あらすじ
自然を研究する学問は自然科学だけではない。自然について哲学することは可能であるし、また、その必要もある。本書はそのことを示したもので、これは自然哲学と呼ばれる学問である。自然とは何か。自然の中で人間はいかに生きるべきか。現在、人間の文明が自然の逆襲を受けて自然と人間の関わり方が問題になり、その責任が問われかけている。自然の本質と生命の意味を哲学的に説いた注目の書下し。
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Posted by ブクログ
自然を私たちの認識の対象と捉える自然科学に対して、自然を私たちの生命の営みそのものとして、あるいは生命の営みの場所として捉える「自然哲学」の復権を語っている。
現代の哲学者の中で「自然哲学」と呼ぶべき思索をおこなった者と言えば、バシュラールやメルロ=ポンティの名前が思い浮かぶ。後期ハイデガーも、ソクラテス以前の哲学者による「自然」についての思索を手がかりに、「四方界」についての議論を展開している。また、そうしたハイデガーの思索を継承する宗教哲学的自然哲学の試みもある。
これに対して著者の議論は、少なくともそのアプローチに関して言うならば、哲学的人間学に近いと言えるように思う。たとえば「夜」について著者は、昼の認識は視覚的であるのに対して夜の認識は聴覚的であり、明晰ではないが生命の律動を直接的に知らせてくれると述べている。このほか、「大地」「水と生」「火と光」「森林」などについて、太古以来の人類と自然との関わりの中から、それらの人間学的な意義を明らかにしようとしているように読める。
上で触れた後期ハイデガーの思索を基準に取るとき、著者の議論の人間主義的な偏りが問題になるのではないかという気がする。著者は西洋哲学に広く通じている碩学なので、できることならば歴史的アプローチに基づく議論を聞きたかった。