あらすじ
作家夫婦は病と死に向き合い、どのように過ごしたのか。残された著者は過去の記憶に苦しみ、その後を生き抜く。大反響を呼んだ朝日新聞連載のエッセイ。文庫化に際し、夫の藤田さんが亡くなってから3年10カ月、現在の心境を加筆。解説は林真理子氏。
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Posted by ブクログ
まだうまく言葉にできない
物書き同士が惹かれあって(しかも凄まじい才能)ひとつ屋根の下に暮らすって、どれほど深いんだろう。苦しいんだろう。
喉が痺れる。
電車では泣きすぎてしまって読めなかった
Posted by ブクログ
#月夜の森の梟
#小池真理子 さん
少々言葉をまとめるのに時間がかかる。
ただひたすらに嘘偽りのない言葉たちが
心の奥深い部分に届くのが分かった。
喪失、絶望、そしてその先、
繰り返しの生活。
喪失を抱え、傷ついている人にこそ
届いて欲しいと思える一冊。
小池さんが直向きに向き合い続け
見つめ続けてきた言葉たち、
多くの人の胸に響いたんだろうと分かる。
本屋さんでたまたま目に入って購入したのだけど、
このタイミングでこの一冊に会えてよかった。
本との出会いも、人やものごとと同じように
タイミングがあるんだと思う。
その点で今この本に会えたこと、きっと意味がある。
心の深いところに引っかかった錘が
少しだけ軽くなった感覚。
私の拙い言葉では表現できないけど、
大切な一冊になった。
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しみじみとした、静謐で、しみ透るような深い喪失の哀切を感じた。それぞれのエッセイのおわりが、二人が長く過ごしてきた、森の動物や自然の描写でしめくくられているのも、印象に残った。
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長年連れ添った伴侶を亡くした小池真理子さんの喪失の日々を綴ったエッセイ。全50話、1話3ページほどの短いもの。軽井沢での静かな日々、夫婦喧嘩や2人で笑い合ったこと、自身の幼い頃の思い出、様々なことが書かれているが、それは全て失った寂しさにつながっていく。
時間は癒してくれないし、誰かと昔のように笑うフリはできても、昔と同じように笑うことはできない。
日常のどこを切り取っても、思い出と寂しさが詰まっている。
美しい文章で、時に豊かな自然の風景を描きながら、言葉にしない寂しさが切々と伝わってくる。
自分もいつかこんな思いをするのか、またはさせるのか。
まだ経験したことのない寂しさが怖くもあり、そんな夫婦でいられた夫妻を素晴らしいと思う。
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小池真理子さんと藤田宜永さん二人とも好きな作家である。
小池真理子さんの新刊がでないな〜っと感じていたら藤田宜永さんの訃報が…
この本の単行本がでたときはなぜか手を出せなくて…今回文庫化したのを知り手にいれ一気に読みました。喪失感を小池真理子さんらしく書いていました。
藤田宜永さん、お疲れさまでした。そしてありがとう…訃報をきいてまだ私の本棚には未読の本があります。私も喪失感がやわらぎ始めたら手にとりますね。
水面に石を落とし波紋がひろがり、いつかはまた静かな水面にもどるけど落とした先の石の深さは人それぞれ。忘れることはできず、かえって私の身体に残り頭の片隅にくっきりと残る。悲しみは消えないけどまたいつかあう日までその日その日を生きるしかないね。
小池真理子さんこれからも応援します!
