あらすじ
第30回小学館ノンフィクション大賞受賞作!
“戦後復興のシンボル”力道山が他界して60年。
妻・田中敬子は80歳を越えた今も亡き夫の想い出を語り歩く。
しかし、夫の死後、22歳にして5つの会社の社長に就任、30億円もの負債を背負い、4人の子の母親となった「その後の人生」についてはほとんど語られていない──。
〈未亡人である敬子には、相続を放棄する手もあった。
しかし、それは考えなかった。
「そんなことを、主人は絶対に望んでないって思ったんです」
敬子は社長を引き受けることにした〉(本文より)
「力道山未亡人」として好奇の視線に晒され、男性社会の洗礼を浴び、プロレスという特殊な業界に翻弄されながら、昭和・平成・令和と生きた、一人の女性の数奇な半生を紐解く傑作ノンフィクション!
選考委員絶賛!
●辻村深月氏(作家)
「未亡人・敬子さんの人柄がくらくらするほど魅力的」
●星野博美氏(ノンフィクション作家)
「戦後日本の闇の深さを際立たせることに成功した。過去と現在がうまく共存し、そこから日本の変遷が透けて見えた」
●白石和彌氏(映画監督)
「アントニオ猪木や周りの人との関わりも、プロレスファンが読んでも堪らなかった」
(底本 2024年5月発売作品)
感情タグBEST3
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大河ドラマにして欲しい。21歳で結婚して半年で未亡人。姉妹ほどしか年の変わらない連れ子を3人と30億もの負債を抱え、身重のからだで5つの会社の社長に就き、周りにはあらゆる社会の大物たち。こんな波乱な人生なかなかない。家柄からなにから時代背景も含めてすごい星の下に生まれてきている。そう思わされる著者の取材力と筆力も素晴らしい。
Posted by ブクログ
第30回小学館ノンフィクション大賞受賞作。力道山未亡人の人生もすごいと思うが多くの証言を得てプロレス裏面史としての側面が良く描けていた。
【目次】
序章「不思議な日」
1章「健康優良児」
2章「皇后陛下に似てるね」
3章「サイコロ」
4章「保険金詐欺」
5章「生さぬ仲」
6章「世紀の大結婚」
7章「ニューラテンクォーター」
8章「未亡人社長になる」
9章「暴力組織追放運動」
10章「女の意地」
11章「再婚報道」
12章「破門状」
13章「猪木対タッキー」
終章「描けていた
Posted by ブクログ
なんと勇気ある結婚だったことか。
この本には書ききれないほどの
苦労があったと思う。
そして
リキさんの死の真相は闇謎のまま。
当時の半島関連、プロレス界の闇は深い。
Posted by ブクログ
確か…力道山が自分の半生を自分で演じた変わった映画の題名は「力道山物語 怒涛の男」だったような…ってことを思い出させるくらい、力道山の妻も「怒涛の女」でした。ただし、「怒涛の男」はマチズモの大奔流であるのに対して、「怒涛の女」はその激流に翻弄されるというより、乗りこなしていくサーフィンの達人のような人生なのです。淡白と言えるくらいの執着の無さと、すべてを受け入れる寛容性に眩しさを感じました。もしかしたら戦後日本の気分とは、こう言いう楽天性だったのではないでしょうか?逆に「力道山未亡人」という視点から見ることで戦後の男たちの欲望と謀略と野心の物語もくっきり浮かび上がります。そしてプロレス業界に埋め込まれたマスターナラティブに対しても異議申し立てがなされていきます。知ってるつもりだった歴史にも、えっ!そうだったの?が満載でした。特に1975年12月11日の武道館「力道山十三回忌追善試合」と蔵前国技館「アントニオ猪木対ビル・ロビンソン」の対立の経緯に対する考察には知的興奮を覚えました。それにしても「沢村忠に真空を飛ばせた男」の野口修にしても、「力道山未亡人」の田中敬子にしても、著者の視点人物の発見の新鮮さにはただただワクワクをもらえます。前作同様、本作も「右翼・興業・格闘技」の日本の地下水脈の物語なので、さらなる語り部や憑代も登場する予感がいっぱいです。プロジェクトXの「地上の星」ならぬ、アンダーグラウンド「地下の星」の星座をまた見せてください。
