あらすじ
陸軍きっての”親中派”はなぜ大虐殺の首謀者にされたのか?
中国国内で「日本のヒットラー」と断罪される松井石根。だが皮肉にも、東京裁判で絞首刑に処された南京戦指揮官は陸軍で最も中国を尊重していた! 松井の思想形成から処刑後までを、帰還した兵士の証言と膨大な資料、日記を精査して描く。
南京戦は、今も中国側の外交カードに利用されている。松井石根の無念は、いまだ晴らされていない。共産党独裁下にある中国が、今や国際社会の中心を担う存在にまでなり、世界の平和や地域の安寧を脅かしている現況を見ると、「中国の共産化」が招く危険性に警鐘を鳴らし続けた松井の先見性は、今こそ見直されるべきであろう。……「復刻版あとがき」より
復刻版まえがき
序 章
第一章 日中友好論者への道
第二章 大亜細亜協会の台頭
第三章 上海戦
第四章 南京戦
第五章 占領後の南京
第六章 興亜観音
第七章 東京裁判
最終章 歿後
あとがき
復刻版あとがき
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Posted by ブクログ
南京攻略の総大将だった松井石根の伝記。彼は東京裁判で、部下が行った大虐殺を止めることができなかった罪で、A級戦犯として死刑となる。東京裁判の正当性、南京大虐殺の有無の議論は、ここではおく。残念な点は、彼は中国からも日本からも最終的に裏切られた点。彼は陸軍きっての中国通で蒋介石とも親交があり、自分が処刑される直前も、共産化する中国の行く末をを心配していた。しかし、彼を徹底的に糾弾し死刑まで追い込んだのは中国だった。今も中国では、南京大虐殺を命じた指揮官として、非難の対象となっている。また、日本では、戦中は凱旋将軍としてもてはやされたが、敗戦後は手のひら返しにあった。彼と関係があった人達も、彼を拒絶した。進駐軍から目をつけられるかもしれないからだ。彼は大将にまでなったが、戦場で部下を統制できなかったのは事実。軍人にはならず、大学等の研究者などになればよかったのかもしれない。