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陰謀論やとんでも歴史論を語る人は、本をたくさん読んでいるようだけど教養があるようには見えない。その理由は、個別の本の内容に深く入れ込んでいる一方で、知識体系の全体像が見えていない(本と本のつながりを理解していない)からなのだとわかった。
本筋ではないが印象に残ったことだ。
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ピエール・バイヤールの著書を初めて読んだ。
タイトルからなんとなく想像できる通り、今までの当たり前をことごとく打ち壊していくような考えを持った人だなと感じた。
私自身、読書をすることで何かしら情報を得たり、影響を受けるため、読書は良い習慣だと思っていた。
しかし、この一冊を読んで、読書による"リスク"を知った。読んでしまうと、何かしら影響を受けるが故、それ以前の自分にはもう戻ることはできないのである。
これを読んでから、読書がより楽しいものになりそうであり、新たな読み方を発掘したような感覚に陥った。
読書にどう向き合ったら良いのか、初めから最後まで本は読むことが全てだと思っている人におすすめしたい。
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ショーペンハウアーの『読書について』の後にこれを読むという流れをやりたかっただけだったけど、なかなか面白かった。
結局のところ「読んだ」ということ自体に様々なレベルがあり、『読んでいない本について堂々と語る』ことは、なんら悪いことではなくむしろ創造的な活動である、ということは新しい気付きだった。
『<他者>は知っていると考える習慣を断ち切る』
『しかし、読んでいない本について語ることが正真正銘の創造活動であり、そこでは他の諸芸術の場合と同じレベルの対応が要求されるということは明らかである』
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・冗談みたいなテーマを扱いながら、最終的に読書の本質に着地する流れが匠の技。
・本来ならこのレビューも読まずに書くべきだし、なんならこの本(※1)について書くべきですらない。
・「ずっと本ばっか読んでると自分自身と向き合えないので良くない」って話、『書を捨てよ、町へ出よう』(※2)を思い出した。
※1 〈流〉〈聞〉◎
※2〈聞〉○
Posted by ブクログ
開始: 2022/7/13
終了: 2022/7/15
感想
読んでる最中から違和感はあったが、自宅の本棚を確認したところもう一冊本書があった。読んでいない本についての本を読んだが読んではいなかった。
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読書家なら必ず持っている読書論について再考させられる本。
教養と時間は無限の関係にあるということ。
読むということは何かを読まないということである。記憶と時間は必然的に失われる運命にある。
同じ本を対象にしても読者の具合で、本の性質はガラッと変わる。
著者はパラドックスの専門家らしく細部にトリックが仕掛けられている。それは本を「読んで」いなければ絶対に分かり得ないトリックである。それこそパラドックスである。
私はそれらの本を実際に読んだことはなかったし、種明かしをされるまで違和感を覚えることすらなかったが面白く読むことができた。
「読む」とはどういうことか。「読み終わった」とは。
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久々に揺さぶられた本。
読んでない本について語るという一見ふざけたようなタイトルながら、中身は読書に関する深い洞察を与えてくれる本作。
そもそも本の読み方やその捉え方は人それぞれの中で、本を読むという行為自体の定義が曖昧である。
私たちはどうしても、本は読まなければ語ってはならず、またその本は読み切らねばならないという謎の呪縛に囚われているが、本当に大切なのは本から何を学び、その学びを自分の中で再構築することである。
その意味で、実は本の中身を読まずに、その本が置かれた時代背景や作者の経歴、目次などからコンテキストとしての本を類推することはとても効果的で、その意味で読んでいない本について語ることはむしろ良いことであるという論理構成。
非常に新しく、揺さぶられた本であった。フランス人の書く本にはこうした新たな視座を与えてくれるものが多く、作者の国民性も興味深く感じた。
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読むという行為を考え直そう。
「われわれには他人に向けた真実より、自分自身にとっての真実のほうが大事である。後者は、教養人に見られたいという欲求ーーわれわれの内面を圧迫し、われわれが自分らしくあることを妨げる欲求から解放された者だけが接近できるのである。」
「読んでいない本について語ることはまぎれもない創造の活動なのである」。
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『読んでいない本について堂々と語る方法』という書名だと単に見栄を張りたいだけの輩が好んで読みたがりそうだが、熱心な読書家、精読を重んじる真摯な読書家にこそ読まれるべき本だと思う。
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この本は読書にフォーカスを当てているが、読書だけでなくネットなどの膨大な情報に触れる際の考え方として参考になる箇所が多いと思った。
とりあえず、全ての本を隈無く読む必要が無いことは感じられ、安心感が得られる。
ただ、所々抽象的な表現で読者を煙にまこうとしているのではないかという箇所があり、この本自体を読み飛ばそうかと思った。
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読書する目的は人それぞれであろうが、こと本書の中で語られている読書は、伝達/議論及びその先の創造に目を向けられているものであると認識。
その前提の上で特に印象的であったのは、教養とは読書量を指すのではなく、全体の中で自身の位置付けを理解することであるという主張。
実際、創造へ向けた一種の触媒として読書を行う場合、様々な本の主張を並列するだけでは何も生み出すことはできない。その中で自身がどこに位置付けられているのか、自分はどの方向を向いているのかというビューなくしては、創造に繋がるようなジャンプは困難であると思う。
