【感想・ネタバレ】体育がきらいのレビュー

\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

Posted by ブクログ

「待ちに待った運動会の日が来た」
運動会の作文といえば、こう書き始めるのが定番?だった昭和の小学生。
運動が得意でなくても、そういう反応をしなければ、子供らしさがないと言われた。
そんなわけないとはおくびにも出せず、高校生くらいになってから、「本当は運動会の日は雨が降ればいいのにと思っていた」という文章を子供向け読み物の中で見て、そんなこと言ってもいいんだ⁉︎、、そうだよねー!と、とても共感した日を思い出す。
実際、1989年の調査では、小学生は、好きな教科第一位は体育76.2%、嫌いな教科では、体育は最下位の第八位と答えていたそうです。(P 20 )

「体育がきらい」というタイトルに、そんなこと堂々と言える時代になったんだなー、と手に取りました。
令和の現在、2021年調査では、小学生にとっての体育は、好きな教科としては算数(20.0%)に次ぐ二位(17.8%)とはいえ、嫌いな教科としても、算数(24.6%)、国語(19.4%)に次ぐ堂々第三位(7.7%)だそうです(第四位は社会3.9%)。体育は、2013年以降、不動の嫌い第三位なのだとか。(P19)
みんなホンネを出せるようになったんだなー、と感慨。
体育の授業が変わったわけじゃない、SNSの影響だそうです。

本書では、「体育は公開処刑」とか、「なんで跳び箱飛ばなきゃダメなんですか」「なんで踊らないといけないの」とか、体育嫌いが思うことをひとつひとつ取り上げてくれる。
体育が求める「規律」、体育とほぼ同義と考えられている、運動部、スポーツ、といった観点を取り上げて、それらと体育の関係や、実はそれらは体育の本質じゃないと語った上での最終章、結局体育って何なん?という問いに対する筆者からの一つの答え、私は、結構、気に入りました(笑)。

0
2024年02月03日

Posted by ブクログ

僕は体育がきらいだった。SNSの出現で、体育がきらいだった、という人が意見を表明し、ああやっぱりみんなきらいだったのね、という人が増えているそうだ。
だが、その「きらい」とは何なのか。体育を教える側の立場から見た、「きらい」を探る本。
僕が体育がきらいだった小学校、中学校の時代に、このような本と出会えていれば、体育はきらいにならなかった可能性が高い。
学校教育で体育を小中高、大学までやっておきながら、人々はジムやフィットネスなどでパーソナルトレーナーをつけてまで、自らのからだを整えようとする。体育ではそういうことを学べなかったのだ。著者はこれを「体育の敗北」と呼ぶ。
しかし、体育がきらい、にはいくつかのレイヤーがある。
運動がきらい 命令口調の体育教師がきらい みんなの前で恥ずかしい思いをさせられるからきらい
僕もそれら全てに当てはまると言えば当てはまるけれど、一番納得がいったのは、体育が規律の強制をしてきたのでは、というくだりだ。
例えば、体育座りというものは、手も足も自ら固定させることで、子どもたちの自由を自ら縛るというものである、ということで、ハッとした。
僕が体育きらいなのは、そう、規律の強制に他ならない。
そういうことに気づかない人もいるわけなので、体育ぎらいは豊かな感性を持っているのでは、とも著者はいう。そうか〜、俺豊かか〜などと悦に入りながらも、さらに、体育とスポーツの違いなどにも突入していく。
今は、僕らの頃より少しは変わっているはずだけど、規律だとか、(代替戦争のような)スポーツだとかではなく、「自分のからだをしり、よりよく付き合っていく」ということに、もっと学校教育は特化したらいいのに。
学校では、歩き方も立ち方も、規律以外のために教わったことなど一度もなかった。
それを理解して授業にのぞめば、体育も楽しかったのかもしれない。
そういう後悔も残るが、とても良い本だった。

