あらすじ
25歳で七冠を制した羽生善治。
勝敗の数を超えたその強さと人生を、
藤井聡太らトップ棋士たちとの闘いを通じて描く。
宇宙のように広がる盤上で駒をぶつけあう者たち――。
本書は、名対局の一瞬一手に潜むドラマを見逃すことなく活写してゆく。
中学生で棋士となった昭和。勝率は8割を超え棋界の頂に立った平成。
順位戦B級1組に陥落した令和。三つの時代、2千局以上を指し続けた
羽生善治、そして共に同じ時代を闘ったトップ棋士たちの姿を見つめながら、
棋士という“いきもの”の智と業をも浮かび上がらせる。
「週刊文春」連載時より大きな反響を呼んだノンフィクションに
新たな取材、加筆を行った堂々の一冊。
【主な登場棋士】
米長邦雄/豊島将之/谷川浩司/森内俊之/佐藤康光/深浦康市/渡辺明/藤井聡太
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
棋譜の詳細内容には全く触れず、つまり将棋の内容は全く追わず、「人間模様」の描写だけでここまで読ませるとは、なかなかの傑作と思います。米長邦雄から渡辺明まで、羽生善治とぶつかり、通り過ぎていった天才棋書たちの物語。どの章にもドラマがあります。
Posted by ブクログ
めちゃんこ面白かったです。自分は、将棋の事には全く詳しくないのですが、それでもめちゃんこ面白かった。やっぱ、鈴木忠平さんの文章が好き、というか、忠平さんの考え方が、世の中の見方が好きなんだろうなあ、ということをね、感じますね。
羽生善治、という将棋界の空前絶後の超スーパースターの存在を中心に、同時代に存在する他の棋士のかたがたが、羽生さんをどうとらえ、自分をどのように将棋界に位置づけようとするのか。という群像劇、でありますね。羽生さんが中心にいるのは間違いないのですが、その羽生さん自身には物事を語らせない。物事を語るのは、周りの人々。
という意味では、「嫌われた監督」と構成は同じだな、と。あの本でも、落合博満監督を物語のど真ん中に置きつつ、その落合監督の周囲の人々が、どのように感化されたか?を描いた物語だったと思いますので。忠平さんは、そういう物語の積み重ね方が好きなんだろうなあ、という気がします。
超スーパースターがおり、その存在を軸に、その周りの環境下におかれた人々は、何を考え、何をするのか?それを軸に、超スーパースターの存在を、間接的に描き出そうとする、試み。いわば「不在の在」を描こうとするやりかた、とでも言いますか。
小説で言いますと、朝井リョウ氏「桐島、部活やめるってよ」と同じ書き方、といいますか。でもゴメン。実は僕は、あの作品は、朝井氏の小説版よりも吉田大八監督の映画版の方が好きなんです、、、ばんばん閑話休題ですね。すみませんですね。
なにしろ、将棋に全く詳しくない自分が読んでも、物語の世界にグイグイと引き込まれる訳です。羽生善治、という存在の傑出っぷりに。そして、その周りの同世代の棋士たちの、その気持ちにグッとくるわけです。やっぱ、鈴木忠平という男の書く文章は、ハンパないな。人を惹きつけまくるな。ひとを、というか、僕を惹きつけまくるな、と。次回の作品も、ガッツリ楽しみにしております!
Posted by ブクログ
一般人にはあまり興味のわかなかった将棋のタイトル戦をここまで面白く書ける鈴木忠平さんに脱帽です。タイトル戦の前にこの様な文章を読めばテレビ中継を見る気にもなるよ。NHKでの事前解説番組でもいいので、将棋連盟はこういった演出を鈴木忠平さんにお願いして盛り上げるようなことをしてほしいです。将棋の世界は面白い!
