あらすじ
風呂に入らないのも、ゴミ屋敷になるのも、お金を借りまくるのも、支援を拒否するのも、母なりの訳があったーー。"困っていた母" と "困らされた私" が格闘した、2年間の生の記録。
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Posted by ブクログ
ゴミ屋敷・贅沢・借金癖のある母親への支援の記録。借金で人間関係が破壊されていった自分の祖母を思い出して、泣けて仕方なかった。
介護ではなく、と著者は題で言っているが、これは介護だったと思う。むしろ著者が自分の想定する普通の生活に拘泥し、介護という言葉に拒絶反応を持ち続けたことも母娘の苦しみを深めたようにも読める。
とはいえ人生の終わりは、本人も周りも手探りで藻掻きながら希望のない未来に向かわざるを得ないのがつらいね
Posted by ブクログ
今まで読んだ介護の関係の本の中で、一番印象に残った。ゴミ屋敷の中で食事もお風呂も十分でなく、金銭感覚も尋常でない。でもそんな母親を最期まで精一杯看取った著者は立派だと思う。
著者を見守ってくれる人が何人かいたのは救いがあった。これからの高齢社会は家族だけでは乗り切れない。いろいろとお互いに助け合っていかないといかないと痛感した。
Posted by ブクログ
中盤までは、なぜ自立に固執しているんだろう?と不思議に思っていました。却って人の手を煩わせているのだから、介護に振り切ればいいじゃないか、と。
読み進めていくうちに気付きました。この方は娘で、お母さんはいつまでもお母さんなのだと。歳も介護というほどの歳ではないし、身内が変わっていくというのは受け入れ難いものだろうと察します。
いずれ訪れるであろう親との関係の精神的な支えになりそうな本でした。
Posted by ブクログ
一言で言ってしまえば、「発達障害の母親が亡くなるまでの最後の数年を共に過ごした話」だが、毎日毎秒迫り来る人間の"苦"に向き合い?ながら、頼り頼られ助け助けられながら何とか日々を"こなした"ことが、読み手にもじっとりと伝わる一冊。
何でもかんでもコスパタイパを求める我々世代は果たして自分の親や友人の親、何ならパートナーが認知症になったり、要介護状態になった時、しっかりと共に生きることが出来るのだろうか、という視点で常に読ませてもらった。
Posted by ブクログ
著者はよくぞ大人になられたと思うし、母もよくぞそこまで生きられたと思う。もっと早く破綻していてもおかしくなかったのではと…なんだかんだお金を貸してくれていた周囲の方々の存在にも助けられていたと思う。
Posted by ブクログ
発達を放置すると、取り繕いは上手くなるけど、こだわりや執着や他者への偏見はどんどん強くなって、介入が更に難しくなる事例。生活支障や精神疾患など二次障害も出るし、この母娘間の共依存もしかり。
介護ではなく…って介護以上の人生の精算をガッツリやらされてる。もともと母娘関係や成育環境もいびつだったからか、双方の距離のとり方に違和感。ただでさえ親が老いるのはシンドイのに、この抱え込みは絶望しかない。
その絶望を、あまり感傷的にせず淡々と振り返っているのは、周りに感情を吐き出せたサポーターの存在か、その時期感じることを放棄した末か、あえて手助けをしただけと線引きを強調するためか?
あんな母でも、死んだら泣けるんだなぁ、私だったら安堵の涙かも。
Posted by ブクログ
母の最期を手助けした娘の話。
ここまでできる思いに共感はできないけれど、納得できているのはよいことと思う。
お金のトラブルは、本当に嫌なもの。
子どもがいる立場として、手をかけさせないようにしておきたいと思った。