あらすじ
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大切なあの子が死んじゃった。
どうして死んでしまったんだろう?
死をどう受け止めたらいいんだろう?
……その悲しみのなかから、著者は歩き出した。
釈迦の高弟「あなん」と、著者の分身「テンテン」を進行役に、
仏教の経典・涅槃経の教えからはじまり、ソクラテス、イエス・キリスト、
オマル・ハイヤーム、宮澤賢治、エリザベス・キューブラー・ロスなど、
古今東西の賢者の声を聴く、死をめぐる思索の旅がはじまった。
心をゆさぶる、生と死のものがたり。
「死」を探ろうとする模索の旅に、おつき合いください。
決して後悔はさせません。
──釈徹宗
“彼女はまだ25歳でした。25歳って、まだまだこれからいろんなことができた。もっと楽しいこともたくさん経験できた/「どうして死んじゃったの?」という言葉が頭の中をぐるぐる回り続けました。いろんなことを考えてたどりついたのが「本を書こう」でした。死についての涅槃経と他の賢者の人たちが説いた死を組み合わせて、死ぬことってどういうことだろう?という本を書こうと思いました。(「あとがき」より)”
【目次】
1 どうして死んじゃったの?
2 死んだらどこに行く?
3 人はモノゴトがちゃんと見えてない
4 手の中にかくしてるもの
5 自分自身をよりどころにする
6 大事なことを聞きのがす
7 本当に死んじゃうの?
8 これが最後の機会だよ
9 死ぬってどういうことかを知る旅に出る
10 死とはわからないもの──ソクラテスの考察
11 死とはいったん待つこと──イエス・キリストの復活
12 死とは合格すること──オマル・ハイヤームの四行詩
13 死とはひとりで行くこと──宮澤賢治の銀河鉄道
14 死とはちがう世界に行くこと──エリザベス・キューブラー・ロスの魂の蝶
15 私たちはどうしたらいいのか
あとがき
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Posted by ブクログ
死生観についての解説。
中身を知らずに購入したので、自分が求めていた「死とは?」と少し違っていた感。
涅槃経をわかりやすく表現した本。
自分は、別に経典を理解したくて読んだ本じゃないんだよなー感が残る。
後半は、さまざまな人の観点から「死」を説いている。
ソクラテス
『死ぬということは 生きてる自分がなくなってしまうこと』(96頁)
『死ぬということは 生まれる前のような意識になることかもしれない』(100頁)
イエス・キリスト
『死とは いったん待つこと』(111頁)
『死ぬって魂が神様のところに一旦帰って みんなでこの世の終わりを待つこと 生き残った人はさびしいけれど 死んだ本人にとっては悲しいことじゃない』(123頁)
オマル・ハイヤーム
『死とは合格すること』(127頁)
『イスラム教では 今、私たちが暮らしているこの世での生活は 死後の世界とくらべたら ずっと軽々しいかりそめのものにすぎないと言われている つまり 人間として暮らしてるこの時間は たとえれば入学試験のようなもので 合格すれば来世で楽しい大学生活が待っている』(135頁)
宮沢賢治
『死とはひとりで行くこと』(141頁)
エリザベス・キューブラー・ロス
『死とはちがう世界に行くこと』(157頁)
『死から派生した苦しみ やがてくる死 あるいは親しい者の死 私たちはそれを受け入れることができない なぜなら私たちが死を知らないから』(159頁)
『私たちは人として大人になって 何不自由なく生活してると思ってるけど 実はイモムシなんじゃないかって 毎日食物を求安全な場所を求め 夜になったらじっとして 近い未来のことなど心配して 規則正しく生活しているけど やがて年をとったイモムシは病気のようになってしまう 他のイモムシたちは動かない固い蛹を見て さようなら もう2度と会えないねと思うけれど 本当は蛹から飛び出してくるものがある イモムシたちは 空で舞っている蝶に気付けない』(171-173頁)
最後にわかってはいるが、それをそのまま捉えたくないのだろうと思う言葉があった
『自分もいつかは死ぬ 周りの人も死ぬ それは特別なことじゃない』(181頁)
1番この考え方良いなーと思ったのは、キューブラー。
過去に死の受容5過程を学んだことがあるせいか?この考え方が1番しっくりした。
メメントモリ。
死を常に自分ごととして考えていく。
これが大事なんだろうな。
(頭じゃわかるけど寂しい)