Posted by ブクログ
将棋界と将棋の奥深さを感じる。主人公を取り巻く様々な関係者を丹念に取材していて感嘆する。状況を容易にイメージできるのもこの著者ならではだと思う。谷川浩司の生き方に共感。IT化とAI登場により将棋そのものが変わってしまっているとのことだが、スポーツの世界と同様にパフォーマンスを出し続けて行くことの難しさを感じる。(Audible)
Posted by ブクログ
落合博満のノンフィクション『嫌われた監督』で知られる著者が、将棋をテーマとした作品。羽生善治自身よりも、羽生と相まみえた天才棋士たちが、羽生とどう苦闘し、どう変わっていったのかが、主に描かれている。臨場感のある群像劇。
Posted by ブクログ
羽生善治と対戦した人の想いから、羽生善治という棋士の本質に迫っていて、いまだ成らず、の真意が立体的に浮かび上がってきた。勝敗を超えて将棋の結末を追い求める、求道者としての生き方こそ、天才的だと感じた
Posted by ブクログ
20年に一人の天才棋士、羽生善治とその周りの棋士たちに関するドキュメンタリー。
将棋をロジカルなパズルとして再定義した天才が、AI時代の申し子であり、次世代の天才である藤井聡太とどう向き合うのか。
今後のさらなる活躍に期待したい。
Posted by ブクログ
羽生先生の目標とするものを、森内九段や豊島九段などの対局者視点で追って行こうとする内容。単純に読み物としても面白かった。しかし、羽生先生の視点からの記述がないので、いまだ成らずというタイトルに対して「何が?」というものが見えなかったのが残念。
対戦者にほぼ共通しているのは、羽生先生の「問いかけるような手」に幻惑され、敗着を差してしまうという反省。人によってはこれを羽生マジックと呼ぶ人もいる。
しかし、羽生先生の著書と関連書をほぼ読んできた自分としては、これは本当に「問いかけ」だったんだろうと思ってしまう。
羽生先生でも七冠を制覇した後、目標を見失ったことがあり、また40代には「何をすれば強くなるのかわからない」とおっしゃっていたことがあった。ずっと棋界の先頭を走り、AIも存在しない時代、いくら勉強しても、その成長を測る尺度もない道を歩かなければならないのは、想像もできない孤独だったはず。
羽生先生は羽生の頭脳の中で、「この戦型の答えをこのタイトル戦で見つけたかった」と書かれることがあった。あの時代、タイトル戦という最高峰の舞台で対局者と将棋の結論を探していたんだと思う。
将棋の棋譜は二人で作っていくものなので、両者が等しく強くなければ納得いく答えは出せないだろう。羽生先生は当時自分の研究のほぼすべてを曝け出した「羽生の頭脳」を出されたけど、こういった勝負師として考えられない行動も、きっと「ここまで私は研究しました。この後は皆さんと一緒に考えたい」というメッセージのように思ってしまう。
令和になり、将棋AIが人間より遥かに強くなった今、現在最強の藤井聡太といえども目の前の道は将棋ソフトが整備してくれる。現実問題、もうみんなで強くならなくても、将棋の探究は続けられるようになった。
この時代に、羽生先生は何を目標として第一線の棋士を続けているんだろうと、一ファンとして非常に気になる。
Posted by ブクログ
鈴木忠平さん。
上手いなあ。
スポーツライターかと思っていたけど、将棋をよく知らない自分まで読ませる本を作られた。
将棋どこまで勉強されたのか。
それをどうやって、平易に書いたのか。
凄いなあ。
Posted by ブクログ
羽生善治を中心に米長邦雄/豊島将之/谷川浩司/森内俊之/佐藤康光/深浦康市/渡辺明の8人の棋士について描いた一冊。
どの棋士の話も面白かった。
Posted by ブクログ
数々の名棋士や記者から羽生さんの戦いを描いたノンフィクションブック
どの棋士からも「あなたはどのように打ちますか?」というような問いを盤上から受け取るとのこと。
時代や定石を疑い続け、負けたとしても進み続ける胆力が凄まじい。
また、藤井さんはAIを駆使しながら研究しているが、羽生さんは過去の戦いなども元にしながら定石を崩し、戦い方を作っている。