Posted by ブクログ
ヤクザとプロレスがズブズブだった時代の生々しい話や、力道山亡き後の日プロと敬子夫人の関係など、とても面白かった。力道山十三回忌追善大試合の舞台裏も初めて知った。
Posted by ブクログ
あの力道山と結婚するもわずか半年で夫が死亡。遺った事業と負債を引き継ぐ、22歳の未亡人。プロレス、ボクシングなど興行の裏の世界に翻弄される。
力道山がプロレスより不動産等の事業を手広く行っていたことを初めて知る。未亡人との確執はあるものの正統な後継者こそあのアントニオ猪木。
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力道山の妻、田中敬子の視点から昭和の芸能史、プロレス史、裏社会史を描いた作品
特に戦後の裏社会と政治の関わりだったり、ヤクザの役割がロジカルに描かれていて、現代を生きる身としては新鮮だった。
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猪木、馬場、安部譲二。
82歳の今も闘魂SHOPで働いている笑顔の写真が切ない。(いい笑顔なのだが)
朝ドラで観たいがあまりにどろどろし過ぎて無理だろうなあ。
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力道山伝説のようなものを知っているような知らないような、プロレスもほぼ興味がないが読んでみた。
面白かった。若い頃の敬子さんの写真もいいのだが、現在のプロレスショップでの写真もとてもいい。
超盛大な結婚式から半年後に夫を亡くし、多額の借金を背負うなんて、小説の世界、メロドラマの世界のヒロインのよう。でも安っぽいヒロイン像とは全く違うイメージだ。苦労を苦労と思わない感じ。まだまだ長生きしていただきたいが、いい時に取材されて、一冊の本になって良かったと思う。安部譲二さんのおかげ⁈
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力道山未亡人の田中敬子さんについて書かれた一冊。
彼女の自伝は読んだことがあるが、こちらは力道山死後の金の流れについて詳細に書かれており、その大変さがより伝わった。
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空手チョップである
ご存知力道山の必殺技である(正攻法)
一生一緒にいてくれや♪
それは三木道三
いや一生どころじゃない
たった半年の結婚生活で未亡人となってしまった力道山の奥さん田中敬子さんの後半生を綴ったノンフィクションである
力道山はもちろん、馬場も猪木も出てくる
昭和のプロレス界のゴシップも満載
プロレスと言えば東スポです
もう嘘か真かという話が楽しいw
それにしても敬子さん
力道山が亡くなったときには、今の価値で数十億という借金を背負わされているんだけど、最終的には紆余曲折ありつつ返済してるのよね
すげー
なんか、けっこう流されてるだけの局面もあるんだけど、バイタリティ溢れる女性であることは確か
なんだか微笑ましい感じもしちゃう女性なのでした
そして本書は桂日之石さんの本棚から
Posted by ブクログ
力道山、、というと、私にとっては、
大好きだった大関貴ノ花のお兄さんである土俵の鬼横綱若乃花の兄弟子。
関脇まで上がりながらひょんなことで相撲界を去り、プロレスの世界へと行ってしまった人。
そして、アントニオ猪木やジャイアント馬場の先輩、、、
位な知識。ある意味伝説の人。
その夫人がこの本のテーマ。主人公。興味があるようなないような、、
事業を手広く広げていた力道山は当時21歳の敬子さんと結婚直後、バーで刺され、