0
2024年01月02日

Posted by ブクログ

強制、みんなからの視線、叱責、うまく身体を動かさせない恥ずかしさ、思い起こせば体育がきらいになる要素はこれほどまであったんだなと再確認。私自身も得意競技の時は「楽しみ!」でしたがそれ以外は憂鬱でした。これからの体育を考えたい人や体育嫌いにおすすめ。

0
2023年11月27日

Posted by ブクログ

ネタバレ

自分は体育の研究をしているつもりでいるが、この題名の視点を深く考えてこなかったことにまず驚いた。
好きにならなくてもいいとは思っていたけど、じゃあ体育って何?やる意味ある?その答えは明確になっていなかった。しかし、この本を読む中である光が差した。それは、体と心は繋がっているということ。
体育はスポーツでもなく、部活でもなく、軍隊訓練でもない。体育の本質は体だ。体を使って考えて、体をさらして、体でコミュニケーションして、体を変えていく。それが体育でしかできない。
これだ!と思った。体育は嫌いになってもいい、体は嫌いにならないでほしい。そのために何ができる?まずは、強制と矯正をやめることだ。そして、選択肢を広げてあげることだ。
思い返せば、自分も体育好きじゃなかったなという発見が驚きであり、人間の思考ってそんなモンだなという諦めもあった。内容にそれほどの深さはないが、思考をとことん深めてくれるきっかけになった一冊。

0
2023年11月07日

Posted by ブクログ

ネタバレ

感想
 「体育がきらい」について知りたくて読んだ。体育や体育教師のイメージなど、改めて考え直してみるとすごくおもしろかった。一人に一つしかない大切な「からだ」をあつかう保健体育の教科としての意義や、教師が知らずに生み出していたのかもしれない「体育ぎらい」について、心に留めておきたいと思った。


じめに

10 「体育」なんて好きにならなくてもいい

17 体育の「嫌い」と「好き」の「あいだ」にも、そのような豊かなヴァリエーションやグラデーションがある

第1章「体育ぎらい」のリアル

19 2021年8月小学生 体育は好きな教科2位 嫌いな教科3位

   1989年 好きな教科1位 嫌いな教科8位

   嫌いな割合 男子10.7% 女子16.5% 小6女子30.5%

28 SNSにより「体育ぎらい」が印象づけられた 稲垣諭 SNSは、社会の苦しみの現  

   実を変えてしまった。(中略)そのように苦しむ主体や克明な記述が増えることは、同時にそれを目にする人の中で苦しみの自己認知・追体験が行われることでもあります。

31 からだの「かけがえのなさ」「かえられなさ」

39 日本の体育は、子ども一人に対して10年以上の時間を費やしています。それにもかかわらず、彼らが大人になり、いざ自らの健康を意識し始めたとき、一体何を、どうすればよいかがわからない とりあえずジム 体育の敗北

42 「体育ぎらい」と「運動ぎらい」



第2章 体育の授業がきらい「規律と恥ずかしさ」

56 体育=体操だった

60 「公開処刑」

62 恥ずかしさの誕生 サルトル 鍵孔の例 他者に見られていることを自覚することによって恥ずかしさを感じる

第3章 体育の先生がきらい「怖くても、ユルくても」

83 怖そう 体育の先生と暴力

85 偉そう 生徒指導という役割

体育の先生は軍人っぽい 体育の先生はスポーツのコーチっぽい

99 「ユルイ」先生は、まだ「体育が嫌い」ではない人にとっては、体育を好きになる可能性を摘み取る存在になり得る

105 体育を好きにさせることは、あくまでも手段として意味しかない。人が何かを好きになるという出来事は、他者が簡単にコントロールできる性質のものでは、そもそもない。



第4章 運動部がきらい「体育教師らしさの故郷」

129 体育の授業はレベルの低い運動部なのか

第5章 スポーツがきらい「残酷ですばらしい文化」

144 競争しなきゃダメなのか

153 スポーツは人を育てる・・・とは限らない

155 スポーツは一つの文化(でしかない)