誰に対してもフラットであるパーソナリティと、常に抽象的に問い続ける力はどの棋士よりも高く、勝ちにこだわりながらも次のゲームやルールなどを作るようなアップデートする柔軟な思考が羽生さんの真髄であるように受け取った。
Posted by ブクログ
いくつになっても好奇心や探究心を持ち続けることの大切さを感じる。羽生善治さんの魅力や軌跡を本人ではなく周りの方々を通して辿る。巨匠、同世代のライバル、若き才能が、強さだけでなく姿勢に刺激を受けていく。ミドル世代には是非おすすめしたい一冊。
Posted by ブクログ
棋士たちのノンフィクションという帯を見てめちゃくちゃ気になって買った。
名前や顔は知ってるけど人柄や生い立ちまでは知らなかった棋士たちのいろんなエピソードが丁寧に描かれていて興味深く読めた。常識を疑う。敗北を恐れない。棋士一人ひとりが成長する過程で、自分も何か見つけられるような気がする本だった。
あとは、対局場所の描写が素敵で行ってみたくなった。特に伊香保温泉。いつか行ってみたいと思う。
Posted by ブクログ
羽生善治さんと1つ違いなので、勝手に羽生世代を名乗らせてもらっている自分としては、「嫌われた監督」の著者が羽生善治さんについて書いた本を読まない訳にはいかない。
結果は、ほぼ知っているのに、藤井聡太はじめ多くのライバルたちとの死闘に手に汗握り、その胸中に胸を熱くした。
羽生善治のいる時代に生きてて良かった。
Posted by ブクログ
羽生さんは25歳で当時のタイトルを全制覇して7冠になり、タイトルの獲得合計は99期にもなる。
渡辺明が30期、谷川浩司が27期なので、羽生さんが如何に突出しているかが分かる。
藤井聡太は現在まだ22歳だが、タイトル獲得合計は既に23期。
来年にも渡辺、谷川を抜く勢いで勝ち続けている。
令和の天才棋士藤井聡太でも、今後タイトル戦を全て勝ち続けても羽生さんに追いつくまで10年間かかる。
そんな羽生善治と戦ってきたトップ棋士を通して羽生善治という棋士の姿を著したものだ。
取り上げられたのは、以下の錚々たる実力者たち。
対戦成績はどうなのか知りたくなったので調べてみた。
羽生さんから見た、勝-負 を棋士名の後に付加した。
米長邦雄 16-10
豊島将之 23-27
谷川浩司 106-62
森内俊之 80-61
佐藤康光 113-55
深浦康市 49-33
渡辺明 44-39
藤井聡太はいないのか?と残念に思ったが、そうではなかった。
章の始めや最後に、2023年に行われた王将戦で52歳の羽生が20歳の藤井に挑戦した様子が語られていた。
この王将戦は藤井vs羽生の唯一のタイトル戦で、最初で最後のタイトル戦かも知れないと思っている。
対局数が10以上で羽生さんが負け越している棋士も調べてみた。
佐藤天彦 11-15
永瀬拓矢 8-15
菅井竜也 6-9
藤井聡太 3-14
羽生さんは順位戦のA級から陥落してしまったが、さすがにA級クラスは強者の集まりだ。
羽生さんが複数タイトルを保持していた時代は、谷川浩司や森内俊之や佐藤康光に勝たないと挑戦権を得られなかった。
今の将棋界でタイトルを獲得すると言うことは、藤井聡太に勝つということだが、
タイトル挑戦者になるためには、豊島将之や渡辺明や永瀬拓矢に勝たねばならないということ。
羽生さんでも相当に難しい。
ほぼ全てのトップ棋士が藤井聡太対策を探る中で、羽生善治さんは何をモチベーションにして将棋を指しているのだろう。
「いまだ成らず」とは、まだ何かを探り続けているということだ。
Posted by ブクログ
ダリは奇抜な言動で知られる異端の芸術家でもあった。盤上に絶対的な正し求める彼がなぜ、現実離れしたダリの世界に惹かれるのか。正統派と評される棋士あらゆる先入観を疑うような前衛芸術家。一見すると不思議な組み合わせに思えた。
だが、信じることと疑うこと、それらは相反するゆえに引っ張り合うような関係であるとも言えた。身ひとつで勝負に生きる棋士は自分をじなければ戦っていくことはできない。
