あらすじ
米、肉以外はほぼ自給自足。2009年、66歳で、父・檀一雄の終の棲家となった、福岡県博多湾に浮かぶ能古島へ移住。都会暮らしから一転、妻と犬2匹との悪戦苦闘の日々が始まった。魚も地元の漁師から手に入れるほか、自らも釣り糸を垂れ、菜園の野菜作りに試行錯誤。梅やビワの豊作を喜び、自家消費に有り余る果実は、500個もの瓶詰めジャムに。そして、いっそう磨き抜かれた料理の腕を揮う。島での豊かな老後を手に入れるまでの足かけ9年の日々を綴る。
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Posted by ブクログ
石神井(練馬)の家が区画整理の対象地に引っ掛かり、さてどこへ移ろうかと考えた時、父・檀一雄が約二年暮らした古家のある、福岡の離島、能古島(のこのしま)に移住を決めた。
東京と九州ではいささか食文化が違い、慣れ親しんだたくあんも、柔らかな白ネギもない。
手に入らないものは自分で作る!!それが、壇流・島暮らしの基本である。
島にはスーパーもコンビニも無いから、野菜作りは練馬で勉強してから移り住んだ。
しかし、勉強しただけで全てうまくいくわけではない。
島への移住と聞けば、プチリタイヤ?悠々自適?という優雅なイメージを抱いてしまいがちだが、優雅というより、体力勝負である。
しかし、七十二候に寄り添う暮らしは、精神面では優雅かもしれない。
エッセイのほとんどは菜園の野菜たちの事で、檀さんの野菜作りに対する並々ならぬ情熱が感じられる。
入植者、開墾者の魂である。
リタイア後に田舎暮らしをしたいと思う方も多いようだが、どこに住むにしても、趣き深い生活が送れるかどうかは、本人の好奇心と行動力次第な気がする。
能古島の檀さんの家は、庭の向こうの借景として博多湾の都会が見える。フェリーに乗れば10分ほどでいつでも都会の文化に触れられる安心感というのも、程よく感じられる。完全リタイアするまでは、東京の会社にも定期的に出勤されていたようだ。
Iターンと書かれているが、太郎さん自身が住んだことがなくても、父が住んだ土地というものは、見ず知らずの場所よりも親しみも感じられるのではなかったろうか。
住民とのお付き合いも、やはり都会とは違うが、努力されたようだ。
そして、天敵「能古の三悪」は、カラス、イノシシ、大ムカデ。
特にイノシシに対する恨みつらみは繰り返し述べられるが、その書きぶりはなんとなくユーモラスである。
檀さんは米は作っていないが、イノシシが稲穂に触れると体臭が染みつき、臭くて食べられない米になってしまうという話が笑撃!4コマ漫画になりそう。イノシシくっさー!(笑)
『産経新聞』九州・山口版に連載されていたということだが、連載を終えて、齢八十、肉体の耐用年数を感じると、あとがきに書かれている。
このあと、老後を迎えて島でどのように暮らしていくのか、そのあたりも書き続けてほしい気がする。