あらすじ
政府・新型コロナウイルス感染症対策分科会会長、唯一のコロナ手記。
著者は世界保健機関(WHO)で西太平洋地域事務局長を務め、同地域のポリオ撲滅やSARS制圧に尽力した感染症対策の専門家だ。中国・武漢市で謎の感染症が発生したという話を聞いたときから「日本での感染拡大は時間の問題だ」という危機感を抱いていた。
政府・厚労省に感染症対策の専門家は少なく、2020年2月に入って立ち上がった専門家助言組織では国がしようとしている政策について意見を聞かれたのみ。このままでは対策が間に合わないと「ルビコン川を渡る決意をした」。専門家たちは土日などに集まっては手弁当で勉強会を開催し、対策の提言を出した。その数は3年間で100本以上になった。それらの提言の裏に、葛藤があった。
疫学データが足りない、政府と専門家の役割分担が不明確、社会経済活動と感染対策のバランスは? 一般医療とコロナ医療をどう両立するか。人々の価値観が多様で、唯一絶対の正解はない中で、どう社会の共通理解を見いだすか……。
新型コロナ・パンデミックは日本社会に様々な問いを投げかけた。
専門家のまとめ役として新型コロナ対策の中心にいた著者が、新型コロナの1100日間を自身が抱いた葛藤とともに振り返る。
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Posted by ブクログ
最近の仕事で感じていた「有識者および専門家と政策形成の関係・役割のあるべき姿とは」という問題意識に合致し非常に面白かった1冊だった。シーシャ屋で軽い気持ちで読み始めたら最後まで一気に読んでしまった。
本著では新型コロナに対応した尾身茂氏が、時系列に氏を中心とした有識者の振り返りと、それらを踏まえた課題を整理されている。
有識者と政府がメディアで思われている以上に同一の存在ではなく、緊張関係にありつつ、専門的観点から政府に提言し続け、その都度政府側が様々な反応があり、様々なやり取りをしつつ、コロナ対応を推進する模様を描かれているのは、回顧録としても非常に面白かった。
本著からは「専門性の重視とリスペクト」・「専門性組織としてのプロフェッショナル」を強く感じた。前者では例えば尾身茂氏は自分の専門ではないと判断すれば他の専門家のアサイン・助言を乞い、他方で提言等で政府を助言する際にその提言に専門家が参加を断った時には「非常に困る」としつつ、彼ら専門家としての判断を尊重した。後者では専門家の役割は提言でありその採否の判断や実行は政府の責任としつつも、データが足りない状況でもその判断を支え実務を推進を後押しすることに力点が置かれているように感じた。特に同氏の以下のコメントはその点を端的に表現している。
【ここは学会ではない。政府に助言するための組織だ。厳密な意味での科学的根拠がなくても、専門家としての判断や意見を言わなければ、専門家としての役割を果たせない】尾身茂著「1100日間の葛藤 新型コロナ・パンデミック、専門家たちの記録」
専門家組織と官庁は両輪の存在であるものの、感染症分野に限らず上手くいっているとは限らない。情報がすべてある状態が望ましかもしれないが、現実の実務ではそういった状態ではなくとも意思決定し政策を推進することが必要な場面が必ず存在する。そういった場面でも、学会的な感覚ではなく、実務的な要請を理解しつつ、官庁側の意思決定を専門家の立場から支えることが必要不可欠だと考える。
Posted by ブクログ
新型コロナ発生から関わってこられた尾身先生による手記です。読んでみて印象に残ったのは、平時への移行フェーズに関しては専門家と社会の齟齬が生じて、尾身先生をもってしても舵取りに苦慮したという下りでした。
ステークホルダー間の利害対立を調停するのは本来政府の役割であって、専門家が主導する(あるいはそのように見える)のは望ましくないというのが本来のお考えでしょうけど、危機的状況にあたりあえてそこを越えたことについては、今後評価されることになるのでしょう(個人的には当時政府のメッセージが弱すぎたと感じました)。
5類化の議論については、分科会内では重症化だけでインフルエンザとは比較できないという至極当然の議論はあったようです。なぜか大竹委員の主張がメディアで大きく伝えられ政治的に5類化の流れになったあたり、どうも釈然としないのですが、そのあたりも「立場や価値観」ということになるのでしょうか。
全体を通して、時系列に沿った対応の経緯と関連した膨大なデータから、これを「記録」として残したいという意思が伝わります。いずれ来る「次」への備えとしたいとの思いもあるのかもしれません。
Posted by ブクログ
社会は、日常に戻ってきている。あの大変だった日々.その中でのプロセス、専門家会議の提言。感染症危機に強い社会への展望 。
普通の市民にとっても、大変だった日々を思い出しながら、読み終えた。
思わず、タイトルのみで、購入してしまった.