その反面、現状を疑い、絶えず変化しなければやがて淘汰されることになる。身に染みて、そのことを知っていた。だから自分に言い聞かせてきた。
すべては疑いうるし。
カール・マルクスがそれを思考の前提としたように、今、常識とされているものを、今の自分を、疑ってきた。
他者が説むような王道を突き進んできた佐藤もまた、自分を疑い始めているのかもしれなかった。そして、その引き金になったのが羽生という棋士の存在であった。
Posted by ブクログ
将棋は生身の人間が人生を賭けて勝負しているからこそ、様々なエピソードが生まれ、それらも含めて魅力的なコンテンツであり続けていると思った。
それぞれのエピソードは羽生さんとの対局を通じて、対戦相手側にスポットを当てた構成になっているが、どの棋士も将棋への向き合い方や背景にあるものが違っていて、面白く読めたし、純粋に将棋が強くなりたいという気持ちが強く感じられ、心を揺さぶられた。
Posted by ブクログ
『嫌われた監督』の著者による羽生善治ルポ。
『嫌われた監督』がすごく良かったので、こちらも読んでみた。とても読みやすく、一気に読んでしまった。
本人よりも周囲の人物を描くことで、結果的に主題となる人物を浮き上がらせる手法は、『嫌われた監督』と同じ。ただし、今回その手法が成功しているかというと、微妙な気がする。
理由はいくつかあって、
・『嫌われた監督』が良すぎて、どうしても比較してしまう。
・羽生さんは比較的オープンな人で、考え方や人柄が知られているので、驚きが少ない。(個人的に元から将棋や棋士にそれなりに関心があって、予備知識があるからという要素はある。)
みたいな感じ。
どちらかというと本書の主役は、羽生さんと戦ってきた棋士たちの方だと思える。悪い言い方をすると「羽生善治被害者の会」って感じだけど、皆、羽生さんと戦う中で自分の将棋を見つめ直し、悩みながらも前に進むもうとする。その姿には胸が熱くなるものがあり、さすが歴戦のスポーツライターが描いているな、という感じでとても良かった。
Posted by ブクログ
対局の様子を臨場感たっぷりに記述しており素晴らしい本だと思います。
難しいのかもしれませんが、私は羽生さんの内面が何より知りたいです。引退後までそのような本は出ないのかもしれませんね。
そういう意味で、少し期待とはズレていました。
Posted by ブクログ
将棋(の対局・棋譜)の中身にほとんど立ち入らずに人間ドラマだけでここまで読めるように描けるのはすごい。
しかし、中に立ち入らないからこそ、読み応えに欠けるところもあったと思う。『嫌われた監督』が、三遊間のノックについてとか、開幕投手というものについてとか、野球についてある程度分かっている読者が多いからこそ共有していた前提のような知識があり臨場感を作っていたのに対して、やや不完全燃焼になったのはそういうところからかと思う。
(あえて言えば渡辺が羽生との対局で「打ち歩詰め」があるから勝てるかもと気づいた辺りは将棋の中身あっての面白さかな。本書で唯一の。)
とはいえ、棋士の孤独性(ともに戦ってくれる者はいない)、米永は先見性ゆえ羽生に負けることが見えていたのでは(それゆえ盃に注ぎにいった)、若いころの羽生の強さ(定石に入り込み、没頭し、強い者との対局も嫌がらない)、藤井の大人びた発言、あたりは面白かった。
巻末で羽生が専門誌のインタビューで語った「将棋というのはつまりどういう結論になるのか、ということは常に念頭にあります」という発言、この頃から羽生が勝敗を越えて将棋の本質を探すために指すようになったという指摘は面白かったが、本書でなくても指摘されていることだしなあとも。
Posted by ブクログ
羽生善治名人(と呼ぶのが正しいのかはわからないが、一般的な意味での名人ということでよかろう)と対戦した人々を描きつつ、羽生善治本人の像を浮かび上がらせようというノンフィクション。
登場人物はそれなりに多く、とはいえ一人一人を丁寧に描くのは難しい。
最近読んだ本だと「怪物と闘うということ」が似た構成だが、あの作品ほど丁寧に出来ていない。
