あらすじ
登山で頂上まで行く? 途中で降りられる?
「『あきらめる』って言葉、古語ではいい意味だったんですってね。『明らかにする』が語源らしいんです」
近所の川沿いを散歩するのが日課の早乙女雄大。
入院中の愛する人との残り少ない日々の過ごし方や、
ある告白をきっかけに家を出てしまった家族のこと、
あれこれと思い悩みながら歩いていると、親子風の二人組に出会う。
親に見える人は何やら思い詰めた表情で「自分の人生をあきらめたい」と言う…。
ふとしたきっかけで生まれた縁だったが、
やがて雄大は彼らと火星に移住し、「オリンポス山」に登ることを決意する…!?
「あきらめる」ことで自らを「あきらかにしていく」――
火星移住が身近になった、今よりほんの少し先のミライが舞台の新感覚ゆるSF小説。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
タイトルに惹かれて読みました。
途中からすごく現代社会に必要かも?と個人的に思うような話、言葉、内容になっていて広まってほしいフレーズがいっぱいでした。最近の自分は諦めてばかりで、そんな自分に虚しさや嫌気を感じていたのですが、諦めることに前向きになれます。
また 私は理科学的な内容は苦手で殆どSFに触れた事はなかったのですが、
こちらの本のおかげでSFというジャンルも面白いのかも??と思えました。山崎ナオコーラさんの他の作品も読んでみたいと思います!!!
Posted by ブクログ
「人を嫌いになりそうなときは離れるのが一番だ。距離は人を好きにさせる。〜」
「私は加害をする人間だとあきらめる」
「理解されなくても愛さえあれば平気らしいのが意外だった」
「楽しいのは、宇宙にいるからではない。自分にいるからだ。」
「火星まで来て、やっとわかったことだった。自分の中が、一番遠い。」
「じぶんの中を見るだけでも、すっごくおもしろいんだよ。歩きながら考えるとね、あたまの中にいるのがたのしいの。自分の中って広いんだよ。」
「言葉が先で、そのあとに気持ちが動く。考えが変わっていく。」
「下山を選ぶことができた自分が誇らしいっていうか。」
「自分をあきらめる。こうやって、これからも生きていくんだ。」
「人生は何もしなくていい。何も成し遂げなくていいんだ。」
「登山をしてよかった。下山ができるから。」
Posted by ブクログ
色んな「あきらめる」が出てくる。あきらめるって悪いことじゃない。
余命わずかの岩井が「まずは、あきらめる。あきらめることで、あきらめきれないことが始まる。そこから始まるんだ」
輝は、育児について、「今、生きているだけでいいんだとあきらめないといけない」
ユキのネグレクトは、ちゃんとあきらめた結果。育てられないって言うことで、次の道が開けた。あきらめることから始まることもある。
輝は、悟る。心をあきらめよう。心を制御するのではなく、行動をコントロールしよう。
弓香や塔子は、雄大に対して上手くあきらめてる。でも、博士はあきらめようと思っても、あきらめきれない気持ちを抱えて、評価されたいという感情と向き合う。そして、登山の場面で、人に合わせてあきらめることもあるって気づいて、乗り越えた感じ。
あきらめる過程もさまざま。簡単にあきらめる必要もない。
自分を知ること、自分を信じることができないと、あきらめることってできない。
自分自身を見つめること。頭のなかはどこまでも自由。孤独を恐れる必要はない。その先に、人への寛容さも生まれるのかも。
今の自分に刺さる言葉がたくさんあった。
Posted by ブクログ
あきらむ、は「諦める」の古語で、明らかにする、というプラスの意味だ。
現在のあきらめるという語とは全く意味が異なるように感じる。
しかし、一旦あきらめることで、自分をありのままに受け止めてより良く生きられるということでもあるのだなぁと、今作を読んでいて感じた。
自分の欠点や願いを諦めて手放すことで、冷静に今の自分に向き合い、問題への解決策や改善策を模索できるようになる。
それは、とても前向きで建設的なことではないだろうか。
