【感想・ネタバレ】彼女が生きてる世界線!のレビュー

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Posted by ブクログ

 細田監督が帯に記してくれた言葉が、この物語の魅力をぎゅっと詰めて込んで伝えてくれる気がします。私からはあえて多くは申しませんが、中田永一さんが届けたい想いの、ほんのいくばくかにも触れることができたのなら、嬉しく思います。合唱曲の「くちびるに歌を」がきっかけで、ずっと中田さんの文章に興味はありましたが、じっくりと読ませてもらったのは今回が初めてでした。超大作の内容であることもあって、読み終えたあとは映画鑑賞のような、壮大で、切なくて、勇気づけられる、独特の爽快感があります。是非とも皆さんにもお楽しみいただきたいです。






 ※
 以下、ネタバレを含みます。
 また、感想というよりは、個人的な雑記となります。
 お時間をいただける方だけ、どうかお付き合いくださいませ。





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 白血球の条件が一致する人から骨髄を移植する
 けれど不慣れな場所に無理矢理連れられた人は誰であれ不安を感じる
 それは細胞も同じこと
 新しい身体を自分の居場所だと信じてもらう
 そのための手伝いをするという考え方

 この辺りに強く共感しました。

 私が好きな図書に、
「おひとり農業」/岡本よりたか
「にっぽん味噌蔵めぐり」/岩木みさき
 があります。
 どちらも、縄文時代や、人が自然に触れていた頃の生活に注目しており、この世界における人の役割とは、「菌類、ウイルス、微生物が、居心地が良いと思える環境を作る___その手伝いをするのが、人間のお役目」といった旨が記されていました。私も全く共感します。

 本作では、ハルさんの命を救うことを至上の命題と定めているため、あくまでもその目的に一途なアクトさんは、がん細胞は、戦い、攻め、滅ぼそうとしていました。そのことが少しだけ残念に感じられましたが、それでも彼は、移植された細胞が、新しい宿主を認め、居心地の良い場所だと思ってもらえるように、祈り続けていました。私も、愛するものを明確に害しようとする存在が明らかにされたなら、きっと戦おうとするでしょう。菌類やウイルスは、自分たちの生存はもちろん、私たちの消化吸収や自然免疫を大いに助けてくれるものであり、決して敵対するものではないと知っているからこそ、このことに関しては例外的に感じますが、少なくとも悪意ある人の暴力には、そんな人もかわいそうだからと甘んじて受け入れては、ただ滅びを待つだけですものね。
 愛する人が滅んでいくのを待つだけは嫌だと、彼が強く望んだその気持ちには強く共感します。いずれはアクトさんも、そもそもなぜウイルスは存在するのか。免疫とは何なのかについて考えが至り、彼女の無事を確認できた後ならば、微生物への意識が変わっていくような気もしています。きみといっしょにあるく、とは、そうした大きなメッセージも込められているように感じました。

 なんといっても、ミナトさんに一方的に暴力を受けても一切逆らわず、彼の敵意が救われるまで祈り続けた姿勢こそが・・・生きようとする、幸せでありたいと願う心が、荒ぶる力を産む以上、その尊さを否定せず、本来の穏やかな心に戻るまで付き合おうとする・・・どこか、天皇陛下にも似た面影を見たのです。現在の皇室は、北朝の家系です。北朝の家系とは、暴力の多寡によって、三種の神器を南朝から得たに過ぎず、その正当性は本来はなかったのではないかとする説もあります。そのことを思うと、あり得たはずの南朝の恨みや悲しみといったものを、一身に受け、国民の禍を、まず一番初めに、どうか私にのみ降らせたまへと願い続けてきた、天皇陛下の歴史に通じるものを感じるのです。
 あらゆる心に善悪がある。
 一面しか持たない人間はおらず、全ての人に、卑しきことと、美しきことがある。
 当然のことなのですが、つい忘れてしまう、大切なことです。だからこそそうした大切さを忘れないように、相手が悪意や敵意を持っている理由とは、そうなってしまった経緯にあり、そこが救われ、報われたのならば、もともと、誰かを傷つけようとする極悪人も犯罪者も一人も存在しないはずなのです。