購入して、読めて良かった!
Posted by ブクログ
長かったコロナ禍。いろいろな方面から矢面に立ちながらも方向性を提言・構築してくれた尾身さんはじめ専門家の方々のご苦労に心からの敬意を表します。この本の発刊を知った時、すぐにでも読みたい衝動に駆られました。コロナ禍の3年余り、私も管理職の立場にあり、常に判断と決断を迫られる日々を送っていました。葛藤もありました。本書の中で様々な分野の専門家たちが集まり、それぞれの知見をぶつけ合う。感情論になることもあり、人間関係がギスギスする中、尾身さんは「そんな内輪もめをしている場合か。仲間内の人間関係についてくだくだ言うよりも闘うなら、もっと大きな目的のために闘おうではないか。私たちに与えられたミッションを忘れちゃだめ」の発言の場面がありました。尾身さん自身の覚悟が伝わってきて、胸を打たれました。このメンバーの立場には上下関係もなく、年齢差もなく、お互いの忖度もない。政府に対しても同様のスタンスでありました。そこに専門家それぞれの卓越した識見に対する誇りと矜持を感じました。
Posted by ブクログ
本書を読むと、特にコロナ禍の後半では政府の情報の取り扱いや意思決定が非常に軽かったのが目立ってくる。 日本ではこれまでも、そして現在も日々当たり前のように事前リークが行われているが、政治や行政では既成事実を作って物事を進めると言うのが1つの様式になってしまっているように見える。
また実際には専門家に相談していないにもかかわらず、専門的な知識から決定したと言うのは、厳密には嘘のわけで、この辺もわが国の政治における言葉の軽さが如実に現れていると感じた。
本書が書かれた理由の一つでもあり、専門家の奮闘を支える原動力の一つとなっていたが「対策は最終的には歴史が判断する」という価値観だ。言葉が軽い、あるいは情報の取り扱いが軽いという人の価値観はいわばその対局にあるわけで、究極的には「今を生きる」政治家や官僚と、「歴史の一部である」専門家たちの価値観と違いがそこにはあったように思う。もちろん個人的には、自分は後者にシンパシーを感じているのは言うまでも無い。
一般的には「終わった」ことになっているコロナとの戦いがまだ続いていることを改めて思い出させるとともに、何があったのかを当事者が残す貴重な一冊になっている。
Posted by ブクログ
ここで書かれていることが全て真実だとは思わないが、マスコミで騒がれている(騒ぐことで儲けているライターの皆様)世界とは異なる尾身さんの世界観を知ることができた。
前線にいる一兵卒には、管理者や国の専門家たちがどのような仕事をしているのかよくわからなかったが、克明に描かれていたので、非常に学びとなった。
Posted by ブクログ
尾身先生はじめ、分科会の皆様の葛藤がとても伝わる内容でした。とても貴重な資料です。
今後のコロナ対策、そして次のパンデミックに対して、自分自身がどう備えられるか、考えていきたい。
Posted by ブクログ
社会は許容できる死亡者数を決められるか…。
あまりにも重い提言だ。どうしても出せなかったとはいえ、こんなことを検討しなくてはならないほど逼迫した状況を3年も戦い続けてくれた専門家の皆さんにまずは感謝したい、と本書を読んで思った。
誰も最も最良と言える確かな判断を出来ない状況の中で、時には怒鳴り合いながら六時間以上も話し合うのはものすごい精神力や忍耐や体力も必要だったことと思う。
そしてこれだけ詳細なデータややり取りを残しておくこと自体も必要とはいえ大変な作業量だったことと思う。
よくぞこれだけの文章にまとめられたものだと思う。
著者は常に矢面に立たされる立場だったことから世間から批判されることも多かったと思う。
本書には感情表現はほぼなかったけれど(あえて記録に徹しようとする本書の著者のスタンスだったのでしょう)記録を掘り起こして書きながら、その時の辛さが耐え難かったことを思い出されたりしたこともそれはそれは多くあっただろうと文のあちこちで推察させられた。
まだコロナは収束していっているとはとても言えないけれど、何十年後かにこの本の記録の価値を今以上に見直さなくてはならない時は必ず来ると思う。
それは今のコロナ禍が終息を迎えたときかもしれないし(終息、するだろうか?)、新たなパンデミックに見舞われたときかもしれない。
Posted by ブクログ
あの極限状態の中で「葛藤を突き詰める」ことから真正面から向き合える人は尾身先生ぐらいしかいないんじゃないかなと思う。尾身先生の一番すごいと思う所はとにかく「辛抱強い」とこだと思う。
Posted by ブクログ
先生に対してお礼の言葉以外になにがある?