ぜひ〜
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夫を亡くした著者の心情を書いた話。何をしても埋まらない空間。悲しい。寂しい。自分の中の喪失感。埋める事は出来ない。時間と共に変化していくのかな。
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大切な人を亡くした喪失感を、森の心象風景と共に書き綴ったエッセイ。
静謐な時の流れを、筆者の言葉が寂寥感を抑えて、しかしだからこそ迫り来るような孤独が沸々と迸る物語。
特に涙腺が緩くなった「悔やむ」の中の、お守りマスコットに入ってた亡き夫のメモを発見した時のくだりである。それを見つけた際の筆者の気持ちにシンクロしてしまい胸の奥が痛くなった。
あとがきにも記されていたが、大切な人を亡くした人は同じ周波数の同じ慟哭を抱えて生きているという表現は、形容し難い心情をよく捉えている。
意を正して読めねばと久しぶりに思った本だ。
Posted by ブクログ
小池真理子氏が、夫て同じく作家であった藤田宣永氏の死に向き合い、まさに絶望と喪失感の最中に、絞り出すようにして書き上げた喪失エッセイ。
簡単にわかるものでもないし、想像を超える心境なのであろう事はよくわかる。
必ず自らにも起こり、避けては通れない事である。
生きるとは。喪失感の先に見えて来るものとは。
考えさせられる一冊。
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作家の藤田宜永が亡くなり、長く連れ添った小池真理子の手記のようなエッセイ。
文章自体は残された家族の悲しみに溢れた内容なんだけど、お二人の静かな暮らしが伝わるような、やはり美しい文章でした。
確かに小池真理子には、都会の喧騒ではなく自然あふれる森が似合う。その森の中で、藤田氏の思い出に包まれながらまた美しい小説を書いて欲しい。
Posted by ブクログ
このエッセイは、作家同士の夫婦である小池真理子さんが、夫である藤田宜永氏の亡くなった後に綴った、50回にわたる朝日新聞の連載を一冊にしたものである。
「37年前に出会い、恋に落ち、互いに小説家になる事を夢見て、共に暮らし始めた」
という、前書きから始まる。
そして、「それにしても、さびしい。ただ、ただ、さびしくて、言葉が見つからない。」……
途中から、この本は、夜寝る前に読む事にした。
なぜなら日の光の明るい所ではなく、静けさの中でこそ伝わって来るものがあるように思えたから。
いっぱい話したい事があり、けんかする程話し合う。
面白い事が有ると、相手に報告したいと思う。
ふたりで過ごした時間が充実していて、苦しい事も楽しい事も数えきれず。
その「かたわれ」のいなくなった穴を埋めるものはない。
軽井沢の大自然の中で、ずっとふたりで暮らしてきて、残された 「かたわれ」は今、やっぱりさびしいのだろう。
それにしても、小池真理子さんの文章は、とにかく美しくて、上手いな!
Posted by ブクログ
部屋の、住まいの、さらにはその周囲光景の空気感が伝わってくるような、哀しい、寂しい、だけど、心地よいはずはないのになんとも言えない落ち着きというか。
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静謐な空気の中で、果てしない喪失感に満たされた作品でした。というか、このエッセイ集の個々の作品はシチュエーションや時点が作品ごとに異なるのだけれど、どの作品を読んでも最後にはどうしようもない喪失感に襲われてしまいます。渦巻くような悲しみに沈んでしまい、結局最後まで読みきれませんでした。
小池真理子さんのエッセイ集です。
本屋さんの文庫の新刊を扱っているワゴンの中でひんやりと静かな表紙がその存在を主張しており、目が合ってしまったのでした。
久しく小池さんの作品は読んでいなかったのですが、この作品を読んで小池さんに対するイメージが大きく変わりました。
すでにかなり過去の話になりますが、小池さんの作品を読んで「少しツンとしていて、近寄りがたいお姉様」という印象を持ってしまっていたのですが、その印象を今まで引きずっていました。
しかし、この作品で小池さんが描いておられるのは「近寄りがたいお姉様」ではなく「長年連れ添った夫(人生の伴侶)を亡くしてしまい、喪失感から立ち上がれない女(ひと)」。
読んでいると、何だか自分自身が容赦ない月日の流れに押しつぶされそうになってしまいました。
しかし、このエッセイを書き続けることができた小池さんは、やはり私にとって「近寄りがたい」人なのですね。