いや、「怪物〜」がとても良く出来た作品なんだが、残念だ。
とはいえ、将棋の魅力に取り憑かれた男たちの人生は魅力的だし、その交わりの中心にいる羽生善治の凄さは際立っているから、作品として充分成立していると思う。
天才は凄いよねぇ…。
Posted by ブクログ
鈴木 忠平氏の作品はクオリティが保証されていると思って手に取った。
内面を深くえぐるほどの圧倒的な凄みのある作品というよりかは、
表紙の印象から受けるように淡い色合いの作品に思えた
Posted by ブクログ
【感想】
2018年10月、第31期竜王戦七番勝負。勝てばタイトル通算100期となる羽生善治に、挑戦者の広瀬章人が挑む。勝負は最終戦第7局までもつれ込んだ末、羽生が敗れた。これで羽生は1991年3月以来、27年9か月ぶりに「無冠」となった。
思えば、羽生は勝負の世界において、27年もの間トップであり続けたのだ。尋常ではない。歳を取るごとに思考力が衰えていく中、若手は次々と台頭してくる。そんな中挑戦者を退け続け、27年間棋界の頂点に君臨した。もはや天才を通り越した「神」の領域である。
一体、羽生という男はなんなのか。その思考は。その生きざまは。
そして、羽生は一体どのようにして、将棋と向き合ってきたのか。
本書『いまだ成らず 羽生善治の譜』は、将棋界のトップランナーであった羽生善治の強さを、同じトップ棋士たちの視点や回想から描いたノンフィクションである。
多くのトップ棋士が語るのは、羽生という男は、将棋における「勝利」や「敗北」という結果から超えた場所を歩いている、ということだ。ほぼ全ての棋士が、長い棋士生活の中で挫折を味わっている。その全てが敗北に関することだ。タイトル保持は多くの棋士の夢だが、挑戦権を得ることができるのはほんの一握りだけだ。そしていざ挑戦権を手にしても、その向かいには羽生が座っている。羽生時代の棋士にとって、「タイトルを手にする」というのは「羽生を下す」ことと同義であり、それを27年間幾度となく阻まれ続けてきた。多くの敗北を羽生に植え付けられ、時には自らの人生が変わることもあった。だから羽生以外の棋士は必然的に、「勝利」と「敗北」に執着せざるをえないのだ。
では、それが「羽生の番」になったらどうなるのか?つまり、羽生の棋力が衰え無冠へと失墜したら、他の者と同じように挫折を味わうことになるのか?そして、再び頂を目指すことはできるのだろうのか?
普通に考えれば、二度と上には上がってこられないだろう。52歳という年齢の棋士が、AI研究を取り入れているフレッシュな若手相手に思考力の闘いを挑んでも、結果は目に見えている。羽生と言えど年齢差は埋められるものではない。だから世間は、羽生がA級から陥落した時、その進退を問いたのだ。
しかしながら、羽生は違った。自らも新たにAI研究を取り入れながら、戦いを勝ち上がり、王将戦挑戦者として盤の前に座したのだ。相対するは、現役最強・藤井聡太。史上最年少で5冠(当時)を達成し、いずれ羽生すらも超えていこうとする男である。
まだ羽生は死んでいない。それと同時に、まだ羽生は完成していない――。
その生きざま、将棋との向き合い方は、老いてなお若かりし頃と同じ輝きを放っていた。
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【まとめ】
1 A級陥落
2022年2月4日、第80期A級順位戦8回戦。羽生善治が永瀬拓矢との対局に敗れ、B級降格が確定した。
羽生がA級から姿を消す。それは棋界の大きな転換点だった。
世間では羽生の進退が問われていた。2021年度には勝率が3割台にまで落ち込んでおり、同時に藤井聡太を筆頭にAIに順応した若手棋士たちが台頭し始め、ますます厳しい戦いを強いられていた。それは誰も逆らうことのできない時間の流れだった。もし抗おうとするならば、棋界で誰より多くのタイトルを獲得してきた羽生はこれまで積み上げたものを捨てる必要があるが、それでも勝てる保証はないのだ。
しかし、羽生が下した決断は、現役続行だった。
2 米長邦雄