大したケガではなかったはずが、手術、麻酔の失敗で帰らぬ人となる。
1963年12月15日、当時39歳
手広く事業をしていた力道山、資産も多かったが借金も半端なく、
相続の形でいくつもの社長の座に座らされた彼女は所詮21歳。
神奈川県代表の健康優良児で、高校時代には英語論文コンクールで特等賞をとり、
高校卒業後スチュワーデスになる才女ではあったが、経営を知るはずもなく。
周囲にいいように振り回され、会社はぼろぼろ。。
それでも力道山夫人の名で顔は利き、猪木や馬場らと対峙し、
没後何周年のイベントなどをしたり、、。
てな様子が描かれた本。
力道山の顛末を知る、という意味では面白かったけど、
なんだか物悲しくもある。
プロレスってなんだろね。
力道山の孫は2008年に甲子園を沸かせた。慶應義塾高校エースの田村。
その時なしえなかった全国制覇を2023年に実現したってわけだ。
序章 不思議な日
1章 健康優良児
2章 皇后陛下に似てるね
3章 サイコロ
4章 保険金詐欺
5章 生さぬ仲
6章 世紀の大結婚
7章 ニューラテンクォーター
8章 未亡人社長になる
9章 暴力組織追放運動
10章 女の意地
11章 再婚報道
12章 破門状
13章 猪木対タッキー
終章 甲子園
Posted by ブクログ
ご主人だった力道山は、自分が生まれる前の有名人という括りだが、奥様の田中敬子さんは今もプロレスショップで働いている。カウンターに立つ近影は、品のある笑みをたたえお元気そうだ。本作の主人公である。
聡明
ジェットコースターのような人生とよく言うが、望まざるして矢面に立たされ、もう降りれないんだと覚悟し、ご主人を愛し続けることで何とか苦難を乗り越えようとする度胸に感銘した。
男社会、裏社会のおっかない人たちを相手によく生き抜いてこられたものだ。
寸分の苦労も感じさせない微笑みがカッコイイ。さらに幸せな人生を送っていただきたい。
Posted by ブクログ
力道山の奥さんの存在自体を全く今まで意識したことが無かった。
プロレス史の中でも、光があまり当てられていない場所に、とても素晴らしい女性がいたということ。
Posted by ブクログ
力道山、懐かしい!
彼がJALのエアーガールと結婚したことは知っていたが、、、新婦は半年で未亡人になっていたとは!彼の道半ばの事業の後始末、プロレス等の興行、残された義理の子供達の面倒などなど。22歳の未亡人に降りかかる波乱のその後の人生を綴る。
その頃の興行を通しての政治とヤクザの絡み合いも興味深かい。
Posted by ブクログ
幼少期から文武両道であり、狭き門であるキャビンアテンダントのキャリアをスタートした直後、当時既にスターだった力道山の目に留まり22歳で結婚。その僅か半年後に暴力団とのトラブルで刺された夫・力道山が亡くなり、多角経営でもあった彼が残した現在のレートで約30億円の負債を背負わされる。
という、小説よりも奇なり、な人生を20代前半で歩まれた未亡人の敬子さん。
ノンフィクション作品としては以前読んだ『統合失調症の一族』と同様、約60年前の事件を膨大な参考文献で炙り出すその根気にやっぱ痺れる。
けれど本作で何よりも面白かったのは、未亡人敬子さんが、力道山以上の肝の座り方してるとこ笑
俺個人としてはリアルタイムの力道山は知らんが、新日や全日のプロレスの歴史自体はゴン格やKAMINOGEで何となく知ってたし、同じくノンフィクションである『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』で力道山の破天荒さはイメージあった。本作でも、二人の結婚式に山口組組長や柳川組組長がフツーに列席してたり等、まあ時代もあるやろけど、力道山のヤベー奴感は十分に伝わってくる(列席者の肩書きに【右翼・裏社会】が書いてあるん初めて見た笑)。
ただ、その一方で妻敬子さんの、「よりヤベー奴」感!!
