あらすじ
大好評『ソース焼きそばの謎』、待望の続篇! 蒸し麺や揚げ麺に熱々の餡をかけて食べる「あんかけ焼きそば」。食卓ではマイナーな存在だが、その発祥はソース焼きそば以上に謎に満ちている! 探求の旅は戦前の東京、横浜・長崎を経てアメリカへ――。世界屈指の焼きそば通が解く、濃厚歴史ミステリ第二弾
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前作「ソース焼きそばの謎」ほどは面白くないだろうと期待せずに読んだが、あとがきに書かれている通り前作の3倍面白かった。前作のソース焼きそばは経済や物流、本作はアヘン戦争や日清戦争といった国際関係や文化を背景に語られており、日本・中国・アメリカにあんかけ焼きそばのルーツを求めるなど、食べ物を巡る話とは思えないほどスケールが大きく読み応えがあった。
あんかけ焼きそばの来歴を探るため、あんかけ焼きそばと似た皿うどん、更にその元となるチャンポンのルーツ、カタ焼きそばのルーツでは19世紀のアメリカまで調査。作者の調査能力と熱意には脱帽。アメリカ人のカリカリ嗜好の実例としてではあるが、「焼きそば」のルーツを探る本にタコスやプリッツェルまで登場するとは!揚げ麺のルーツはアメリカに出稼ぎに行った苦力(クーリー)相手の中華レストランと判明するが、楽しいグルメ話だけではなく、当時の中国排斥運動といったに差別についても述べられている。トランプ大統領とその支援者の主張と、当時の中国人排斥運動の中核を担った政党の主張が大差ない事が恐ろしく感じた。そのような状況のアメリカから逃れた中国人が、揚げ麺やチャプスイといったアメリカで独自進化した中華料理を訪日して伝えたという本書の説は説得力がある。因果は予測出来ない。
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焼そばの歴史から中国の革命まておよぶ内容は面白かった
「揚州炒麺」など「揚州~」と表記される中華料理は「五目」のこと。江蘇省揚州のことで、この地域出身者は富裕だったので「豪華」という意味でつけられている19
麺と具を炒めて味つけする「上海焼そば」のルーツは寧波料理。明治期に西園寺公望の要請で中国の留学生を猪熊治五郎が招聘。宿舎を神田神保町あたりに作る。その留学生向けに神保町には中国料理屋が建ちはじめる。そこは寧波コミュニティの料理人が多く、その系譜の店は上海焼そばを提供する。寧波は上海と直線距離で約100km。但し上海は江蘇料理。寧波は浙江料理。なぜ「寧波焼そば」や「浙江焼そば」と名乗らないで「上海焼そば」と名乗ったのか。当時の中国料理はほとんど広東料理。その差別化をするため別の地名を名乗りたいが、寧波や浙江はマイナーだったので「近隣」で「世界的にも有名な」上海を使った60
主に支那蕎麦や中華そば、と呼ばれていた料理が「ラーメン」という呼び名が主流になったのは日清のチキンラーメンのCMがきっかけ128
あんかけ=中華丼、広東麺、八宝菜のルーツはチャプスイたが、元々は19世紀のサンフランシスコで、閉店した中華屋に中国人労働者が来て、仕方なくごった煮を提供したら名物になったのがチャプスイ。労働者の多くが広東出身だったので「広州~」「広東~」と名前がつけられた118
カルフォルニアからニューヨークにも伝播した中国料理は「安く、珍しい」としてボヘミアン(上陸階級の生活に否定的な白人)に人気だった。そして黒人やユダヤ人も「差別されない」として中華屋を利用。ユダヤ人はクリスマスになるとキリスト教徒の店か軒並みクローズするので「クリスマスには中華」という文化が生まれた163
かた焼きそばのクリスピーな揚げ麺はおそらくアメリカで開発された。元々両面焼き麺をアメリカ人の嗜好に合わせてカリカリ揚げにした可能性。アメリカ人はクリスピーでスパイシーで甘いものを好む。ポテチ、タコスのハードシェル、スナックのプリッツェル、シリアルは全てアメリカで開発された188
長崎の「元祖チャンポン」を謳っている四海楼は黄禍論でアメリカを追われた中国人によって創業された可能性が高い。創業当時は「アメリカ料理」を謳っていた214
「ちゃぶ台」「カメチャブ」のチャブはピジン語の「chow-chow」由来281
一番最初に日本で食べられたやきそばは横浜の会芳楼の炒麺。明治2年ころ。ここのやきそばは麺を両面焼きするタイプ。そこで炒麺を「やきそば」と翻訳した。上海焼そばやソース焼そばの炒め合わせ料理なら「いりそば」と訳されていた293
会芳楼はその後神田に支店を出し清国留学生の重要拠点となる。辛亥革命などはここから産まれた部分がある。横浜の跡地は山下公園になり、そのあずまやは最近それにちなみ「会芳亭」と命名された300
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<目次>
プロローグ 明治二年の「鳥やきそば」
第1章 支那料理屋の「ヤキソバ」考
第1節 老舗「ヤキソバ」実食分析
第2節 戦前料理本の「ヤキソバ」レシピ
第3節 「上海風焼きそば」の真実
第2章 長崎皿うどんを解きほぐす
第1節 皿うどんのルーツ「支那うどん」
第2節 太麺皿うどんの起源に迫る
第3節 太麺から細麺へ~長崎皿うどん革命
第4節 細麺皿うどんとカタ焼きそば
第3章 「炒麺」(チャーメン)はどこから来たのか
第1節 アメリカ式中華料理「チャプスイ」
第2節 「チャウメン」の誕生と変容
第3節 アメリカでの中国人排斥がもたらしたもの
第4章 明治期の横浜居留地へ
第1節 南京料理屋列伝
第2節 横浜の欧米人と清国人
第3節 一三五番 南京ちゃぶ屋・会芳楼
エピローグ 会芳楼後日譚
<内容>
『ソース焼きそばの謎』の著者の第2弾というか、姉妹版というか。もともとセットでブログに載っていた記事らしい。理系の著者らしい章立て。緻密な調査と推測。ただ第4章はちょっと粗いか。そして文脈も「カタ焼きそば」のルーツ探しから、歴史的な横浜南京町(現中華街)のお話へ。まあ、カタ焼きそばが長崎皿うどんへ、そしてアメリカへ飛ぶあたりはなかなかでした!