1993年、米長邦雄の名人就位式が京王プラザホテルで行われた。壇上で米長はこう発言した。
「これは私個人の心配事になりますが……来年はあれが出てくるんじゃないかと」
会場中の視線が米長の指差した先へと向けられた。そこにいたのは22歳の羽生善治だった。
羽生は笑みを浮かべていた。顔にはあどけなさの残る羽生だが、時折、全てを見通したような確信的な表情を見せることがあった。無邪気と老成が表裏一体となったようなその温度差が、羽生という人物の印象をつかみどころのないものにしていた。
熱狂の宴の中、羽生は微笑みながら真っ直ぐに壇上の米長を見つめていた。
私もそのつもりでおります――まるでそう言っているかのような眼差しだった。
1年後、第52期名人戦。米長の予期した通り羽生は挑戦者として座っていた。福岡で行われた第6局で羽生が4勝目をあげ、新名人が誕生した。
なぜあの就任式の日、米長は羽生を指名したのか。
おそらく米長はその先見性ゆえ、見えてしまったのではないか。移りゆく時代の要請を聞いてしまったのではないか。羽生の時代がくる――。内なる声にあらん限りを尽くして抗ったが、予見した通り青年は50歳の自分がようやく手にした名人位を奪い去っていった。米長には、相反する感情がぶつかった末の清々しい達観が込められているように見えた。
3 豊島将之
A級陥落となった敗局から9カ月後、羽生は再びスポットライトを浴びていた。この日、行われたのは翌年1月から始まる第72期王将戦の挑戦者を決める対局だった。20歳の五冠王、藤井聡太に挑むのは誰か。その戦いに羽生は勝った。将棋界待望の一戦を実現させたのだ。
劇的なカムバックだった。羽生はこの年の2月に順位戦A級から陥落したばかりである。彼の時代は終わったのではないか――多くの者がそう考えたが、名人の渡辺明や王座の永瀬拓矢などトップ棋士が集う王将戦挑戦者決定リーグを6戦全勝で勝ち抜けた。前年度、3割台に落ち込んでいた勝率も今シーズンは7割に迫っていた。まるで時の流れに逆らうようにタイトル戦の舞台に戻ってきた。
羽生に一体、何があったのか――。
その答えは、AI研究だった。羽生は時代の流れに乗るように、AI研究を取り入れ始めたのだ。
豊島がAI研究を取り入れたのは、2014年、自身2度目のタイトル戦、第62期王座戦で羽生に敗れてからだった。それまで6年ほど、斎藤慎太郎とマンツーマンで研究会を行っていたが、羽生に敗れてから姿を見せなくなった。人間ではなく、人工知能を相手に研究する道を選んだのだ。
そこから豊島の勝率は年を追うごとに上昇していった。2017年度には7割を超えた。
ソフトは時折、豊島が絶対に選ばない手を指してきた。今、その局面の最善手のみを割り出そうとする人工知能は前後関係や美学に縛られることなく手を選んでくる。ところが人間はそうはいかない。棋士たちは幼い頃から先人がつくり上げてきた定跡をまず頭に叩き込む。その上に出会いや経験が積み重なり、その棋士の棋風が生まれる。局面が進めば、ほぼ無限に近い選択肢が生まれ、それを全て読むことが不可能である以上、指し手はまず定跡から外れる手、筋が悪いとされる手を除外してから読み筋を絞り込んでいく。そして最終的な決断にはたとえわずかでも、相手に抱く印象や、自分がどんな棋士でありたいかという流儀や美学が影響することになる。
豊島はAIと向き合って、自分の将棋を見つめ直す作業を繰り返した。触れる前は棋士の敵になるかもしれないと考えていた人工知能が、将棋という無限の宇宙を探究する同志であり、時に教師であるように思えてきた。気づけば胸に渦巻いていた危機感は消えていた。朝から夕刻まで、時には夜半まで誰とも会わずにパソコンと向き合っていても、豊島はそれを孤独だとは感じなかった。
2018年7月、棋聖戦第5局。羽生にとってはタイトル通算100期、豊島にとっては初タイトルのかかる対局だった。108手目、羽生が投了。豊島の努力が報われた瞬間だった。
羽生はタイトル100期を逃したことについて問われると、少し間を置いて言った。
「次の舞台の時に……目指してやっていけたらいいなと思っています」
