【感想・ネタバレ】西洋音楽論~クラシックに狂気を聴け~のレビュー

あらすじ

日本では、週末のゴールデンタイムに、かなり専門的なクラシック音楽番組がたっぷり全国放映されている。また、大都市は勿論、地方都市においても、毎晩何処かでクラシック音楽のコンサートが開かれている。しかし、私たちはクラシック音楽の本質を本当に理解しているだろうか? 作曲家・指揮者としてヨーロッパで活躍してきた著者が、その体験を軸にゼロベースで問い直す、西洋音楽の本質。【光文社新書】

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Posted by ブクログ

 「クラシックに狂気を聴け」というタイトルは『狂気の西洋音楽史』を思い起こさせる。またかという気持ちとともに、森本恭正なる作曲家、しらんなあと呟きつつ手に取る。この著者、Yuki Morimotoなる名前でヨーロッパで活躍しているという。それなら、CDを見たことはある。森本氏、日本の音大を出てプロの指揮者となっても、ある「もどかしさ」につきまとわれていた。それは単純化すれば、日本で西洋音楽をやるということの違和感であろう。彼はそのもどかしさに駆られてアメリカに渡り、そしてヨーロッパに移り、以来、ウィーンを活動の場としてしまったのだ。

 その森本氏が西洋音楽とは何かと考えてきたことを綴ったのが本書であり、2007年、ポーランドでの作曲コンクールの席上、審査委員の一人であるK氏との対話を狂言回しのようにして議論は進む。このK氏とは、作曲家のジグムント・クラウゼであろうか。もっとも匿名にしているのは、脚色を施しているからだろう。

 狂気という言葉は本書においてK氏から発せられているが、ロマン派の音楽に重ねられているのは『狂気の西洋音楽史』とほぼ同じである。ほぼというのは『狂気の西洋音楽史』では「ロマン派」には古典派も含まれているが、本書においてはフランス革命以降、ベートーヴェン以降のことを言っているからである。主音で始まり主音で終わる音楽から、転調を繰り返す音楽へ、凡人の想像を絶する感情、行動、現象を体現する音楽へ。それを狂気と呼んでいるのである。
 この部分が本全体の副題にされているのは耳目を引くからにすぎないようだが、「狂気」の使い方はバナールだと思う。所詮「正常」とされているようなことは視点を変えればすべて「狂気」に陥っているのだから。人間的な感情を解放したのが「狂気」なら、規則でがんじがらめにして,個性の発露を最小限に抑えているバロック音楽は別の形の「狂気」だろう。

 とはいえ西洋音楽狂気論は本書の指摘のひとつ。最初の指摘は小節の頭を強調しろと教えるが、実はヨーロッパ音楽はアフタービート(アップビート)の音楽だという指摘。ヨーロッパ人は無意識にアフタービートになっているが、そういう文化のない日本人は、オン・ザ・ビートを強調してしまう。
 「撓む音楽」の章では、常に音の動きは準備され、投球のときに腕を後ろに撓ませるような準備動作があるということ。東洋の古武術のように、バックスイングなしにいきなり動くということなはい。
 「音楽の左右」の章で依拠する、右脳と左脳の分業は今日ではかなり怪しいものといわれている。楽音として音を分節する西洋音楽が、強力な資本主義の社会の中で力を持ち、広がったこと、民族音楽はそういう分節を持たず、自然音に近いノイズとして認識されるという指摘は脳の左右に局在化しないかぎりは首肯されるところがある。そして現代音楽で音楽はまたノイズに戻るのだ。
 そしてクラシック音楽はすでに衰退しつつあるものだといい、だから伝統を守るのか伝統を壊すのかという問いが投げかけられる。
 「音楽論」として興味深いとともに、実践家の本らしく、本書で挙げられた議論は日本人が西洋音楽をやる上での示唆に富んでおり、私のような好事家だけではなく、プロの音楽家に読まれるべきものと思う。