世の中には「あきらめるな」というメッセージが溢れているが、人は完璧ではないし弱い生き物なのだから、むしろ「あきらめる」ことをもっと考えなければいけないのではないか、と思った。
Posted by ブクログ
マイノリティに配慮することが重視され、そうした人への公的な支援も充実して、火星への移住も行われるようになっている未来の話。性差による従来の役割なんて関係ないし、みんなの人権が尊重されるフラットな社会。親が複数いるのもアリ。
異次元だけど、現社会との相似点も多い未来の世界を体験しているみたいでした。
Posted by ブクログ
山崎ナオコーラさんのお話を読んでいると、マイノリティやマジョリティの目線だったり、自分の気持ちや考えを俯瞰して見るところだったりに共感する。自分は何もできない、ということをちゃんと知っていることの強さというか。
ちなみにこういうSFならすらすら読める
Posted by ブクログ
単なるSF小説ではなく、内面の成長についての本だった。変化を求めて火星へ行くものの、場所の変化ではなく、内面の『あきらめる』が成長の鍵だった。あきらめてから、全てが始まる。さぁ、ここからあなたはどうしたい?そんな問いすら伝わってきた。
Posted by ブクログ
6章に渡って、色んな視点から「あきらめる」とはどんなことで、どのような感情を抱くのか、それは果たしてネガティブなものなのか?
そういった自問自答と他者へのあきらめという意味での利他的思考が書かれている。
文章をすごく素直で、かつ深く考えられているところがとても良かった。
サイエンスフィクションのような世界線や設定も、これらの主題や情景をはっきりと強く伝わるような仕掛けであると思った。
Posted by ブクログ
当たり前だけどみんなそれぞれ違い人間なんだな。
自分以上のものを求めず、自分を大事に生きる。
できないことは他人に求めてもいいじゃないか。
誰かの穴を誰かが埋めるそれが循環してできる社会があったら楽に生きられるかな
Posted by ブクログ
登場人物の名前や生業は明らかにされているけれども、性別や一人称はあえて描かれていなかった。
そのせいか、頭の中に絵が浮かばず、読むのになかなか時間がかかった。
物語を楽しむというよりかは、自分の信念を確かめるために読む本。
物語後半から「あきらめる」について易しく噛み砕いて説明されていて、グッとくる言葉に何度も文章を目でなぞった。
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最初の二章は、登場人物の状況も、置かれた環境もよく飲み込めず、もう読むのやめようかな、、、と思ったけど、三章くらいから面白くなってきて、最後はうんうん、そうだよねって、思い、胸熱くなりました。
あきらめることについて、丁寧にケーススタディしながら、一つの考え方が提示されている本です。
Posted by ブクログ
あきらめる、は、明らかにする。
親子間や夫婦間の軋轢、承認欲。かなりストレートに描かれ、身につまされる。
砂しかない火星に行って初めて自分が明らかになり自由になる。
火星に移住するなんてかなり大ごとだけれども、そこは軽やかに進んで、みんな自分で自分に落とし前をつけていく様子がよかった。
Posted by ブクログ
現実的な近未来小説?家族それぞれの目線で描かれるといかにすれ違い多くて理解し合えてないかわかる。
博士が他人からの評価っていう呪縛から解き放たれてよかったけど雄大さんには最後まで共感できなかったかな。母親と長女目線のほうも読みたかった。
Posted by ブクログ
火星という言葉が出てきた瞬間、本書はSFの要素が出てきたように思う。
あきらめるということは悪いことではない、という一点を書くためにある本だとしたら、随分遠くまで来てしまったんだなぁという印象。
と言っても火星に来てもそんなに火星の描写がないため、読んでいてもあまりピンとこないのだが。
Posted by ブクログ
子育て、いじめ、親子関係とマイノリティ、それに火星移住というイベントが加わってぐるぐる考えさせられる小説。砂場で知り合った子どもたちの様子が微笑ましかった。
