あらすじ
人生は「未完成」でいい!
美術家が語るアートと死の共犯関係
◆内容説明◆
人は死んだらどこへ行く?
そんな夢想は結局、「死=無」という地平線上におさまったりする。
だが、死の世界はそんな凡庸なものではない――。
87歳を迎えた世界的美術家が、死とアートの関係と魂の充足について自由闊達につづる。
父母、愛猫の死から三島由紀夫、アンディ・ウォーホルらとの交流の記憶まで。
貴重なエピソードを交え、「死」とは何か?
「死後を生きる」とはどういう境地なのかを考えていく。
「人間は未完で生まれて、完成を目指して、結局は未完のままで死ぬ。これでいいのです」その言葉に触れればふっと心が軽くなる、横尾流人生美学。
本書掲載の著者とアトリエ写真の撮影は森山大道氏。
◆「おわりに」より◆
創作は自分の中の不透明なものを吐き出す作業だけれど、
死について本一冊分語ったわけだが、死を言葉にすることで、
自分の中の死も吐き出されたのかな?
それはともかく死を恐れる気持ちは
いつの間にか薄められたような気もする。
本書の進行途中で急性心筋梗塞になって死にそこなった。
死んでもおかしくない状態から、
気がついたら(別に気絶をしていたわけではないが)
無事帰還して、
何もなかったように、再び絵を描き始めていた。
電子版のみ横尾氏の作品をカラーで収録。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
不謹慎ながら横尾先生が、まだ生きていらっしゃるとは驚きだった。書店で見かけ、即購入した。私と同じ事を考えていらっしゃるので、没頭して読み終えました。横尾先生の哲学に、完璧に賛同致します。これ以上はない考えだと思います。究極の思考であると理解できました。
Posted by ブクログ
芸術家特有?の「マイルール的な解釈によりどこまでも突き抜けていける感」が、随所にあって良かった。
死後自体が理屈で考えられるものじゃないんだから、案外それで良いんだな、とも思った。
勿論、そこに至るまでにアレコレの勉強や深掘りは通過している前提だけれども。
「頭にいっぱい詰め込まないと、逆に空っぽにならないということです。」
→瞑想っぽい体験のときに次から次に雑念が出たあとで空っぽになる体験に対して、まず雑念をとにかく持つこともある意味必要と解釈する素直な強さ(自分に良いように捉える力?)みたいなものが、面白い。
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「そうしているうちに、絵を描くという行為自体が、実は僕が死と一体になることと同じなんじゃないか、同一化しているんじゃないかっていう」