若くして夫の負債を全て背負わされ、暴力団・ヤクザやゴリゴリのレスラー等の人間関係を一挙に引き受けなければならない状況になってるにも関わらず、作中の至る所でいい意味でのサイコパスっぷりが発揮されてる。
特に(本人の話ぶりを知らんのであくまで文字から伝わる印象やけど)人の生き死にや億を超える会話のやりとりの中でも、「あら、いいですわよ」的な冷静さが見られるのがめっちゃくちゃ面白い。
それは御年80を超えるご本人が過去を振り返った時のセリフを引用する故にそうなってるからかもしれんけど、それにしても一大事な場面での意思決定の仕方がサッチャー的、「鉄の女」的精神のようで、結果論やけど力道山の妻はこの方しかいない、と思わされた。
ノンフィクションで著名人を追う上で、田中敬子さんを選出された時点で勝ち!といった作品。
#あと全く本筋ではないが、2000年と猪木とタッキーがプロレスしてたことが書かれており、数十年ぶりに思い出して爆笑した。先ほどRIZINで発表されたパッキャオvs鈴木千裕なんて可愛いもんだなと思わされた。
Posted by ブクログ
もし自分が同じ人生を過ごしたとしたら、きっと途中で気持ちがもたなくなっただろうと思う
。プロレス関連本としても面白いし昭和史モノとしても面白く読んだ。
本書はこれまでプロレスファンには当然の事として刷り込まれてきた数々の有名エピソードの真実(と思えるもの)が知られたのも良かった
Posted by ブクログ
奥さん、大変じゃったね。
ってな事で、細田昌志の『力道山 未亡人』
力道山も凄かったけど、奥さんの田中敬子→百田敬子→田中敬子さんも凄いなっと
力道山に見初められて結婚するも、半年後には力道山が行き違いから暴力団の一員に刺され呆気なく亡くなって未亡人になった田中敬子さんの壮絶な人生のお話。
力道山の死後、力道山が経営していたリキエンタープライズ(株)、日本プロレス興行(株)、リキスポーツ(株)、(株)リキボクシング、リキ観光開発(株)の5つの社長を右も左も分からない22歳の未亡人が受け継いだけど、実態は借金地獄で今の価値にすると30億円の負債を背負う事に
それでも何とか奮闘しながら会社を売ったり、やりくりしながら生きてく様が何ともたくましい
今じゃとありえない暴力団(稲川会、山口組、東声会など)との付き合いも当たり前じゃったり、右翼の大御所で闇のフィクサー児玉誉士夫とも当たり前に関係があった時代で、色んな人に助けられながら生きて行く田中敬子さんの壮絶人生記。
元はJALのエアガール(スチュワーデス、CAのこと)で、安部譲二(後に極道になって更に作家に)が同僚だったとか、ジャイアント馬場やアントニオ猪木の若き日の話など、色んなジャンルの話が書かれてて面白かった。
次に読む本は積読してた安部譲二の本を3年越しに読もうと奮わせてくれた本じゃね
2025年2冊目
Posted by ブクログ
寡聞にして知らなかった、というか考えることもなかった力道山未亡人の物語。
負債を含めて遺産を引き継いだのだから当然という見方もあろうが、プロレスに関わり続けているというのが興味深い。
本筋とは別だが、未亡人と日本航空同期入社で公私ともに交流のあった安倍譲二氏の人となりに触れられている部分も面白かった。
Posted by ブクログ
とにかくすごい半生を送ってこられた未亡人の敬子さん。そんな敬子さんが今も元気で店頭に立ってる姿は、苦労を微塵も感じさせなくて、明るそうな笑顔に読み終えたあと少しホッコリさせてくれる。
力道山の生い立ちも知ることができ、猪木や馬場といったレスラーとの関係性も良く分かって、面白い一冊だ。
Posted by ブクログ
とても力強い本でした。
天下の力道山を伴侶に持つということは並大抵の精神では務まることはできないのだと分かります。
アントニオ猪木は力道山にずっと虐げられていたのだと思っていたのですが私の勘違いで彼は力道山の寵愛を受けて付き人をやっていたことに驚きました。
作家の安部譲二の経歴にもこれまたびっくりしました。
Posted by ブクログ
田中敬子氏の半生より当時の政治家や暴力団も含めた裏社会のドロドロした感じが伝わってきてそっちの方に興味がわいた。
あんな社会の一面を知ると本当に日本を牛耳っていたのは誰だったのかな、とか考えてしまう。
少なくとも当時の総理大臣で無い事は確か。
それは現代でも同じなんだろうな。
Posted by ブクログ
かの力道山の奥様、田中敬子さんを中心に、力道山の後始末を描く。
当時のプロレス、あまりにも興行的すぎて、儲かって身を持ち崩す、絵に描いたようなそんな世界。
力道山自体はいろんな事業を、将来見据えてやろうとしてたんだがな。存命していれば、本当に、日本の光景のいろんなところが変わっていたかもしれない。
つか、やっぱり裏社会との関係もあるし、こんな大物の人気者がいたら、大問題になってたかなあ。
プロレス界のこれまで語られて来たことをひっくり返すような内容もあって、そこは面白かったが、全体として、やっぱり、結婚半年で全部押し付けられて、いろんな思惑に振り回されるだけだった敬子氏。
経営者、事業者、社会への影響としては、単に、力道山の奥様であった以外に何もなかった。著者の言いたいこととは違うのかもしれないが、単に受け身で振り回されてしまったご婦人という印象。
Posted by ブクログ
読書記録80.