頂上を目指さない登山。それもいいかなぁと思えました。
Posted by ブクログ
SFで近未来のはずなのに、まったくその感じがしない。でも安定のナオコーラさん。自分には面白く読めた。どんな作品でもそうだが、合う人と合わない人はいると思う。
Posted by ブクログ
応募者が火星に移住し、意識を分身ロボットに移して動き回る近未来。あきらめる、の語源は明らかにすること。幼馴染への同性愛に気付き妻に去られたシニア。5歳の難しい子・放置で自立した子、その保護者。難病の動画製作アーティストが火星に移住を決める。
ポリティカル・コレクトネスが行き渡っていても、社会の様々なサポートがあっても、人間が人間であり、それぞれに普通ではないという悩み。
Posted by ブクログ
多様性とか平等とか、言うは易いが難しいことに、気負いすぎず現実的に向き合うにはどうすればよいか。そういうことを本気で考えていることが伝わる。
あきらめて、受け入れる。自分にもそれができるのかはまだわからない。でもいつかあきらめたい。そのときにこの小説を思い出すかもしれないなと思う。
Posted by ブクログ
これはとても不思議な心地の異空間に連れてこられたようで抜け出したいって思ってしまった。
「あきらめる」の語源は「明らかにする」ことからきていてネガティブな表現でないとか。
作者の言いたいことってそれよりも頻繁に使用してる「科白」じゃないかと思ってしまう。セリフのことらしいけど初めて訊きました。この言葉、普及させようと多用してるんですよね。
私が使いたい言葉2024は「リノリュウム」なんですけどなかなか使う機会がありません。病院のリノリュウムが冷たくってとか、さりげなく表現してみたいww
これは言葉テロに巻き込まれた感じです。
「高齢者」のことも「成熟者」と呼ぶのが流行ってるとかダメージ少ない言葉を使っても実体は変わらないと思うのですけど。
挨拶できない5歳児を危惧する保護者。
挨拶って、相手に敵意があるかどうか、機嫌がいいかどうかとか探るためのコミュニケーションツールだと思うのですが、人と調子をあわせる必要のない状況なら、ポーカーフェイスのまま相手の出方で探るのもいいと思うのですけど・・
現代なのか近未来なのか、マイノリティに寛容な人々が暮らす世の中は圧倒的な個人主義の形相で馴染まない。真っ先に浮かんだのはフランス人なんですがそれも偏見なのかぁ。
ともかく砂場でオリンポス山作るとか発想がぶっ翔んでたぁ。時より出てくる身代わりロボっトも愛らしい。外に出られない人に代わって散歩とかしてるようで遠隔操作で臨場感味わえるみたいだけど、足腰弱くなって山とか登れなくなったら身代わりロボットにアルプス縦走してもらったり、アイガー北壁とか、厳冬期のエベレストとか、七大陸最高峰とか登って冒険したくなりました。
ジェンダー平等や人種、年齢からくる差別もなく扱う文章には親近感湧かないし認識阻害効果があるようで人の外見的特徴や、距離感がつかめない。とりあえず関わる人すべて不審者として、なんだかのハラスメントをもたらす存在と判断したほうがよさそうな気さえしました。
結婚も、育児も、仕事もテキトーに火星に移住するとかやっぱぶっ飛んでますよね。重力が地球の3分の1だから飛んでるように歩けるかもしれないしオリンポス山に登れるかも。
けど、この世界観に浸っていたらどうでもよく思えてきて無理な気がしました。
自分が何者でもないってわかることって無茶怖いことだし、いろいろ抵抗して生きていくことのほうが食事が美味しく感じられるし、睡眠の質もよくなると思いますが、あきらめることよりも、憧れや達成感を持って生きていきたい。
「あきらめたらそこで試合終了ですよ」って安西先生の言葉の方が素敵だと思ってしまう。
Posted by ブクログ
成熟者(今でいうと高齢者)の雄大は幼馴染の岩井との関係を選んだ。妻の弓香は火星に旅立ち、その後を追うように雄大も火星への移住を決意する。
成熟者とは名ばかりで子供たちの事も妻のことも何も分かっていなかった雄大。地球では生きづらい子供(血が繋がってはいない)龍と暮らす輝はトラノジョウと出会い、二人の親となり火星で暮らす事を選ぶ。「あきらめる」とは、どういう事なのか。それぞれ自分の「あきらめる」に気づいていく。
