あらすじ
戦後日本人の心をとらえ続けてきた1964年の東京五輪。この国民的「お祭り」は、いかにその舞台が整えられ、演出され、現在に至るまで再演されてきたのか。東京五輪2020を超え、根底から問い直す。
1964年の成功神話はどこへ行くのか――?
この国にとって五輪とはいったい何なのか――?
戦後日本の呪縛を解く、オリンピック論の決定版!
2021年東京五輪を経て……「文庫版まえがき」を追加
【目次】
文庫版へのまえがき
序 章 東京五輪という呪縛――シナリオが綻びるとき
第I章 ポスト戦争としてのオリンピック――舞台
1 軍都からオリンピックシティへ
2 五輪開催と軍用地返還――もう一つの日米交渉
3 東京復興としての万博・オリンピック
第II章 聖火リレーと祭典の舞台――演出
1 聖火、沖縄を走る――「祖国復帰」への象徴演技
2 神宮外苑にいたる道程――聖火リレーというもう一つの巡幸
3 三つの舞台――神宮外苑・代々木・駒沢
第III章 メダリストたちの日本近代――演技
1 マラソンランナーの悲劇――兵士から国民的英雄へ
2 「東洋の魔女」の伝説――殖産興業の末裔たち
3 もう一つの感動――映画のなかの東京オリンピック
第IV章 増殖する東京モデル――再演
1 ソウル1988――成長するアジアのドラマ
2 北京2008――繰り返される成長のドラマ
3 ドラマにおける反復と転換――札幌と長野
終 章 ドラマトゥルギーの転位――「速く、高く、強く」からの脱却を
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Posted by ブクログ
オリンピックや万博のような国家イベントの開催、成長の時代を再演するものとしてここに作動するメカニズムを、著者は「お祭りドクトリン」と名付けるのだが、多くの日本人が五輪や万博を「国民的なお祭り」として受け止める心性はどのように形成されたのか、それを著者は明らかにしようとする。
第Ⅰ章では、64年東京五輪の<舞台>に焦点が当てられる。軍用地から競技場への、軍都東京からオリンピックシティ東京への変容が論じられる。全国的にもかつての軍事施設が競技場や公園に転換したが、東京オリンピックにおいても軍用施設が主要会場に転用された。そして、代々木のオリンピック競技場及び選手村が作られた場所が米軍施設返還地(ワシントンハイツ)であったことは有名だが、その返還は米国側のイニシアティブによるもので、日本社会で米国の軍事力を受け入れやすくするために、都心近くの目立つ場所を返還し、オリンピックの成功を米国が助けた形にすると考えたことが理由であることを、知ることができた。
第Ⅱ章では、支配的権力の側の演出意図が明瞭に示されたパフォーマンスとして、復帰前の沖縄からスタートした聖火リレーの様子が説明される。
第Ⅲ章では、パフォーマンスの主役である選手たちに着目した分析が行われる。特に興味を惹いたのは、女子バレーで金メダルを獲得した<東洋の魔女>日紡貝塚チームについて。その圧倒的強さは、この国の貧しさ、そこから経済が立ち上がっていく基層となった繊維産業の女子労働者の層の厚さに支えられていたと著者は言う。
最後の第Ⅳ章では、1988年のソウル五輪、そして2008年の北京五輪が、64年東京五輪モデルの反復と増殖であることが論じられる。これら東アジアのオリンピックは、いずれも高度成長に向けて離陸していく瞬間に開かれ、各国の経済成長主義と結び付いたナショナリズムの決定的なモメントとなったという共通性を有していると著者は言う。
64年五輪、70年万博の時に比べれば、その意義に様々な疑問や批判が寄せられるようになってきているが、2020年東京オリンピック(実際の開催は2021年)、そして2025年大阪万博開催と、依然として「お祭り」は続いている。問題の所在はどこにあるのか、それを考える上で本書はいろいろな示唆を与えてくれる。