【感想・ネタバレ】晩酌の誕生のレビュー

\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

このページにはネタバレを含むレビューが表示されています

Posted by ブクログ

ネタバレ

晩酌の誕生

著者:飯野亮一(食文化史研究家)
発行:2023年11月10日
ちくま学芸文庫

晩酌とは、自宅での夕食時に一杯やることをイメージするが、昔はそれがなく、どうやって今日の晩酌形式が生まれていったのか、という点について歴史をたどる書物だと思って読んだ。そうではなかった。万葉の歌に独り酒が詠まれ、鎌倉時代には執権北条氏により酒の売買や独り酒が禁止になり(もちろん守られるわけがない)、といったことがさらりと書かれていて、江戸時代が始まって100年ほどした中期になると、すでに晩酌が定着していた、というような話にいきなりなる。

ただし、晩酌とは呼ばれず、寝酒と呼ばれていた。それは明治時代になってからもで、辞書としては大正8年発行の「大日本国語辞典」で、「ばんしゃく 晩酌 晩餐の時に酒を飲むこと」「ねざけ 寝酒(名) 寝るときに飲む酒」という記述が見られるとのこと。明治時代の辞書には、見つかっていないようである。ただ、漱石はじめ小説の世界では明治から晩酌の文字が盛んに使われている。

そんな訳で、タイトルのように晩酌の習慣というか食文化がどのように誕生したか、という本ではなく、晩酌が誕生して定着した江戸時代の江戸のまちでは酒と肴がどのように飲食されたのかという風俗、食文化について書かれた本だった。

多くの書物から引用されていて、とくに、歌、俳句、川柳、物語など文学作品からの引用が夥しく、なかなかの労作でもある。酒そのものより、肴についての解説が多い。

その「肴(さかな)」の語源についても書かれている。「魚」から来ていると思っていたが、どうやら「さかな」の「さか」は酒であるようだ。「な」については、鎌倉時代の記述では、野菜をつまみにしていたから菜だと書かれ、新井白石(江戸中期)は「な」は魚菜だとしている。ただ、イエズス会宣教師らが編纂した有名な「日葡辞典」(1603年)には、肴が肉や魚のような食物だと書かれているそうである。

江戸時代に定着し、庶民にまで広まった寝酒(晩酌)の一番の敵は灯りだったようだ。当時は菜種油など植物油や、それより安い鯨やイワシなどからとった油を燃やして灯りにした。蝋燭は高価で手がでなかったようだ。ところが、油を燃やすと火事になりやすい。火事の多かった江戸では、夜遅くまで灯して寝酒を楽しむと注意されて早く寝ろと警告を受けたようだ。まちに設置された木戸が閉まる時間にあわせたようでもあるが、これも当然、守られない。酒に対する執着は、そんな甘くはない。

江戸の人々は、自分たちで肴を用意するほか、いろんなところで手に入れることができたという。屋台や惣菜屋で買ってくることはもちろん、料理屋でのテイクアウトと仕出し、仕出屋からの仕出しなど、今のデリバリーにも負けないような購入先があったほか、昔ながらの煮売り形式の売り子も、夜になると回ってきた。しかも、温めた燗酒までセットで。肴も、うなぎの蒲焼きや刺身など、なんでもあり。

なお、刺身は、今のような醤油とわさびというスタイルが定着する以前には、煎酒(いりざけ)、酢、味噌などの調味料が使い分けられていたらしい。一方、おでんも人気があったようで、最初は味噌田楽から変化した味噌おでんだったが、のちに燗酒とともに体が温まる煮込みスタイルのおでんへと変わっていった。意外なことに、煮込みスタイルのおでんになったのは明治になってからのようで、しかも、それが東京で主流になるまでには少し時間を要したようだ。

0
2024年05月05日

「雑学・エンタメ」ランキング