#力道山未亡人
昭和のヒーロー
力道山
その半生と結婚後、半年で未亡人となった妻の物語
外交官を志し大学進学を希望しながらも、その過程で日本航空の客室乗務員となり、当時の女性としては第一線で活躍していた田中敬子さん
日航の同期には安部譲二氏がいらしたとか
大学進学の希望を持つきっかけをくれたのが
大宅映子さん
関内の天麩羅屋さんのお嬢さん、原由子さんと共に暮らした一時期があるなど、プロレス界、相撲界のみならず誰もが知る昭和の著名な方々の名前が次々と出てくる本書
昭和のヒーロー力道山よりも
その妻田中敬子さんが魅力的に描かれている
Posted by ブクログ
力道山未亡人
著者:細田昌志
発行:2024年6月5日
小学館
力道山と未亡人・敬子さんの縁談話をつくったのは、中日ドラゴンズのスタープレイヤーで、1958年に長嶋茂雄と新人王を争った森徹の母親だったという。本当は森徹の嫁にしたいと思った母親は、敬子の親から写真をもらって息子に勧めようとしたが、徹は19歳の娘さんと結婚してしまう。それならと徹の母親は、仲のよかった力道山はどうかと勧めた。
田中敬子は、まだ採用が始まったばかりの日本航空の客室乗務員(スチュワーデス)をする21歳。子供の頃から聡明で、ICU(国際基督教大学)に入って外交官になることを目指していたが、大学浪人中に試しに受けた日本航空の試験に合格し、とりあえずスチュワーデスになり、世界を飛び回る誰しもが憧れる職業についていた。後に作家・安部譲二となる安部直也は同期入社の客室乗務員だった。なお、敬子は採用試験の際、面接担当者から「皇后陛下に似ている」と言われたらしいが、確かに写真を見ると当時(昭和)の皇后に似ている。
警察官で茅ヶ崎署の署長をしていた父親は、最初、結婚に反対していたが、本人に会うと人柄を認めはじめ、完全に賛成ではなかったが縁談はまとまっていった。力道山との結婚を決めた敬子は、力道山は3回の結婚歴があるが、いずれも内縁関係で今はまったくの他人であること、2番目の妻である元京都の芸妓との間に3人の子供がいるが、すでに19歳~14歳になっていること、同じアパート(リキアパート)の違う階に住んでいること、などを聞かされた上、自分は朝鮮半島生まれだとも言われたが、結婚への決意はまったく揺るがなかった。
しかし、結婚して僅か半年後、22歳の若さで未亡人となる。ホテルニュージャパンにあったクラブ「ニューラテンクォーター」で若いヤクザともめて、刃物で刺されてしまった力道山。取り敢えず、その日は山王病院で応急処置だけ受けて本人希望により帰宅した。絶大な人気を誇るプロレスラーがヤクザごときにやられてはイメージが落ちると思ったからだった。しかし、説得されて病院に戻って手術。うまくいって少しの間、入院生活に。ところが、1週間ほどすると急変し、再手術するも息を引き取った。病院は腸閉塞で再手術としていたが、真実は違ったようだった。敬子のお腹の中には力道山の忘れ形見がいた。
安部譲二は、力道山を刺したヤクザの田村勝志のことを十代の頃から知っていて、刑務所でも1年ほど同じだった。その安部は、田村が第一の矢、山王病院が第二の矢としている。つまり、力道山はヤクザと病院とでグルになって殺されたというわけである。ニューラテンクォーターもグルだという人もいたらしい。事件から30年後、敬子のところに見知らぬ男から電話があった。岐阜で開業医をしているが、2度目の手術の時に研修医として立ち会っていた人間を知っていますが、彼によると明らかに医療ミスだそうです、という内容だった。麻酔をすると血圧がさがり、大騒ぎになりさらに麻酔をするとまたどんどん下がって、手の施しようがなかったという。敬子は、これは本当のことであり、恐らく知り合いの研修医というのは電話の主その人なんだろうと感じた。しかし、この件はこれ以上追及しないようにしよう、力道山もそう望んでいるはずだと考えた。
