あらすじ
フランス料理の普及と人材の育成に全身全霊を傾けた著者が、フランス料理の要点を押さえつつ、料理の歴史と技術の継承、さらに自身の経験を踏まえながら、学ぶ者の心構えについて、わかりやすく説いた幻の論考を初文庫化。巻末に天皇の料理番として名高い秋山徳蔵との対談を収録。
第一章 はじめに
第二章 フランス料理とはどういうものか
フランス料理の特質、日本のフランス料理
第三章 実際にフランス料理を勉強する人へ
現地での修行について、言葉の問題
第四章 料理と料理技術の問題 釣
料理技術の継承、技術文化比較論、料理の本質”
第五章 フランス料理史序論
料理の歴史ということ、フランス料理研究書の紹介
料理史研究方法の具体例――ヴアレツトさんの場合
第六章 フランス料理史本論(その一)
ギリシア・ローマ時代、古代ローマとフランス料理、中世とル ネッサンス、十七世紀、十八世紀、十九世紀から二十世紀
第七章 フランス料理史本論(その二)
ルーの歴史、スープの歴史、アリコ・ドウ・ムトン
第人章 結び
紺談 秋山徳蔵氏とともに
参考書目
あとがき
解説 山内秀文
辻静雄・主要著作紹介
辻静雄・略年譜
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
この本は1972年に出版された。その復刻版で2009年に出された。1970年に大阪で万博が開かれた。その時にフランス館では本場フランスの料理人がやってきた。ナマのフランス料理を始めて見る日本人のフランス料理人たちもいた。今まで思っていたフランス料理と格段の違いがあった。
この本は、その経験を踏まえて、辻調理師専門学校の講義で、8回にわたり話されたものが本になっている。ユーチューブがなかったのが残念である。
フランス料理は、どんなものか?料理法を理論的にとらえることと実際に料理の作り方、作る技術が必要である。そのころの日本人のフランス料理をしている人で「この料理は俺しか知らない。俺以外の作ったものはまずいに決まっている」という閉鎖性もあった。また徒弟制が強く、料理人が学校で学ぶなってありえないと思われていた。
フランス料理は、キュルノンスキーの4つの分類①古典的フランス料理②普通の家庭料理③田舎料理④その場に応じた料理と定義された。フランス料理とは「フランス人が作り、フランスの食材を使い、料理器具もフランスのキッチンで使い込んだもの」という考え方が強かった。フランス以外で作られる料理は、フランス料理ではないと言われていた。
日本へはフランス料理は、100年前に入ってきたが、1970年代にやっとフランスに行く人が増えて、本場のフランス料理を学ぶことになる。
レヴィ=ストロースは「料理することは、自然を文化に変形する普遍的な手段」と言い料理の三角形「生もの・火にかけたもの・腐ったもの」と言っている。彼の中には発酵という言葉は抜け落ちていた。著者の辻静雄は、「料理技術の伝達には、言葉でわからせることと身を以て覚えなければ不可能だ、身を以て技術を習得すること」と言っている。
料理の業界の徒弟制度は、カタチを学ぶことが必要であり、その型こそが、文化の伝統であり、創意工夫を認めなかった。
「あなたが普段から食べているものを教えて欲しい。あなたがどんな人であるか、当てて見せよう」と言ったブリアサヴァランは1825年「美味礼賛」を出版した。これは料理を科学として見る流れでもあった。「炭水化物を制限する食事法」を最初に提唱し、「小麦粉、穀物、砂糖が肥満の原因」としていた。
ギリシャ、ローマ、そしてフランスへと料理の変遷があり、フランス料理は一度に全部出す料理の提供の仕方だったが、ロシア料理の方法である、オードブル、ポタージュ、アントレ、メインディッシュ、というコースの方法が取り入れられるようになる。
エスコフィエ(1846〜1935)は、「王様のコック長であり、料理人の王様」と言われ、フランス料理の形、そして料理人の地位向上に貢献した。身長が160cmしかなく、コック長の高い帽子は彼が考案した。
天ぷらの起源やカタツムリ料理、ルーの作り方、パナードオパンなどの具体的な説明もあってなるほどと思う。とにかく、フランス料理の原典にあたり、アクなく追求しているのが素晴らしい。巻末の参考文献は目を見張るものがある。日本のフランス料理の基礎を作ったのは、辻静雄だったことを理解できる本だった。とにかく、実にたくさんの人々が登場する。
天皇の料理番の秋山徳蔵との対談も、フランス料理に対する見方がかなり違っていて面白い。
フランス料理の歴史を知る上で、好著だ。