・葛藤は避けるのではなく、突き詰める。
わからないこと、もやもやしていることがあると、つい避けたくなる。逃げたくなる。そこをこらえて突き詰めることで、道が開ける。まさに。
Posted by ブクログ
新型コロナウイルス感染症対策分科会会長としての3年以上に渡る葛藤と格闘の記録。改めて、こんなにも緻密に膨大な量の分析と議論と行動をされてきたのかと思う。そして何よりも焦点が当てられているのは、政府・専門家・市民の三者の関係とコミュニケーションの取り方について。ここで著者は「オープン」と「共創」を大事な原則として挙げられていると理解した。この点は大いに共感。隠したりいがみ合ったりすると結局はうまくいかない。政府や市民をいたずらに悪者にせず、冷静に分析・提言をされていると感じた。
Posted by ブクログ
この人の立場でしか語れない、貴重な話だらけだ。
歴史書としての価値もありそう。
ただ、同じ話の繰り返しであったり、冗長だな、と感じる部分もあった。
「1100日間の葛藤」ということであれば、最終章に書かれていることに集約されると思う。
尾身氏への敬意を抱かざるを得ない書。
Posted by ブクログ
今は花粉症対策でマスクをする人があちこちで見られるが、
コロナ禍の、全員必須、しなければ国賊、というような緊張感はなくなった。
あ、病院だけは相変わらず必須だが。
2020年2月に始まり、2023年5月の5類移行に終わったコロナ禍で
「専門家会議」の会長だった尾身茂氏が、その3年の活動をまとめた本。
基本は記録。
正体不明の新型ウィルス、志村けん、岡江久美子の死で一気に緊張感が高まり、
当時の安倍首相以下政府の迷走が思い出される。
学校の全国一斉臨時休業、緊急事態宣言、アベノマスク、三密、無観客東京オリパラ、、
未知のウイルスに対する試行錯誤は当然ではある。
専門家といっても、未知なものは未知。未来予測はできない。
打つ手が外れることは当然ある。
それでも必死にデータをもとに統計的に科学的に分析し、提言をする。
しかし、、
偏差値優等生の官僚は、正解しか許せない。
世襲政治家は自分の頭で考えない。大局など見ない。
そんな連中に、専門家が提案をしても、
暖簾に腕押しだった様子がこの本からは見て取れる。
その後、統一教会とキックバックが明らかになり、
世襲以外の自民の政治家は自分の当選のことしか考えていないことがばれてしまった。
そして一方世襲議員はやはり考えてない。
そんな連中の施策がまともであるはずがないのだ。
予算を組むなどもってのほか。当時は五輪、今は万博、そして軍備に金を使い、
献金してくれる財界だけを潤すことしか考えられない。
三度の食事も満足にとれない子供を救おうとはしない。
出生75万人、婚姻50万人も当然だ。
それでも民主主義しかない。独裁政治はだめだ。
チャーチルの
「民主主義は最悪の政治形態といわれてきた。他に試みられたあらゆる形態を除けば」
には納得せざるを得ない。ロシアや中国を見ていると。
であれば、下手を打った政権に退いてもらう、それしかないのだ。
あとはあとだ。