あらすじ
全国の温泉地にあった性愛シーンの等身大人形や性にまつわる品々を展示した「おとなの遊艶地」――等身大人形製造文化と日本古来の性信仰と娯楽産業が融合した文化装置を訪ね歩き、「身体の観光化」の視点から成立過程と消費されてきた実態を考察する。
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Posted by ブクログ
学問的観点から見た「秘宝館」の盛衰と意義…て、ところだろうか。
社会人の余暇や女性の社会進出、行動様式の変化などと絡め、70~90年代の盛衰を振り返ったり、明治から大正にかけての衛生博覧会との関連に対してなど、なるほどと頷ける指摘は多い。
だけど、ちょいとエエカッコしすぎているようにも感じた。
Posted by ブクログ
著者はジェンダーを専門とする学者。今は東北大学准教授をされているとか。
だから、裏打ちはされた内容とは思うが、読み物としてはいささか理屈っぽく感じた。
自分は次のように理解した。
古来より日本には「見世物」という風習があった。良くも悪くも。
その中で江戸末期から一部で人気を博していたのが生人形(いきにんぎょう)である。
生人形とは、生きた人間に似せて作られた人形のことで、長く低級な見世物としか認知されていなかったのだが、近年その評価が見直されつつあり、いわゆる明治工芸の超絶技巧と並び、往時の高い技術の遺産という見方が広まってきている。
20世紀になっても、多くの娯楽がなかった時代でもあり、
娯楽の一つとして考えられたということだろうか。
併せて社会的な背景として、秘宝館が立てられ始めたのが1970年代という点に着目している。
それまでは旅行といえば男性が団体で行くものとされていたのが、
技術の発達や社会の高度化により余暇が生まれ、女性も旅行に行くようになってきた時代に重なると著者は言う。
その二つの要因が交わり、男性も女性も楽しめる施設ということで作られるに至ったという。
とはいえ、最後の「じゃあなぜ、性をテーマにした娯楽施設なのか」という点は、やはり腑に落ちない。
ここで自分としての仮説は二つ。
一つは、先の記事にも書いたが、「腑に落ちない」というのはあくまで現代の感覚から来るものであって、
当時としては性に対してもっとおおらかだったため、そういう発想自体は何ら不自然なものではなかったということ。
もう一つは、当時としても多少はエッジの効かせた発想ではあったものの、
結果してこれが残ったということ。
裏を返せば、同時発生的に似たような施設が誕生したものの、
それらは間もなく淘汰されていってしまったという説。
今の若い人には信じられないだろうが、
自分が子供の時分には、夜のゴールデンタイムの番組で、女性の裸が出ていたことも、ざらだったのだ。
そう思うと、前者なのか。。