【感想・ネタバレ】現実とは? 脳と意識とテクノロジーの未来のレビュー

あらすじ

脳に気づかれることなく「現実」を操作できる時代
あなたにとって「現実」とは?
「現実」って何? この当たり前すぎる問いに、解剖学者、言語学者、メタバース専門家、能楽師など各界の俊英が出した八者八様の答えとは。SR(代替現実)や脳と機械をつなぐBMI(ブレイン・マシン・インターフェース)などのテクノロジーの進展により、脳に気づかれることなく「現実」を操作できるようになった現代。科学と哲学の融合した「現実科学」がここから始まる。あなたの脳をあらゆる角度から刺激し、「現実」をゆたかにするヒントを提示する知の冒険の書。

〈本書目次より〉
現実とは『自己』である――稲見昌彦(東京大学教授/インタラクティブ技術)
現実とは『DIY可能な可塑的なもの』――市原えつこ(メディアアーティスト)
現実とは『あなたを動かすもの』――養老孟司(解剖学者)
現実とは『自分で定義できるもの』――暦本純一(東京大学教授/拡張現実)
現実とは『今自分が現実と思っていること』――今井むつみ(慶應義塾大学教授/言語心理学)
現実とは『現実をつくる』というプロセスを経ることによって到達する何か――加藤直人(クラスター株式会社CEO/メタバース)
現実とは『普段のルーティンな自己がちょっとずれた時に押し寄せてくる、すごい力』――安田登(能楽師)
現実とは『祈りがあるところ』――伊藤亜紗(東京工業大学教授/美学)

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感情タグBEST3

Posted by ブクログ

現実の捉え方について考えを深められた

自分の身体を通して感じたことをどのように解釈するか、そのプロセス含めて現実となる
身体状況や知覚能力などの能力面、物事の捉え方といった文化的側面は個々人それぞれであるため各人の現実派異なったものとなる
その現実を表現する際の言語も知覚したものの内、解釈し分類した結果の言語化が行えたもののみ表現可能なため、言語で共有できるものは全体のごくわずかとなる
脳内の言語化前のイメージが共有できるようになると世界は広がる可能性もあるがハレーションが起こる可能性もあるのではないか

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2023年12月17日

Posted by ブクログ

現実の本質を問う対談集。私たちは独自の現実を感じ、その一部を共有するのみ。特にAR技術の発展で「現実」の定義に疑問が。この著作は多角的な視点で考察を深める手引き。続編に期待し、10年後の「現実」の意味が変わるのではと予感。

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2023年10月01日

Posted by ブクログ

若い頃に「唯脳論」を読んでいたせいか、自分の現実感も養老先生の影響を受けていることを再認識しました。
また、本書から発想が飛躍して、SF小説の「都市と都市」を思い出しもしました。あれは異なる都市がモザイク状に重なっているという設定だったと記憶していますが、そのような設定を可能にする「現実感の操作」も、いつかテクノロジィによって実現するのかもしれません。
そして、「すべてがFになる」からの引用を見て、そういえば森博嗣さんも「現実とは何か」について一家言ある人であったことも思い出しました。

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2023年07月23日

Posted by ブクログ

現実について著者に多様な専門家との対談をまとめた一冊。日常生活であまりにも当たり前に受け入れらているが故に改めて考えると全く掴めない「現実」という概念。私たちはそれぞれに自分の認知の上に自分だけの現実を立ち上げ、そのわずかな重なりの部分を言語などを通して通じ合う。このような人間の変わらない本質的な性質は古代の神話から、最新の情報技術まで語り継がれている。

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2023年07月29日

購入済み

現実と意識と夢うつつを行ったり

特にARの技術で現実とは何だ?という問いが日常的に飛び交っている昨今、そもそも自分は何を意識していると言えるのか、夢を見ている時とどう違うのかなどなど、様々な観点、知見を通して考えさせてくれる愉快な著作です。まだまだ多方面に渡って対談が残っているそうなので是非続編を期待します。それにしてもあと10年も経てば「現実」という意味は違った理解・用語として認知されているような気もします。