では、裏にいた人物は誰か?著者は、自民党副総裁で、時期総裁の座を狙っていた国会議員の大野伴睦の名を挙げる。この本の全般に出てくるが、大野伴睦は戦後の日本を暴力で牛耳ってきたヤクザ、右翼と密接な関係にあり、それらの親玉は以前に大野の下で修行をした人物達だった。力道山は、東京オリンピックでの南北朝鮮統一チーム実現のために奔走しており、それがうまくいきそうになっていた。ところが、大野伴睦はそれをよく思っていなかったそうである。
それにしても、山王病院を「怪しい病院」と断言しているのは、すごいことでもある。
力道山はいろいろな事業に手を出していた。自分も住んでいたリキアパート、リキマンション、リキ・スポーツパレスの所有・経営、さまざまなところに土地を所有する不動産業。これらを手がけるのは、リキエンタープライズ。
その筆頭子会社の日本プロレス興業。レストランやボウリング場などリキスポーツ、リキボクシングクラブ(後に藤猛が世界チャンピオンになる)、リキ観光は前年に設立した会社で、相模湖畔にレジャーランド(ゴルフ場や遊園地、ホテル、レース場)の建設に着手していた。もちろん、稼ぎ頭は日本プロレスだった。
力道山が死んだのは1963年12月15日。年が明けて1964年1月4日になると、リキグループの顧問弁護士が訪ねてきて、グループの社長をやってくれといってきた。上記5つのすべての社長をしてほしい、と。スチュワーデスしかしたことのない22歳が社長などできるのか。資産の合計は約30億円(現在の百億円)だったが、相続税で21億円が引かれるので残るのは9億円。一方で、レジャーランド建設着手による負債が8億円あり、それも相続することになる。相続放棄し、自分は客室乗務員に戻って生活する手はあったが、グループで働く人たちを露頭に迷わせるわけにはいかず、社長を引き受けることに。ただ、実際は各社の経営をメインでする人間がいた。
ここから彼女の苦難の道は始まる。稼ぎ頭の日本プロレスは、益々人気を博して利益を上げていくが、社長の豊登が放漫経営をし、ギャンブルに走って会社の金を無断で何千万円もつかみ取ってすってしまう。しかも、敬子は彼に騙されて利益が入ってこなくなる(会社経営と無関係になってしまう)。豊登は追放されて、芳の里が社長に。ところが、この芳の里も不正を働く。猪木が怒り、馬場と一緒になって責任追及を始めるが、馬場が裏切って手を引いてしまう。猪木は切れて日本プロレスを離れ、新日設立へ。
さらに、相模湖畔のゴルフ場建設がうまくいかず、工事を続けることができなくなったばかりか、莫大な借金を抱えてしまう。結局、レジャー施設などを処分し、リキアパートだけを残し、あとは自らが延滞している相続税の支払いを抱えるのみとなった。のちに、それもリキアパートを整理することで帳消しに。
今、80歳を過ぎて、彼女は新日関連のあるショップに立ちながら、人生を楽しんでいるという。
この本の著者については、プロフィールを読んで思い出した。「沢村に真空を飛ばせた男」(新潮社)を書いている。これはなかなか面白い本だった。今回の本も、力道山や猪木、馬場などに関して、報道や噂に乗り、いまだに多くの人に信じられていることに関する真相や裏話が出てきて、面白い本だった。安部譲二という作家にも、もう少し長生きしてもらって、日本の裏社会と政治家、芸能界などについて書いてほしいと思えた。
*********
1961年の大卒初任給1万2900円。日本航空に就職したての敬子は、月給一万3000円、パーディアム(主張費)1回3000円を得ていた。
