あらすじ
天才編集者、小島文隆に
「お前はこれからプログラム禁止になったからね」と言われ、
プログラマーではなく編集者としての第一歩を踏み出した僕(東府屋ファミ坊)。
『ログイン』のアルバイトを始めた僕は、
「ビデヲゲーム通信」の弟分として
「ファミコン通信」の記事をスタートさせる。
水野店長、ゲヱセン上野という編集者仲間や
ゲームデザイナー堀井雄二(ゆう坊)と出会い、
編集者としてだけではなくゲーム開発にもチャレンジしていく。
元『ファミコン通信』編集長が贈る初の自伝。
ビデオゲーム黎明期からファミコンの爆発的な人気に歩を合わせ、
『ログイン』の一コーナーだった「ファミコン通信」を
ゲーム雑誌ナンバー1にするまでの歴史的記録!!
※カバー画像が異なる場合があります。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
週刊化になるちょっと前から、毎号買い続けてた「ファミ通」。でも、この本で週刊化が出てくるのは2/3くらい読み進めてから。自分の思い出のために読んだというよりは、80年代の雰囲気を感じられたことが良かった。
この本で語られる「あの頃」の雰囲気は、他ではなかなか語られてこなかった「ゲーム業界」と「出版業界」。おそらく、両者にとって1番活性化していて、新規参入もまだまだ余地があった時代。その貴重な証言として、本書の重要性がある。イケイケだったのは大手企業や芸能界だけでなく、こんなサブカルチャーの端っこもそうだった。
今年1番良かった本は、本書でウッドボールだね。
Posted by ブクログ
脚注で説明はあるけど、図版は一切ないので世代じゃないと楽しめないかと。ポジショントークなのか、誌面づくりに自画自賛しているけど、ゲーム以外の記事はじゃまなだけと感じてましたよ。
ビジネスの進め方も、飲み会でなかよしになる、文化祭の延長みたいなノリなので、個人的には受け付けないのでした。
あとがき
個人名というか本名が出てるけど、許諾を得ていないのかも。
ちょっと『ポートピア』が厚めなのは、新作の宣伝絡みか。
P13 マシン語
厳密には数字の列だけど、アセンブラの意味で使っているの可能性もあり
P15 PC-8001 16万8000円
CPUはZ80そのものではなく、互換品のはず
16万8000円ではなんにもできなくて、モニター(グリーン/カラー)、メモリは最低限必要だったはず
P36 「ビデヲゲーム通信」
こっちが先だったとは
P63 PC-6001
テレビにRFで接続できた記憶が
P105 「ファミコン必勝本」
キャラメルママが編集に関わっていたかと(松本常男氏)
あと、鈴木みそさんも書いてた
P137 森下万里子
実在すると思っていました
P139 奥付のスタッフリスト
ここにまで森下万里子を載せる徹底ぶり
P147 締め切り
完本状態で印刷所へ入稿するのだと思ってました
物理的な縛りがあるのね
P169 日航機墜落事故(1985)
こんなことまで仕事のネタにしてしまう
P177 『オホーツク』
移植でも半年もかかるのね
P213 貧乏農場「人生ゲーム」
1987年当時では、貧乏農場ではなくなってるはず
P218 キャラメルママ
既出だけど、『ファミコン必勝本』に関わってる会社。ただし、この時点で関わっていたかは不明
P237 桃栗たき子
2021年没って……
P277 うすば羽田
新宿ジャッキーさんですよね?
P342 ウッドボール
裏表紙の意味がやっとわかった
P354 隠岐さん
仕事現場が不明って、「鶴の恩返し」みたい
P364 誤植
写植さんとかが版を組むときに間違った文字を打つことだから、編集の責任じゃないとは言えないけど、軽微なような。あるいは、慣習で表記ミスのことかもしれないけど。重刷を重版と言ったりするし
Posted by ブクログ
いまの自分は「ログイン」に大きく影響を受けて育ったので、ファミ通も創刊〜月刊〜隔週刊「ツキニカイカン」〜週刊化と、一時は毎号買うくらい付き合っていた。塩崎さん(ゴンゾさん、副編)をはじめ登場人物たちは馴染み深く、スタパさんとか桜玉吉とか餅月あんことかゲームフリークの田尻さんとか、作ってる人達の顔が見える、タレント化してた雑誌だったので、そういうお話は楽しく読むことができた。一方、ファミコンの人ではなかったので、オホーツクもいたストもダビスタも、名前とだいたいの内容は知ってるけど遊ばなかった。あらためて考えてみると、雑誌の一方でゲーム開発してたのはおもしろいと思うけど、そっちが重点的に書かれている。オホーツクの後に、九龍城やシベリア鉄道に取材していたのはログインで読んでたけど、オホーツクがリメイクされた今なら、作るチャンスじゃないか。