#深い #タメになる

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2023年07月24日

Posted by ブクログ

様々な識者と著者との対談をベースに識者の意見をまとめ、それに対談後の著者の感想を追記して1冊にしたもの。
本書を読んで感じるのは、テクノロジーを突き詰めていくと、哲学的な問いに行き着くということだ。
果たして「現実」とは、何なのだろうか。
その存在をどうやって証明すればよいのか。
現実とは、そもそもそこにあるから現実なのであって、存在そのものを説明するのであれば、「現実ではない」ことも説明し、その明確な区分を証明する必要がある。
本当にそんなことができるのか?
識者によっては、哲学的に考えたり、人の精神性で考えたり、むしろ科学的に考えたり、ビジネスで実現しようとしたり。
副題にもある通り、現実を認識するのは、それぞれの「脳」である。
そして、人それぞれの「意識」である。
結局「現実」とは、脳が意識して「これは現実だ。非現実だ」と判断しているものである。
それって、「人によって、現実・非現実の認識は違うのではないか?」という結論になってしまう。
つまり、ある事象を見ていたとしても「私の意識と、あなたの意識が同じだと、どう証明すればよいのか?」ということだ。
そんな屁理屈にも感じてしまう問いに対し、識者たちはどう向き合っているのか。
真剣に考えている点が、非常に興味深い。
「現実」なのだから「確実に存在する」と思えてしまうが、そんなことはない。
現実こそ「不確実」である。
世の中には、普段当たり前だと思って疑いもしない概念がいくつもある。
その最たるものが「現実」という言葉なのである。
私たちは今、目の前にあるパソコンや書籍、あるいは友人や家族や、自宅の窓の外の風景を「現実」として何の疑いもなく受け入れている。
しかしながら、本書を読み進める中で、日頃から何気なく信じ込んでいる世界観が、少しずつ揺らいでいくような感覚を覚える。
本書を通じて一貫して語られるのは、「現実とは、個々の脳が作り出した解釈の産物に過ぎない」という冷徹な事実である。
私たちが体験している現実は、脳という器官が外部からの感覚情報を処理し、意識として立ち上げた「認識」そのものに他ならない。
つまり、私たちが「これは現実だ」と感じている世界は、脳が過去の経験や記憶、そして身体から送られてくる刺激を統合して作り上げた独自のストーリーなのである。
そう考えると、「存在そのものを証明する」という行為がどれほど困難なことであるかに気づかされる。
人間が他の動物と圧倒的に違う点は「概念が理解できる」という点でもある。
リンゴが2個と、ミカンが2個も、数字の上では同じ「2」と認識できるのは、人間ならではとのことだ。
「概念」を理解できる一方で、「現実」を証明することが困難だというのは、本当に不思議だ。
すべては脳が創り出したイメージと思えば、概念と現実(と認識しているもの)の違いは、一体何なのだろうか。
そんな中で、「人間は現実を脳だけで認識している訳ではない」という主張もある。
コンピュータと人間の大きな違いは「身体性」である。
人間は、知覚・触覚によって、手触りで「リンゴがある」ことを感じられる。
これも脳に信号が伝わって、そこで認識しているのだから、結局は脳の処理だとも言えるが、人類の「手」は、それだけで独自の器官のようにも感じられる。
手の感覚、指の感覚は、他の動物には無い、特別なもののように思えるのは、人間のエゴだろうか。
例えそう感じても、脳が作り出す知覚の仕組みそのものが主観的である以上、全員に共通する「唯一絶対の現実」を証明することは、結局不可能なのかもしれない。
同じ景色を見ていても、同じ出来事を体験していても、同じものに触れていても、それを捉える脳のフィルターが異なれば、そこに出現する「現実」が千差万別となってしまう。
この構造は、私たちが日常で感じるコミュニケーション不全や、価値観のズレを説明する上でも非常に腑に落ちるものだ。
そんな中でこれからの時代は、テクノロジーが脳の能力そのものを拡張していく状態に突入していく。
結局は「脳」が、現実を作り出しているのだとすれば、自己の脳に入力される情報や知覚をテクノロジーによって変化させたとき、一体どうなるのか。
VR(仮想現実)やAR(拡張現実)、ブレイン・マシン・インターフェース(BMI)といった最先端の技術が人の「現実感」をどのように塗り替えてしまうのか。
本書では、最先端の技術を研究している識者と対談する中で、結局「人間の意識」が現実をどう捉えさせるかに行き着く点が非常に面白い。
テクノロジーによって脳に与える刺激を巧みに制御すれば、人間は人工的に作られた空間や映像であっても、何の疑いもなく「本物の現実」として体験できてしまう。(「本物の現実」というのも変な表現だ)
かつてSFの世界の話だと思われていた「リアルとバーチャルの融合」は、すでに実現している。
リアル世界(人間が現実と認識している世界)と、バーチャル世界(人間が敢えて人工的に作成した世界)との境界がなくなり、相互が溶けて混ざり合っていく未来において、私たちの「意識」はどこに存在するのだろうか。
物理的な身体があったとしても、知覚や触覚があったとしても、そのことに何の意味も無くなる世界が訪れるかもしれない。
そういう点では、身体に障がいを抱えた人は、健常者との差が無くなっていくのかもしれない。
様々な人間の能力を拡張することは、人々の生き方や働き方、さらには人間関係のあり方をも根本から変えていくはずだ。
物理的な制約から解放された世界で、私たちが何を「価値のある現実」として選び取っていくのか。
テクノロジーの進化は、私たちに「現実とは何か」という問いを突きつけると同時に、「どのように生きたいのか」という主観的な意思をより強く求めているように思えてならない。
誰もが自分だけの脳で、自分だけの「現実」を構成して生きている。
だからこそ、自分が何に心を動かされ、何を美しいと感じ、何を大切にしたいのかという「主観」を確かな軸として持つことが重要になってくる。
「なぜあの人は自分と同じように考えないのか」と憤るのではなく、「あの人の脳には、自分とは違う鮮やかな現実が見えているのだ」と捉え直してみる。
異なる現実同士が交差する瞬間を楽しむような姿勢になってみる。
このような感情的な余裕こそ、これからの時代をしなやかに生き抜くために必要なのかもしれない。
(2026/1/17土)

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2026年08月15日

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