ある日、コーラスグループのプラターズが整列して乗ってきた。敬子がハッとした顔をすると、一斉に「オンリー、ユー♩」と歌ってくれた。
力道山は、大相撲を離れる理由として、民族差別で昇進出来なかったからとしていたが、それもあったかもしれないが、真実は師匠の二所ノ関親方との金銭的な問題を抱えていたから。部屋の金が回らなくて、チャンコ銭も力道山が肩代わりしていたという。しかも、当然という態度をとられた。
読売新聞の正力松太郎が初代社長になり、日本テレビが開局。巨人対阪神の中継や、白井義男のタイトルマッチ中継、秋の天皇賞の中継などをした。力道山はプロレスも中継してほしいと正力松太郎への接触を試みたが、全く相手にされなかった。理由の一つは、力道山が朝鮮半島出身だから。関東大震災の折、正力は「朝鮮人が暴動を起こす」という流言飛語を広める側に立って行動していたため、力道山との面会を躊躇した。
シャープ兄弟と戦ったのは、力道山と木村政彦。その木村と力道山による日本人対決が行われたが、木村は完膚なきまでに叩きのめされた。敗れた木村は「引き分けという約束だったのに、力道山が約束を破って襲いかかってきた」と発言したため、純然たるスポーツとしてプロレスを扱ってきた一般マスコミは一斉に手を引いた。
田中敬子の父、勝五郎は、敬子の結婚前、力道山への不信感を拭えずにいた。黒い噂が絶えなかったから。茅ヶ崎署の署長だった彼は、警視総監の原文兵衛にたのんで身辺調査をしてもらった。その結果、ヤクザと盃は交わしていないとのことだった。
結婚式は、それまでのド派手結婚式記録である高島忠夫の記録を塗り替えようと、招待状を配りまくっていた。安部譲二は、招待状を3枚、もらった。日本航空からもらったもので出席したが、ヤクザがいっぱいいて顔見知りいっぱいだった。そこに、後に力道山を刺し殺した田村勝志も紛れ込んでいたのを目撃していた(招待状がなくても紛れ込める)。
力道山の本籍地は長崎県大村。出生地は日本統治下の朝鮮半島。咸鏡南道(ハムギョンナムド)洪原(ホンウォン)郡(現在の北朝鮮咸鏡南道と江原(カンウォン)道の一部)に生まれた。出生名は金信洛(キムシンラク)。朝鮮総督府警察・警部補の小方寅一に誘われて二所ノ関部屋へ。
力道山は、赤坂に住み、赤坂で飲み歩き、赤坂をラスベガスにすると言っていた。行政解剖を終えた力道山の遺体は、慶応病院を出て、青山1丁目の交差点を左折。警察官の姿が目立つように。虎屋を右折して赤坂に入ると数メートルおきに警察官が立つ。力道山の通夜が行われるとのことで、警察官が配備されていた。いつもは賑やかな一ツ木通りも静まり返っていた。料亭も休み、街をあげて力道山を送ろうとしていた。
葬儀では、美空ひばり、時津風親方、伴淳三郎が弔辞を読み、焼香へ。児玉誉士夫、河野一郎・・・進む中で敬子の父親である田中勝五郎が抗議した。故人の岳父にして警察官の自分が、ヤクザの後回しにされるのは納得いかない、と。田中の前には山口組三代目の田岡一雄がいた。
敬子がひきついだ頃。日本プロレスは年に143の興行を打っていたが、日本プロレス主催は60ほどで、残りは各都市・土地に根をはる興行師が請け負っていた。これが、ヤクザに莫大な利益をもたらせた。東の稲川会、東声会、北星会。西は神戸芸能社(山口組)。それらに睨みをきかせて牛耳っていたのは、自民党の大野伴睦だった。当時のヤクザの最大の収入源はクスリでもなければショバ代でもなく、これだった。
ジャニー喜多川は、代々木公園であそんでいる少年達に片っ端から声をかけて、少年野球チームを作った。ジャニーズの原型となった。その中に、力道山もいた。その円もあり、猪木とタッキーのプロレスエキシビジョンが実現した。