Posted by ブクログ
「あきらめる」は「あきらかにする」という事。「自分をあきらめる」「ダメで小さな人間。自分って人間はこの程度。この自分を認めて受け入れたい。その方がいちいち立ち止まって「間違っているかもしれないけど」って考えていける。自分を過信しなければ他人に頼ろうって考えになるし」登山であきらめたこと、一度あるが悔しくはなかった。次の楽しみができたと。
Posted by ブクログ
山崎さんの作品は好感が持てるのだが、今回は主張が強く出過ぎている印象を受けた。
作者の思いが強すぎて、お話しに入り込むことがうまく出来なかった。
Posted by ブクログ
ひとりで近所の川沿いを散歩する早乙女雄大。
入院中の愛する人との残りの時間を過ごしているが、その人とのことがあり妻は出てしまったのかもしれない…。
すでに子ども2人は、家を離れているためひとりでいることが当たり前のようになっている。
だが、同じマンションの親子と関わり、その子どもと繋がりができたことで、音信不通だった息子と会えたりする。
それが火星なんだから普通は驚く。
だが、お互い冷静なことに何が普通なのかわからなくなる。
現実ではない世界としか言えなくて…
自分のなかで消化しきれない。
これは、先入観の鎖から解き放たれて、自分を明らかにする物語と帯に書いてある。
私は、理解することをあきらめる。
Posted by ブクログ
普通の時間が流れているようで、ほとんど違和感がないのに、でも描かれている世界は一歩先の世界なんである。
この不思議な人たち、今の時代だから変に感じるのだろうか・・・いや未来になっても同じ気持ちのままに、順応せざるおえない、風通しがよくなった世界を覗き見しているようだった。
こんな世界、正直ちょっと馴染めないかなぁ。
Posted by ブクログ
以前「指先からソーダ」というエッセイを読んで、ナオコーラさんの等身大の雰囲気がとっても安心して、そこから気になっている作家さんだった。
ナオコーラさんの小説を読むのは初めてだ。
とっても現代的なストーリーであり、
指先からソーダのエッセイとは違い「あきらめる」は
なんとなくシリアスというか薄暗い雰囲気が漂ったかんじではじまるストーリーだった。
帯にも書いてある通り、「あきらめる」って古語ではいい意味だったらしい。「明らかにする」が語源らしい。
ものすごく簡単に言うと、ポジティブなあきらめについてのストーリーだったのだが
最終、じんわりと自分にやさしい気持ちになれる作品だった。
わたし自身は、最近新しい職種についたばかりで
「あきらめる」という題目の本を読むのって
いいタイミングじゃなかったりして
と思いながら読んだのだが、逆にポジティブなきもちになれた。
ナオコーラさんの本を読んでいて、
本当に勝手な憶測でしかないが
すごくやさしい人なんだろうなあと思う。
本を通して、そうゆうやさしいエネルギーに触れられるのがありがたいと思う。
どんな人と繋がりたいかってことについて
リアルじゃなくても本とか作品をとおして選べるってすごく幸せなことだ。自由だ。
作品の最後のほうで、登場人物みんなで山に登るシーンがある。
頂上まで行くことを目指していた人も、途中で諦めて下山する。
「みんなで登ってみる」「この山の景色に触れてみる」ってことが大事だったんだと思ったのだと思う。
自分がいいと思う山に登って、そこで景色を感じればもう成功じゃないかと。
成し遂げられないから失敗なのではない。
登っていて明らかになっていくことがあると。
そうだ、成し遂げるがゴールではなくて
明らかにしていくことが大事なプロセスだ。
つまり、挑戦して明らかにしていく。
そうして、難しかったらそこにこだわらず
またそのいいところを感じにいけばいい。
はたまた、別のまたよさそうなほうへ散歩していけばいい。
そう思うと、なんかポジティブなきもちになれて
わたしも新しい仕事がはじまったばかりだが
この「あきらめる」を読んでよかったと思う。