166 生涯スポーツと言われても・・・生涯音楽や生涯美術はない



第6章 そもそも運動がきらい「だからこそ、からだに還る」

177「運動=スポーツ」という幻想

184 できるようになる=身体技法の獲得

187 階段かエレベーターかからだが選んでいる

190 運動ができるようになることは、決してスポーツがうまくなることだけを意味しているわけでなく、私たち自身の経験できる世界を豊かにすること

195 からだが変わるとは私が変わること

199 力を入れるだけでなく抜くことも大事

207「からだを豊かに変えていくこと」としての本当の「体育」は、もっと自由で、もっと面白く、そして、きっとすばらしいもの



あとがき

211「からだ」は嫌いにならないで!

0
2024年04月14日

Posted by ブクログ

タイトルを見て素通り出来ず購入しました。
体育なんて大嫌いです。

中学生の時、体育の教育実習生が来ました。
持久走でした。
周回遅れで最後にゴールすべく真面目に走っていた私に、実習生は「がんばれよー」と呑気に声をかけました。普通にゴールした同級生も和やかに談笑中。
私がゴールすれば授業は終わり、
みんな早く終わって着替えて帰りたかったんでしょう。分かりますよ。分かりますけどね。
私はサボっていたわけじゃなく、
必死に走っても遅いんです。惨めでした。
私に採点させてくれるなら、こんな奴に合格点はやらない、体育の教師になんかならないでくれ。
と思ったのはもう40年以上前。
先生になられたのか、他の職業に就かれたかは知りません。私の様な体育嫌いを増産するだけの教師として人生を過ごされてなければいいなと思います。

バスケットの授業の時、教師はバスケ部の生徒に指導を振りました。興味もなかったのでルールも知らず、見様見真似で動いたら「はいファール!」と高らかに叫ばれて固まりました。何がいけなかったのか、どう直せばいいのか、何も分からないまま試合がありました。ボールが来ない様にひたすら逃げ回りました。
バスケットボールが人気スポーツなのは知っています。でも私はこの授業以来、バスケットボールに何の関心も持てません。今この瞬間に世界からバスケが消えても私の人生には1ミリも影響がない。

体育の授業がなければ、私は今ほど運動する事に嫌悪感を持たずにすんだのではないかと思う事はしょっちゅうあります。体育とスポーツとは違う、という主張には同意します。保健体育を必修とするなら、教えるべきは、自分が健康に生涯を過ごすために自分の身体をどう扱うかという事でしょう。それは性教育にもつながる事の様に思います。寝方、緩め方。そんな事、習ったことないけど、身体を労わる、身体の声を聞くためには、スポーツの技能なんぞよりよっぽど伝えなければならない事の様に思えます。

体育嫌いなんで、便乗して語りました。
大人になってよかった事のひとつが、体育の授業が無くなった事だと心から思います。

0
2024年03月08日

Posted by ブクログ

ネタバレ

体育は「からだ」という唯一無二でかけがえないと同時に逃げられない要素に注目せざるを得ないものである。
体育嫌いが増えている一方での有償のスポーツジムやフィットネスクラブの流行は、自らのからだを扱う(管理する)術を伝えられていない体育の敗北である。
体育における規律とはからだのコントロールで、それを指導する役割を持つ体育科の特権が、体育教師による生徒指導とつながっている可能性がある。
部員全員で学校名入りのチームジャージを着ることの誇らしさと、そこから得られてしまう「特別な存在」であるという自負の危険性がある。
文化としてのスポーツなのに「運動部」とされ、部活に無所属なのに帰宅「部」とされるように、運動部の特別性を強制性がある。
運動によって体が変わり、その結果として私が変わる。
全力を求められ競争性があるスポーツに対し、体の使い方や動かし方を含む体育や運動は本来異なるものである。しかし、現状の体育の授業ではあまりにスポーツに偏っている。

0
2023年12月30日

「学術・語学」ランキング