 アクトさんの本当の目的は、ただ、ハルさんに骨髄を提供してもらえさえすればよかったはずです。けれど彼はミナトさんの心にも向き合いました。ゲームに登場するただのイラストに過ぎないと、一視聴者の達観を持ち合わせながら、たとえ夢の中の出来事だとしても、少なくとも今目の前で相対してる人には、生きてきた過去があり、時間があり、心があると、アクトさんは認めていました。
 私も全く共感します。
 私も、あくまで架空のことだと一線を置いているからこそ、冷静に見て、学んで、深く共感することができますし、大切な考えや、希望やときめきを、現実の世界に持ち帰ることができると思います。一方で、彼らはそこで一生懸命生きているからこそ、そのときどきで溢れ出した言葉には、嘘などなく、確かに、心を持った人間の思いなのだろうとも考えています。
 つくづく、アクトさんは魅力的な主人公だと思えました。
 私の想像の中での彼の面影は、カイジの登場人物のような人相ですが(笑) だからこそ、人は見た目によらないね!っと繰り返しハルさんがひどい(笑)ことを言いつつも、彼にときめいていたように、私も彼のことを見た目以上の好感を覚えたものです。私の最愛の図書・装甲悪鬼村正の主人公・湊斗景明も、「暗黒星人」などと揶揄されるほどに、人々に畏怖される邪悪な雰囲気を見せていました。笑




 悪を働き、大勢の人の不幸の上に搾取した富と暮らしがあった。
 いつかは裁かれなくてはならない。
 けれど、永遠の善人も永遠の悪人もありえないように、全面の悪人などいない。
 悪とはその者の一面に過ぎない。
 良いことをしながら悪しきこともし、悪しきことをしながらそれと知らず良いこともするのが人間、と長谷川平蔵も思っておりました。
 アクトさんの、裁かれることへの達観と、生き延びてほしい人への嘆願は、そこはかとなく湊斗景明さんに重なるものがあり、胸が打たれました。
 個人的には、彼が叶えたかった、愛する人を救い、そこに自分の幸せもあるという景色を、見事に成し遂げたのがアクトさんだと思えます。彼はいまだにハルさんの健気な想いに気づいていませんが、少なくとも一緒にいられて幸福であることを否定していないので、それだけでも今後が楽しみになりました。
 逆に言えば、景明さんも、統様や光を失うことがなければ、自分の幸福をも含めて、未来を目指していくことが出来たのかなとも思います。世界線を定める神は、脚本家は、キャラクターにとっては残酷極まりませんが、それでも、そうして失うことによって、彼はエンペドクレスの理念に、独善を超えた博愛の尊さと、けれど人は独善によって何かを特別に愛することしか出来ないという価値観に出会うことができました。ささやかな幸せには、壮大な価値観など必要ありませんから。その価値観に出会うために、一度失う必要があったというのは切ない限りです。

 実際、本作においても、父が財産を全て失ったのは、自分という悪役が物語の最後に読者にそう快感を与え、敗れるために必要であり、いわば巻き添えで犠牲になった悪役の被害者だと、父を憐んでいました。
 死ぬはずだった人を守るための壮大な冒険に巻き込まれた哀れな犠牲者を悼む想いがあり、けれど彼が財産を失ったとしても、生きている限り、会い、語り合い、愛することができると、アクトさんは信じていました。
 そこがまたとても勇気づけられ、大人になったひとたちにこそ、胸を打つものだと思えます。中田永一さんの文才には頭が下がります。

 ※
 エンペドクレス
 古代ギリシャの自然哲学者として知られています。
 私は、最愛の図書・装甲悪鬼村正において初めて彼の存在を知ることとなりました。
 村正の設定で最も重要である「善悪相殺の掟」とは、悪意で敵を一人斬ったなら、愛した人を一人斬るという呪いのことを指します。この呪いこそが、愛の存在を証明するというものでした。
 エンペドクレスは、この世界の仕組みをこう語りました。
 万物を結びつける「愛の力」
 万物を引き離す「争いの力」
 これによって結びつき、引き離され、その繰り返しによって、現在の世界の万象は作られているということでした。

 例えば、塩水を満たしたフラスコに火をかけます。そうすると、水は沸き立ち、塩だけになってしまいます。
 では、水と塩を切り離した火は、争いの力であり、悪なのでしょうか?
 いえ、それだけではないのです。
 熱された空気と蒸発した水が結ばれて、モヤが生まれたのです。火は、水と空気を結んだ、愛の力でもあったのです。善でもあるのです。