デビューから四半世紀以上に渡り、盤上の探究と結果を同時に求め続けるその姿は、敗れてなお他の追随を許さない光を放っていた。
4 谷川浩司
2023年、第72期王将戦。史上最年少で5冠王になった藤井聡太に、タイトル100期がかかる羽生善治が挑む。
谷川浩司は立会人として対局室に座していた。
谷川が刮目したのは、このタイトル戦を通しての羽生の姿であった。羽生は明らかにAI研究による最新型を自分の中に吸収していた。その上であえてAI研究にはない型を採用していた。つまり時代の波に乗るだけでなく、それを自分のものとし、核心を求めて深部に分け入っていこうとしていた。
1996年、第45期王将戦。谷川は25歳の羽生に敗れ、7冠独占を許した。世間が羽生フィーバーに沸くのと対照的に、自身は無冠へと失墜した。
谷川は他の棋士が羨む才能を持っていた。相手の読みを上回るスピードで敵玉を寄せる終盤力は、「光速の寄せ」と表現され、自身の代名詞となった。谷川は将棋にのめり込んだ幼少期からよく詰将棋を解いていた。やがて解くだけでなく創作するようになった。谷川は詰将棋を創作することで自分でも知らず知らずのうちにその才能を磨いていた。そしていつの間にか、勝負を決定づける終盤の局面を他者より速く読み切る力を身につけていたのだ。
だが、羽生の前ではそうはいかなかった。一直線に間合いを詰めるような谷川に対し、羽生の将棋は曲線的で、自在だった。特に中盤から終盤にかけて局面を複雑にさせるような手を放った。周囲が「羽生マジック」と呼ぶ手である。すると、これまでなら見えていたはずの光の道が見えなくなった。形勢有利な状況から何度も逆転負けを喫した。谷川にとって、ほとんど経験したことのない負け方だった。自分を超えるかもしれない才能に遭遇したのは、ほとんど初めてのことだった。
あと10年遅く生まれてくれれば……。正直、羽生に対してそんな屈折した思いを抱いた瞬間もあった。
羽生に7冠独占を許してから谷川はもがき続けた。そして1996年、第9期竜王戦で羽生と対峙する。第2局、1年7カ月ぶりにタイトル戦で羽生を下した谷川は、そのまま4連勝でタイトルを奪取した。
戦い終えたばかりの胸には安堵と昂りがあった。また同時に一つ引っかかっていることがあった。羽生の変調である。
この竜王戦が始まってからずっと感じていたことだが、羽生はどこかこれまでと違っていた。いつもなら苦しい局面をひっくり返すような受けを見せる場面で、最も平凡な手を指し、そのまま敗れた。羽生はそんな負け方をする棋士ではなかった。あるいは7つ保持したタイトルを守り続ける中で擦り切れた部分があるのだろうか。羽生もまた他の棋士にはうかがいしれない葛藤を抱えているのだろうか。
5 渡辺明
第72期王将戦第4局。羽生は藤井を破り、タイトル戦を2勝2敗のタイに戻していた。七番勝負のタイトル戦において、藤井が4戦を終えた時点でタイに持ち込まれるのは初めてのことだった。
棋士のピークは20代半ばまでだと言われる。若さと強さがほぼ同義であるこの世界において、52歳の棋士が現在のトップランナーに伍している――。
その後羽生は第5局を落とし、2勝3敗と王手をかけられていた。
続く6局目、局面は藤井が1日目から続く優勢を少しずつ強めていく展開になっていた。羽生からすれば、指せば指すほどリードを奪われていくような展開だった。検討陣も明らかに羽生の旗色が悪いと見ているようだった。
羽生が頭を下げたのは、まだ佐賀の空に陽が残っている時刻だった。
「負けました」
藤井は深い礼をもってそれに応えた。午後3時56分、羽生と藤井の王将戦が終わった。想像していたよりも早い終局時刻だった。
「封じ手のところはもう悪いと思っていました。その前に問題があったのでは……」「手が難しい将棋になりました。なかなか良い組み合わせが見当たらなくて、ちょっとずつ苦しくしていったかなと思います」
計り知れないほど大きなものを賭けた戦いを終えたばかりであっても、羽生はほとんど感情を表出させなかった。
王将戦の様子を画面越しに見ていた渡辺明は、思うことがあった。
なぜ、あれほど楽しそうな顔をしているのか?