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2016年02月11日

Posted by ブクログ

これは面白い!個を主張しヒエラルキーなartificialな西洋音楽 vs 竹林に吹く一陣の風的natureな邦楽。最後の君が代分析はオリンピックで君が代を聴くと感動するけどaggressiveな高揚感が無い違和感の原因を大得心。

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2012年05月10日

Posted by ブクログ

新書だし、休日にパッと読もうと思って実際にパッと読んでしまったが、もう一度ちゃんと読もうと思える内容。西洋音楽、特にクラシックの呪縛はイイ意味でも悪い意味でも根深いものともともと感じていたが、それを論理的に明かしてくれていると思う。サッカーと政治の本というのも多数出ているけど、この本で語られている音楽と政治の関わりも非常に興味深い。どのような音楽を政治に用いたか(例えばワーグナーとナチス)みたいなことではなく、クラシックという音楽の構造自体が、支配という考えに裏打ちされている音楽だということが分かりやすく語られている(決してそれを批判しているわけではない)。それとともになぜ現代音楽というジャンルが衰退してしまったのかについても。この論が合っているのかそうでないのかはさておき、このような考え方で音楽を眺めてみるのはまた面白いのではないか。

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2012年03月18日

Posted by ブクログ

衝撃的な本です。世の中にこういうことを考えている人が
いるとは驚きです。

表拍・裏拍なんて考えたこともありませんでした。

「君が代」を歌いながら行進はできない。 うーーーむ。

唸るばかりです。

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2012年01月07日

Posted by ブクログ

よく言う、音楽は国境を越えるというのは、うそだなと。
超えるのは簡単でなく、異文化の音楽を消化するのには、相応の努力、時間が必要なんですね。

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2012年01月04日

Posted by ブクログ

すでにすごく面白い。アフタービート、左足で踏み出す行進曲、ベートーベン現代音楽、Jazz、フリージャズ…色んな知見がとっても面白い。

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2012年01月03日

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シューベルトの楽譜にかかれた装飾音の話と、ベートーベンの第9の解釈がすばらしくおもしろい。現象学でいうところの間主観的拘束性じゃなかろうか。過去のテキストを読み解くことが、実はいかに困難なことかという命題がわかりやすく説得力をもって描かれている。アフタービートやスウィングの話も刺激的。ひどく図式的な右脳・左脳論だけは、どうしても違和感を感じざるを得ないが、それ以外は、なるほど!うわ、そうかも!ひゃあすげえw!と1ページに3回以上感嘆符の連続。音楽好きなら必読かも。

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2012年11月17日

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現役の指揮者による西洋音楽論。ただし、技術に関することのみならず、音楽というフィルターを通じて、音楽とは直接関係がなさそうな政治・文化に関する考察に進んでいくところが、非常に興味深い。

一例を挙げると、

(1)西洋音楽は、実は裏拍の方が強い。それは、ロック等のカジュアルミュージックと共通的な特徴である。

(2)西洋音楽は、階級社会と親和的である。それは、和音の進行法やオーケストラの構成に象徴される。それ故、西洋音楽は、資本主義と帝国主義の伝播に少なからず貢献したのではないか。

こんな話が出てくると、クラシックを殆ど聴かないような人も、本書を読みたくなる筈。

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2012年03月03日

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  作曲家でもあり指揮者でもある森本恭正「西洋音楽論―クラシックに狂気を聴けー」(光文社新書 2011)は、刺激的な音楽論を展開している。右脳思考と左脳思考のちがいやオーケストラは過去の遺物だなんて話には唸ってしまうし、 西洋音楽はアフタービート、という指摘にも頷ける。「ウィーン通信」という 私的メールが母体となった書物だが、昨今では、ウェブ上に散らばっている思考には目を見張るものが点在している。