 では、善悪とは何か。
 極論、そんなものはないのです。
 自分にとって都合の良いものを、人は善と呼び、
 それとは反対側から見たもののことを、人は悪と呼ぶ。
 それだけのことなのです。
 これを、「独善」と呼びます。
 この独善からどれだけ人は抜け出すことができるのか。その先にこそ、本当の平和があると、始祖村正は信じ、己と、娘二人が生み出す劔冑-つるぎ-に、善悪相殺の呪いを与えたのです。己が敵と憎む悪と、己が愛する善は、等しく、決してその例外はあり得ないことを、人々に知らしめるために。

 けれど、それでも、人は独善を求めてしまいます。
 愛する異性が他の同性に奪われても何も思わぬはずはなく、己だけの特別な異性であって欲しいと求めるのは、生物の生殖本能のサガです。厳密には、複数のオスと交尾したり、自分とは違うオスから生まれた子を育てる父親などは、自然では珍しくはないのですが・・・それでも、人は、特別な異性を求めてしまうのです。
 異性関係にまで言及しなくても、友情であってもそうです。その人の特別でありたいという感情が、理性で制御できる範囲から、手の届くところから離れてしまえば、たちまち、嵐、暴風の如く、心を吹き荒らしてしまうのです。その恐怖に人はなかなか立ち向かえません。自分だけの安心感を他の誰にも分け与えたくないのです。これは科学的にも、オキシトシンは安心感と同時に、自分を安心させてくれる存在以外には強烈な敵対心をもたせる物質としても証明されており、知られていることです。有名な例が、父親と違うオスグマが、小熊を襲おうとしていると、メスグマはオスグマよりも強く、某力的に戦う姿が見られるというものです。この興奮と暴力性は、孤独になりたくないという寂しさの裏返しであり、オキシトシンの産物なのです。

 独善を可能な限り取り除いた、尊い平和と、
 人が何かを愛したいと願う特別な感情に裏づく独善。
 どちらも、平和を心から願いながらも、大切なものを守りたいと願う、人間らしい気持ちだと思います。
 菅原道真侯の死による災厄を恐れた当時の官僚が、汚れ思想を神道に定着させた以上、身篭りや出産もまた、汚れとして遠ざけそうなものですが、ここが神道の不思議なところで、確かに忌ごととして扱ってはいるものの、それでも子供が生まれてくることは特別にめでたいこととしても扱っておりますし、何より、自国の神話に「セックスをしました」「子供が生まれました」と明らかに読み取れるメッセージが記されたものは、大変に珍しいのです。古事記の他に例を挙げると、比較的、性に奔放なギリシャ神話ぐらいでしょうか。
 とかく、詰まるところ、独善ではない万民の幸せを願いながら、自分の伴侶を特別な異性として愛する生き方を、自国の神話に擬えて、ずっと続けてきたのが天皇陛下なのです。その陛下の子供たちとして生きている私たち日本人は、まさしく、独善の先にある本当の平和を求めながらも、特別な愛情を尊く想うという、矛盾しているはずのことを当たり前に受け止められるという、大変に風変わりで、面白く、そして美しい価値観をごくごく自然に持っていると言えるのではないでしょうか。
 随分と話が脱線したかのように思われるかもしれませんが、私が、アクトさんがミナトさんの暴力に向き合った場面から感じたことは、こうしたものもメッセージに含まれていたのではないかなぁとぼんやりと思いながら読んでいたということでした。胸きゅんでございます。照
 なんといっても、それって、ハルさんへの恋心そのものですものね。【彼女】を、人格神として偶像崇拝していたような気持ちから、目の前のハルさんをただ愛おしく思う気持ちに変わっていく、その決定的瞬間だったと思います。その癖して自分のその情熱的すぎる恋心には全く鈍感というのが、いかにも恋愛物語の主人公らしい微笑ましさがあるのではないでしょうか。笑 ほんとアクトさんかわいい。女性人気がすごく高そうです。


 まだまだ語りたいことはつきませんが、再びこの物語を読んで、今の視点とはまた異なる感想を覚えましたら、再読日誌として、適宜追加させていただこうと思います。
 事前に「雑記です」とお断りさせていただきましたが、ほとんど読者さんを置き去りにしてしまった自己満足であることは重々承知の上で・・・それでもここまで読んでくださったあなたに深く感謝を。ありがとうございました。
(令和六年七月二十一日・現在)

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2024年07月21日

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