あらすじ
政権と世論に翻弄され、闘った「専門家」たちは何に敗れたのか?
小学館ノンフィクション賞大賞受賞の気鋭ライターの弩級ノンフィクション
尾身茂、押谷仁、西浦茂──感染症専門家たちは、コロナ渦3年間、国家の命運を託された。だが彼らは政権に翻弄され、世論に翻弄され、やがては身を引いた。日本にとって、コロナとは何だったのか? 長期取材を経た筆者が、専門家たちの苦闘の本質を描く。なぜ、彼らは消されたのか? 衝撃のドキュメント。
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Posted by ブクログ
奔流
コロナ「専門家」はなぜ消されたのか
著者:広野真嗣
発行:2024年1月17日
講談社
3年以上のコロナ騒ぎで、我々一般人が初めてその名を知った人、最も有名になった人、といえば、尾身茂である。もちろん、医師だが、公衆衛生の専門家として、WHOの西太平洋地域事務局長の職務を2期、10年にわたって勤めた人物。選挙で選ばれ、WHOでアジアのトップに君臨。もちろん、次の地位はWHO本部トップの事務局長だが、2006年の選挙に立候補するも敗れている。西太平洋地域事務局長の時には、SARS禍で手腕を発揮した。
そんな尾身は、なんと、初めは外交官を目指し、慶応大の法学部に入ったという。ところが、外交官もしっくりこないと思い、小林秀雄の『無私の精神』に出会い、さらには内村祐之(ゆうし、鑑三の息子)の自伝『わが歩みし精神医学の道』と出会い、医師を目指すことにした。両親にも相談せずに慶応大をやめ、自治医大で学び、9年間の僻地医療義務も終わりにさしかかるころに、目指していた救急医療への道が体力的(体型的)に厳しいことが分かる。そんな時、ユニセフで働く高校時代の同級生に会い、ワクチン接種の重要性を諭される。それが、WHOへ進むきっかけになった。
尾身は、政治判断に口を出しすぎ、とも、専門家としてもっと言うべき、とも、両サイドからの批判を受け続けてきた。よく投げ出さないものだと思った人も少なくないと思うが、著者は彼を「リスクコミュニケーター」として評価する。すなわち、首相、担当大臣(西村)、知事、厚労省(役人)が主体的にやるべき対策を言わないため、テレビに出て尾身が批判を受け、答えるということもあり、それを繰り返したことでそれが成し遂げられたという。
これは、外交官を目指してきたこと、また、WHO生活20年間のうち、選挙で選ばれて地位についたアジアのリーダー10年間のなかでの、彼自身が目指してきた本来の立場でもあるようだ。彼は、臨床的な医師の立場ではなく、あくまで公衆衛生の専門家でありながらも、経済や社会のことを考えて選択肢を提案することを職務としてきたようである。
go to トラベルには明確に反対したが、政治の力に屈したようであった。真相は、以前から言われている旅行業界のドンである二階俊博と、地方の中小企業と深いつながりのある公明党が強引に進めたためだという。結果は、いうまでもなく医療崩壊を起こし、東京を外すなど応急処置に追い込まれていった。
この本は、とくにこれまで明かされなかった裏事情を暴露しているようなものではなく、時系列的にコロナ禍での専門家(分科会)と政治の動きについて整理して紹介する内容である。とりわけ、尾身茂については3年半の間に14回のインタビューをしていると自慢している。そして、ふた回り以上先輩の尾身を「理想の上司」と仰いできた京都大学大学院教授の西浦博、さらには、その間の年齢となる東北大学大学院教授の押谷仁の3人の動きを中心に語られてく。ただし、押谷には、途中、著者の書いたある記事に激怒され、以降はほとんど無視されるようになったらしい。
西浦博は、数理モデルが専門分野で、第1波の感染拡大期に「人と人の接触を8割減らせば1ヶ月で感染者を急減させることができる」としたため、「八割おじさん」と呼ばれるようになったらしい。その前に、対策をしないと死者は42万人になるとも試算していた。
押谷仁は、ウイルス感染症のデータ分析では世界的に名の知れた研究者で、WHOで尾身の部下だった時期もあったようだ。彼も、高校時代は医学ではなく、文化人類学の梅棹忠夫やルポルタージュの名手・本多勝一に憧れ、京都大学を受験したが不合格だった。そして、翌年、東北大学医学部に進んだという。
尾身は、ずっと時の政権、政治家に都合よく利用されてきた。しかし、go to にはきっちり反対し、オリンピックも「今の状態での開催は、普通はない」とはっきり会見でも言い切るなど、言うべきことは言った。そして、いろいろ言われてもものともしないふうだったが、一度、非常に腹立たしく思ったことがあった。それは、20年3月に全く誰にも相談なしに、安倍晋三が学校を休学にした時だった。
安倍、菅、岸田の3政権のうち、専門家の話を全然聞いていないというか、無視して、自分の都合だけでしているのは岸田政権だったようだ。この本を読む限り、聞く力とやらはまったくなかったようだ。
専門家の試行錯誤は、3段階に分けて整理できるという。
第一期:2020年2月~6月。そこまでの総括として、専門家会議が「卒業論文」と称するものをまとめた。前面に出すぎたとして、発信機会を絞る姿勢に転じた。
第二期:2020年7月~12月、緊急事態に相当するのか、そのワンステップ前か、感染状況を判断するのは国や自治体にまかせ、専門家は表明しないと自制した。それが対処の遅れにつながった。
第三期:2021年4月以降、専門家は再び積極的に感染状況に意見表明する姿勢になった。
積極的→消極的→積極的と試行錯誤し、変化した。政治家を説得することの難しさに尾身たちは直面したことが分かる。
著者の広野真嗣は、神戸新聞の記者から、猪瀬直樹事務所のスタッフを経て、フリーのジャーナリストになった。文章が洗練されていないため、読みづらくはないが、読んでいて退屈だった。ただし、猪瀬直樹が副知事になり、やがて知事になって問題を起こしていき、他のスタッフがみんな離れていった時、自分も早く独立してやめたいのに、もうちょっと、とか、次のこのタイミングまで頼む、とか、ずるずると言われて引き延ばされた経緯が書いてあり、その記述については興味深くて面白かった。
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厚労省内の無線LANは脆弱で、地方の現場とZOOM会議をしていると途中で途切れ、メンバーの私物のポケットWi-Fiを持ち寄って机に並べ、綱渡りのテレビ会議をした。
尾身は東京教育大附属駒場高校時代、短足だったために「ドーナガ、ドーナガ」とドナドナの節で歌われたが、憎めない感じが人気だった。あだ名は「ドナちゃん」で、大学時代にも通用した。
小池百合子は、医師会をバックに当選してきているため、医師会に配慮せざるを得ない状況だった。
OECDの統計によれば、日本の人口100万人あたりの病院数は66で、フランスの45、イギリスの29、アメリカの19を上回っている。救命救急や高度医療を必要とする重症患者向けの病床では、人口あたりの数がアメリカの3倍以上もある。一方で、その7割が200床以下の中小病院で、人や設備が分散しているため、病院にアクセスできても、対処が手薄になる。