その意味において、本の位置付けさえ理解できていれば、読んでいない本であっても何かを語ることができる(むしろその本そのものについてのみ、正確に語ることは難しい;解釈の多様性?)という筆者の主張は、一定の納得感があった。
特に印象的であった部分を以下に引用
「読書のパラドックスは、自分自身に至るためには書物を経由しなければならないが、書物はあくまで通過点でなければならないという点にある。良い読者が実践するのは、さまざまな書物を横断することなのである」(p.263)
「より高いレベルでは、創造そのものが、その対象が何であろうと、書物から一定の距離をとることを要求する(中略)読んでいない本についてのコメントが一種の創造であるとしたら、逆に創造も、書物にあまり拘泥しないということを前提としているのである」(p.270)
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「本を読んだ」とは何かという考察から始まり、どの程度本を読んだのか、本の内容についての認知に対する理解を深め、最終的に「読んでいない本でも語ってよい」という非自明な結論に到達する。
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本書の内容を理解していない証左かもしれないが3度目の再読。
読書とは何か。読書についての規範や固定観念を問う機会を得ることが出来る本だと思う。
著者が指摘する読書のデメリットは示唆にとんでいる。しかし、読書欲に抗い実践することは難しいと感じた。
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「読んだ」と「読んでいない」の境界の曖昧さ。
「ある本を読む」ということは、「それ以外の本を読まない」ということ。さらには人の記憶の曖昧さから、「読んだ」本は記憶の中で変形され、作品そのものとは別のものになる。作品そのものは、会話のきっかけになるにすぎない。
重要なのは、文学全体の中でのその本の位置を把握すること、自分自身の位置を把握することであって、その本自体を読んだかどうかはさほど重要なことではない。
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読前
<聞>:○
読後
<流>:○
半年後(おそらく・・)
<忘>:○
思っていたよりは硬い内容(論文っぽい)でした。
読んでいない本について語るとは、自分を語ることだ!(あってるかな。。)
というちょっと乱暴だけど、いろんな示唆を与えてくれる良い本でした。
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本を読んでも忘れる
年月を経て同じ本をまた読み返しても内容を覚えていない
感想を書いてもそれが自分で書いたものでないかのように感じる
小学校や中学校の頃に書いた自分の読書感想文を読み返して覚えているだろうか?
読書とはなんだろう?同じ本でも自分の置かれた環境によって感銘を受けたりまた時が経つとその逆だったりすることが往々にしてある。
それほどに読書は移ろいやすい。
私は何故本を読むのだろう?
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うーん
個人的にはあまりハマらなかった、、、
てかほとんど流し読み?だったかもしれない。
でもこの本を読んだことにする。
そして語ることもできる。
まぁ読んでいるふりならとても得意です笑
本を読む一方で、読んだことを忘れ始める。
→では一体人はなぜ本を読むのだろうか?
Posted by ブクログ
全ての本を読むことが出来ないというのは何となく分かるけど、分かりたくない感覚になる。
でも全体として見ることが全ての本に対する愛情というのも何となく分かる。
もう少し歳をとってから読みたい
Posted by ブクログ
本の裏に「本は読んでいなくてもコメントできる。いや、むしろ読んでないほうがいいくらいだ」とあるように、本当に読まなくてもコメントでき、しかも罪悪感にかられず、堂々とすべしという主張が書かれている本。
同じ本を読んでいる者同士が集まって話していても、それぞれの「内なる書物」によって、脳内で書き換えられてしまっているので、かみ合わないし、別にいいのだよ、ということ。
読んでない本について語ることが創造的活動というのはそう・・・なのか、そうかも。うーん、色々考えさせられる本です。
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テクニック本ではないので自分が語れるようになるかどうかは別の話。だけど、世にある全ての本をよめなかったり、読めても全ページを読んでいなかったり、読んだ本の内容を忘れたりすることは当然のことと認識できるようになった。
「きちんと読めないこと」への羞恥心が消えていったのが一番の収穫。
本の紹介がうまいので、作中に出てくる本たちも読みたくなる。
Posted by ブクログ
著者が大学の文学の教授とのことで、本書は主に読んだことがない文学・小説に焦点を当てて論じる構成だった。
書物を教養として考えるのなら、各書物の個別具体的な内容を知るよりも、その書物がどんな影響を受けて書かれ、どんな影響を周囲に及ぼしたのか、など、文学界での位置づけを理解するほうが重要とのこと。
実際、著者は読んだことがある本・ない本の両方を、本書で論じる上で使っており、なるほど読んでいなくてもこんなに文章を書けるものなんだなと感心した。
ところで本書の面白いところは、読書はしなくていい・流し読みでも大丈夫、と言いながらも、著者が言いたいことを理解しようと思ったらじっくり読まないといけないところにあると思う。難しかった。
3つの気づき
・「読んでいない」にも種類がある(完全未読、流し読みした、読んだけど忘れた、等)
・同じ本を読んだ同士で、必ずしも会話が成り立つわけではない
・本の批評はもう創作になりえる
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なんかニヤニヤしながら読んじゃった。面白い。べつに読まなくても「どんな本か」という位置づけを知っていれば十分、とのこと。
京極堂の師匠もそうおっしゃっていましたね。
本と本は繋がっているし、人間は日々変化するし忘れるので実際読まなくてもOK、ということで励まされる(?)本でした。
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読んでない本について語ることは正真正銘の創造活動。他の諸芸術の場合と同じレベルの対応が要求される。
気後れせずに
自分の考えを押し付けて
本をでっち上げて
自分自身について語る
という心構えでいればそれでOK!!!