不思議だった。棋士にとっての敗北とは、他に数多ある競技のそれと似ているようで非なるものだ。なぜなら、タイムアップやスコアや第三者の判定が敗北を決するわけではなく、自ら「負けました」と頭を下げなければならないからだ。その痛みを分かち合うものは他におらず、ただ一人、自分だけがその場において完全に敗者となる。それゆえ受け入れ難いのだ。
敗北とどう向き合うか、それは棋士にとって永遠のテーマだ。
2008年の秋、将棋界は「百年に一度の大勝負」と言われるタイトル戦に沸いていた。
第21期竜王戦。渡辺が連続在位5期で初代永世竜王となるか、羽生が奪取して史上初の永世7冠を達成するか。ともに永世称号をかけた七番勝負であった。
渡辺は3連敗で後が無くなってから3連勝し、星を五分に戻していた。
渡辺は、何故開幕局から連敗していたのか、自らの内面に巣くう要因に気づいたのだ。振り返ってみれば、第3局までの将棋は安全策に徹し過ぎていた。自らチャンスの芽を摘んでいるようなものだった。19歳で挑んだ王座戦、最終局で羽生に敗れた夜、渡辺は人生で初めて負けて泣いた。あの涙は、幼い頃から冷静に敗北を消化してきた棋士に、タイトルを手にすることへの渇望を生んだ。あれから渡辺は竜王を奪い、タイトルホルダーとなり、防衛を続けてきた。ただ、その渇望は、羽生という最強の挑戦者を迎えたこの番勝負で、いつしか負けることへの怖れになっていたのかもしれなかった。
それでは羽生さん相手に勝てるわけがない……。
それが、あの第4局で渡辺が気づいたことだった。
羽生は敗北を怖れなかった。少なくとも第三者の目にはそう映った。そんな羽生を倒すためには、自らもリスクを背負い、挑んでいくしかないではないか――。3連敗と3連勝の裏で渡辺が最も変わったのはそうした内面であるのかもしれなかった。
渡辺が息を呑んだのは午後7時過ぎだった。羽生の107手目、手にした飛車を自陣内で動かすか、渡辺玉に近づけるか。横に動くか、前に出るか。2つの選択肢がある局面で羽生の右手が盤上を彷徨ったのだ。19歳のあの夜に見た手の震えとは異なっていた。まるで行き場を探しているようだった。
指し手の優劣がつかなくて迷っているのかもしれない……。そう思わせるような指の動きだった。
勝負はその一手を境に動き始めた。形勢は若き竜王に傾いた。渡辺が羽生玉の頭に歩を打つ。その攻め手がさらに道を拓いていく。そして128手目、渡辺はついに投了図を見た。勝てる……。だが、その瞬間から怖くなった。胸の内から消えていた敗北への恐怖が頭をもたげてきた。
本当に勝てるのか?
ここから逆転するのが羽生善治という棋士ではないのか?
あと一歩で羽生に屈した5年前の痛みは深層心理に残っていた。限られた時間の中で、渡辺は何度も何度も勝ち筋を読み直した。
天童の街が闇に包まれた午後7時30分、渡辺の耳に投了を告げる羽生の声が響いた。「負けました」
その瞬間、全身から何かが抜け落ちていくような感覚に陥った。タイトル戦史上最大の逆転劇を成し遂げた渡辺は全てを出しつくしたかのように、その場でがっくりと項垂れた。
指先から本筋が溢れ出てくるような人―――渡辺は羽生をそう表現した。それならば、渡辺は決して勝敗を天運に委ねることなく、最後の瞬間まで手を捻り出すことのできる棋士だった。
初代永世竜王となった渡辺は「嬉しいです」と声を絞り出したが、その顔に笑みはなかった。敗北の痛みも、勝負の怖さも知っている者の顔だった。渡辺は羽生との竜王戦において、自らの人生を変えてみせた。
2023年、棋王戦第4局。渡辺は藤井に敗れ、10年間保持し続けてきたタイトルを失った。敗戦の後の足取りは重かった。それでも渡辺は次の一歩を踏み出さなければならなかった。
そんなとき、ふと脳裏に浮かぶ光景があった。藤井と王将戦を戦って敗れた羽生の姿である。
盤面を見ていれば、52歳の挑戦者がどんな研究をどれほどしているのかは推察できた。それは決して諦観の境地に足を踏み入れた者の将棋ではなかった。羽生は明らかに最新型を取り入れ、そのさらに奥深くへ進もうとしていた。
かつての将棋界は50歳にさしかかれば、第一線から退き、立会人や解説を務めながら師として振る舞うのが一般的だった。だが、羽生は違った。今なお、まだ何も成し遂げていないかのように戦っていた。
Posted by ブクログ
羽生善治さんを描いた本。筆者の鈴木忠平さんが好きなので読みました。
構成としては羽生さんのライバルである谷川浩司さんや森内俊之さんを描くことで、羽生さんを浮かび上がらせようとしたのだと思います。ただ、肝心の羽生さんの言葉があまり出てこないので、鈴木さんの描きたかった羽生像がはっきりとはしませんでした。次作に期待したいと思います。