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2012年02月29日

Posted by ブクログ

ヨーロッパで活動している森本ならではの、クラシック音楽とは何か?、これから進む道は?という素朴ながら重要な疑問・問題に、専門家としての、というより作曲家としての立場から見据えた音楽論の言える内容で、最近の新書が向かっている「啓蒙書から専門的知識も持ち合わせたオタク向け」的な内容といえるだろう。
例えば、モーツァルトが16分音符を4つ書こうとした場合、非常にしばしば8分音符1つと16分音符2つを書き初めに書いた8分音符に装飾音をつけたのはなぜか。日本の管楽器ではタンギングをしない。後者は邦楽との比較という点では面白い内容だが、前者を例にして西欧音楽論を展開する必要があるのかは疑問のあるところ。
しかし、西洋を舞台にしたオペラを東洋人が歌うことへの疑問(同時に逆のケースも)などは、素朴な疑問として面白い論点だとは思う。

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2012年02月07日

Posted by ブクログ

はじめに
第一章 本当はアフタービートだったクラシック音楽
第二章 革命と音楽
第三章 撓む音楽
第四章 音楽の右左
第五章 クラシック音楽の行方
第六章 音楽と政治
おわりに

音楽史と思ったら音楽論でした
エッセイ風で読みやすかったが何か知識が得られたかというとあまり...
ただ「たしかに」とおもうことがたくさんあった
西洋クラシックはアップビートってことは理解出来た

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2019年08月08日

Posted by ブクログ

日本人にとってクラシック音楽を受容するということはなにを意味しているのかということを、著者自身の体験と考察を交えながら、エッセイのようなスタイルでつづった本です。

日本人という観点から、ヨーロッパの音楽はアフタービートが基本になっているという指摘をおこなったり、クラシックとジャズを貫くスウィングについての独自の考察をおこなったり、さらには、日本人と西洋人で右脳と左脳の使いかたにちがいがあるという、角田忠信の『日本人の脳』(大修館書店)における疑似科学的な議論までも引用しつつ、西洋音楽が日本において「クラシック」として受容されたことが生んだ「ねじれ」のなかで考察が展開されています。

若干議論が散漫に感じられるところはありますが、著者が直面しているのは、森有正がヨーロッパの思想と出会い格闘した問いと同型のものだということができるように思います。ヨーロッパの思想は、われわれ日本人にとって単なるユーラシア大陸の片隅の特殊な文化として受容されたのではなく、普遍性をもつ範型としての意味をもって受容されてきました。しかしその範型は、いうまでもなくヨーロッパという風土における「経験」のなかではぐくまれ、そのなかから生い立ってきたものであったはずです。ところが、日本におけるヨーロッパ思想の受容においては、ヨーロッパの思想的風土における経験から普遍性へのプロセスをそのままたどることはできず、たんなる形式としてのみ受け入れられることになり、そこにレーヴィットが指摘した「二階建ての日本」というニヒリズムの淵源が存在しています。

本書は問題の提起にとどまっており、それに対するはっきりとしたこたえがあたえられているわけではありません。しかし、著者自身が本書において提起されている問題、すなわち日本におけるクラシックの受容という「ねじれ」のなかに身をさらしつつ、その「ねじれ」のなかで思考を紡いでいくドキュメントとなっており、ある種の迫真性が感じられます。

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2024年10月23日

Posted by ブクログ

西洋音楽は基本裏拍、1拍目にアクセント記号があるのは「(例外的に)ここを強拍にしなさい」という意味、という裏拍の話は面白かった。
確かに休符で始まる曲って、多い。そう思って聴くと、ジャズやロックはもちろん、クラシックも基本アフタービートなのがよくわかる。
以前ジャズコンサートに行ったとき、裏拍が取れない人が少なからずいた(ジャズファンなのに???)ことに驚いたし、70代以上で裏拍とれる人は本当に少ないと思う。(日本で)
日本人が西洋音楽を身につける苦労の大本はここにあるのかもしれない。
モーツァルトの装飾音や音の撓みの話も興味深かった。
しかし、右脳左脳の話のところでは、ちょっと納得しかねる部分もあり。
メシアンはただ単にそういう作曲家なだけでは?
私はクラシック音楽を聴いていて鳥の声を感じることがあるけど、日本人だから?(虫がないのは、基本ヨーロッパは寒いところが多く、耳を聾するほど鳴く虫が少ないせいだと思う)

クラシックに関するエッセイとしては読みやすく、まあまあ面白かった。

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2013年02月19日

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