訳者あとがきの、
本書の目的の一つは、読書コンプレックスからわれわれを解放することである。との一説は面白い。
本を読んだとラーメンを食べたで考えると、
ラーメンを完食は分かりやすいが本の完読は何を目安にするのかな?
Posted by ブクログ
本を読んだ人は誰しもがその時点で自分なりの解釈や意見を持つ。つまり、読んだ文章は一緒でも、受け止め方は十人十色なのだ〈スクリーンの書物〉。それは何を意味するのか。
すなわち、本を読まずに感想を述べても、本の「全体の見晴らし」を理解していれば読んでいない本について堂々と語ることができるのだ。読んだ人全員が同じ意見を持つわけでもないし、読んだ本の詳細な内容を完全に暗記している人はいないのだから。
どうせ本の内容は悲しいかな、忘れるのだからタイトルや作者から内容を創造〈横断〉するのも良いのではないか。
本書では、本を読む人の持つ感想のあいまい性を一貫して主張している。本文となる説明は知らないと理解するのが難しいので、各章の序文と結論だけでも得られるものはあると思う。
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聞き手が作者なら詳細には触れずに褒めるだけ。読んだ本についてなら、同じ感想かを知りたいだけなので同調すればいい。詳しい感想なんて、他人は求めていない。
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なかなかにしてふざけたタイトルの本ですが(笑)、この本は、「あれも読まなければ、これも読まなければ」と、ほとんど強迫観念に近い思いで本に対して抱いている人に向けたアンチテーゼに近い意味合いの本で、そういった方にとっては今まで以上に読書というものを楽しめるようになる事必死の本です♪また逆に、全然本を読まない人もこの本を読めば本を読むという行為に対するハードルが少し下がるかも??
本も映画も何でもそうですが、基本的にそれら作品は「断片的世界」しか提供してくれません。この断片的な世界の周りには、本には書かれなかった、そして書かれえたであろうヴァーチャルな世界が無際限に広がっています。この潜在的世界を補うのは読者一人一人の想像力であり、本や映画はそれらのキッカケに過ぎません。その本についてたくさん読み込んでいる人が偉いとかそういった話では無く、それらから得たものをどう自分の人生に活かせるのかが大事だと思います。
一方で、ただ単に一人で本を読んだだけではなかなか実践させる事は困難だと思います。それを実践するためには、まず自分がぼんやりと感じた思いを他者に分かりやすく伝えようとする行為を行った上で、同じ本を読んだ自分とは異なる価値観を持った人の意見にも耳を傾け、違った視点でその事象に対して俯瞰する行為が有効では無いかなと思いました☆
Posted by ブクログ
面白かった!
買ってからずっと温めていて、そろそろ積読やばいしこの本を読んで積読解消させるか…と読んでみた本。
本を全て読む必要はない。むしろ読まない方が、本の内容に引っ張られず、自分に向き合い自由に語ることができるという話だった。
・そもそも本を「読んだ」とはどういう状態か?「読んだ」と「読んでない」は白黒つけられるものではなく階層的なものである
・本を読むことは本を読まないことと表裏一体
・他の本との関係性、位置関係を知り、全体の見晴らしをつかむ。あえて流し読みをする
・自分を形成してきた本は個人によって異なる。同じ本を読んだとしても、自身の背景、捉え方などにより解釈が異なるのは当たり前である
文章が固くて哲学的でわかりづらいが、自分が本を読む状況で考えてみるとなんとなく理解できたかも。
確かに、色々な作家や作品について読まないまでも多方面から情報を入手し、「この作家の作品はミステリー、この作家の作品は恋愛もの…この人は激しめ、この人のは柔らかい…」という風に自分の中である程度ラベリングし、読まなくても何となく語ることができる。これにもっと自信を持ち、読んでいないことを恥だと思わなければいいということか。
面白かったけど、各章小説を基に事例紹介されているのが気になる。小説は結局のところ創作であって作者の思い通りに進んでいくので、現実とは違う。
ピエール氏が実際どのように堂々と語っているのかもっと知りたかった。
あと「自分は読んでいないが他者は読んでいそうな本を挙げて、読んだ人が多いと勝ち」という屈辱ゲーム楽しそうだからやりたい。