あらすじ
気づけばいま、雑貨界が物の世界を逆に覆いかくしつつある。
ほとんどの物が、いつ雑貨屋に連れていってもはずかしくないすがた、かたち、ふるまいを身につけてしまっていて、むしろ雑貨化していない物こそがマイノリティになっているのだ。だとしたらマジョリティとしての雑貨は、もう「雑」という字を捨てて、ふつうに「物」と呼んだらいいじゃないか──本書より
物の売買を巡る状況は刻々と変化している。いままさに波にさらわれんとする物の価値をひとつずつひろいあげる珠玉のエッセイ集。本、アート、工芸、情報、音楽、おしゃれ、サブカル、聖と俗……、ゆらぎ続ける世界のはざまで生きのびる方法をケレン味のない筆致で綴る。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
西荻の雑貨屋店主さんのエッセイ、三冊目。今回は「雑貨化」した物たちのみならず、同じようにインターネット社会の中で急速に世界を覆いつくしたデザイナー思考や、本の文化とビジネスの話、昔のバイト先の話など、雑貨以外の話もけっこうあってそれが面白かった。相変わらず不勉強な私には話の中で出てくる人物や文化史は大体初耳でへーっ、ふーんと読んでいくのだが、ありがちな知識をひけらかすようないやらしさは全く感じない。文章自体もあっさり乾いた感じでちょっと皮肉っぽくて、それでいて嫌味は全然ないのは著者の人柄の良さなんだろうなとしみじみ思った。何気ない日常から文化の深い話へ、映画や本の話、そしてお客さんとの会話へ、とすべて滑らかにつながっていくのがすごい。そう、ほんとうはすべて、いや大体かもしれないけど、つながっているのだな、と考えさせられる。
一番最後にあって、小説みたいに始まる「橋を渡る」が好きだ。
「信じるか、信じないか。それはおなじ建物のおなじ回廊を、それぞれ逆方向にたどっているだけなのかもしれないと思った」
運命か、偶然かといえば、私は著者とは違って運命を信じる方だ。それでも読んでいると、確かにおなじ回廊をたどっているのがわかる気がした。
信じるにせよ、信じないにせよ、恐れているのはきっとおなじことなのだ。自分のコントロールできないものに翻弄されることじゃないだろうか?その怖さをどう落ち着かせるかが、「逆方向」になっていて、でもやっぱり、おなじ回廊にいるのだ。元常連Yさんが、自分らしく人生を全うすることを願う。
Posted by ブクログ
「もの」についての著者の考えや感じるところが繊細に描かれていた。
「もの」が「もの」であり続ける理由が今後ますます問われるだろうこと、そんななかで「もの」を売る立場の者として考えなければならないこと。そして、「もの」を買い、日々消費している私たちが考えなければならないこと。
そもそも私が「もの」に惹かれる理由、それを「手に入れたい」と思う理由って、なにか人間に共通する普遍的で根源的なものなのだろうか。例えば人間以外の動物でも、「もの」を自らつくり、生活に利用する動物もいると思うけれど、動物たちは「利用するため」に「もの」を作り消費するのに対して、人間は鑑賞するためだったり、権力を誇示するためだったり、慈しむためだったり、表現するためだったり、様々な要因で「もの」を所有し消費する。この違いはなんなんだろう。
考えれば考えるほど、「もの」は私たちの生活や人生の至る所に存在している事実に気づき、色んな方向に思考の糸が伸びていき、絡まっていくから、きりがなくなる感覚に襲われる。そして、そんな感覚がやはり本著にも現れていて、それがなんだか嬉しかったり、安心したりする。
Posted by ブクログ
雑貨、本、芸術、デザインなどに関する15編の随筆。その中で「インターネットの波打ちぎわで」のネットと消費、テクノロジーとの距離感の考察がおもしかった。
Posted by ブクログ
京都の恵文社で気になって手に取って、積読していた本。そのとき、著者のプロフィールを見て、雑貨屋さんかぁ、なんかオシャレ系の人なのかなとざっくり自分の中でカテゴライズして、その瞬間に少しだけ本への期待が下がった感覚を覚えている。雑貨、オシャレというものが持っているイメージに、早速惑わされていた自分だ。
今かなと思って読みはじめたこの本は、私のそんなイメージを見透かしたように、雑貨屋の店主として、今の世の中を思ってもなかった角度から切り込んでくる。皮肉屋さんとも少し違うけど、でもやっぱり、今のメインストリームな感覚(オシャレというやつかもしれない…)から離れながら、それを眺めている(それだけじゃないけど)。
いくつかハッとさせられる文章があって、とにかく私とは違う地平からこの世界を眺めている人が書いた本なんだという感想をもった。
最後の橋の話、Yさんの話は、半分ファンタジーみたいな不思議な読後感で、ゆらゆらとこの世界にまた放り戻される感じがして、なんかとても、よかった。