主義を生む。奴隷、資本主義、自由は不可分の概念で、ムベンベもトッドも同じことを述べている。資本主義の歴史は、プロテスタンティズムやワットの蒸気機関の発明で語った気になってはいけない。奴隷貿易による巨富の蓄積の動きが何より重要だ、ということだろう。
ちなみに昔読んだ柄谷行人著『日本近代文学の起源』も思い出す。柄谷は、ダビンチのモナリザの背景に描かれた「風景」の発見を書いた。風景とは近代的な自己にとっての外部性のことだ。自分の外側にあるものが風景であり、風景を認識することで自己を意識し、これが近代的な自己の発見だと書いた。
西欧人がそうした自己を見つけたのは、黒人との接触によって「外部性」を意識したからだろうか。ムベンベの本書を意訳すれば、西欧人は、黒人を人間扱いせず単なる労働力とみなして富を蓄積し、自分を人間扱いしたことで人権思想を育んだ。植民地で暴力を振るう享楽を隠蔽しながら、だ。
本書が取り上げたいわゆる「黒人」観への問題意識は、アフリカ系の人たちに対するものだけではなく、自由=格差拡大の流れに抗う動きとして拡大したように見える。ごく最近の話で言うと、多様性、公平性、包摂性を唱えるDEI運動が世界的に広がった。だが、この運動も富裕層のサロン的な思想の域を出ず、生活が苦しい層の現実的な要望に応えられなかった。トランプ米政権はこうしたDEI的なものを毛嫌いするが、没落した中産階級である「忘れられた人々」から支持され誕生したことを考えると、これも自由と格差拡大に抗う動きのように見える。
ちなみに格差の系譜は、時代を少し遡って19世紀の社会を見ても、既に相当複雑化していた。映画でも有名な『風と共に去りぬ』は、大農園を仕切る誇り高い黒人と、下賎な貧乏白人が描かれている。奴隷制といっても、米南北戦争当時ですら黒人の有り様はさまざまだった(鴻巣友季子著『謎とき『風と共に去りぬ』』)。
人種差別は将来、カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』で描かれたように、クローンに向けられる可能性がある。また、日本のアニメ『新造人間キャシャーン』のように、人型ロボットに向けられる可能性もある。本書が取り上げた「黒人」観は未来社会でも問題であり続けるだろう。
あらためて言うが、本書は難解だ。完読はしたが、結局、昔読んだ本を思い出してばかりいた。拾い読みとは、難解な現実を逃避しながら、そのエッセンスを吸収する読書術なのだ。