【感想・ネタバレ】正欲(新潮文庫)のレビュー

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Posted by ブクログ

ネタバレ

ずいぶん読むことに時間がかかった。
少しずつ少しずつ、自分の中で咀嚼しながら読んだ。

「自分が正しい」その感情は何をしたって消えないという絶望が美しく、グロテスクに描かれている。
私は「正欲」が消えないならば、せめて、八重子のように他人と互いの「正欲」をぶつけて生きていたい。
それすら私の「正欲」なのだけれど。

解説も秀逸なので、ぜひ読んでもらいたい。

映画を観た時も思ったけれど、とんでもない物語に出会ってしまったなぁ。
こういう物語、苦しくて、痛いけれど、大好きです。

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2024年06月05日

Posted by ブクログ

ネタバレ

朝井リョウさんの『正欲』。
待ちに待った映画化で、映画見たら原作ももう一回読みたくなったので改めて読んだ。

2021年の3月に発売されたこの本を、私はすぐに買って読んでいたらしい。
当時読んだ感想としては、「多様性」という言葉への批判に対する衝撃と、でも確かに自分の想像の及ぶ範囲での多様性しか頭になかったなという反省とが強かった気がする。


“多様性とは、都合よく使える美しい言葉ではない。自分の想像の限界を突き付けられる言葉のはずだ。時に吐き気を催し、時に目を瞑りたくなるほど、自分にとって都合の悪いものがすぐ傍で呼吸していることを思い知らされる言葉のはずだ。”


改めて読んでみると、誰もが多少なりとも辛いことや苦しみを抱えているということ、それを曝け出せる人と繋がることで救われるということへの共感が大きかった。


“言葉にできないさみしさ、不安、疑問、なんでもいい。自分の中にある自分でもわからないものをわからないまま晒し合える時間は、やがて縦に横に自由に重なり、やわらかくて丈夫で、誰の足も抜け落ちないようなネットと成っていく。
三分の二を二回続けて選ぶ確率が九分の四であるように、”多数派にずっと立ち続ける”ことは立派な少数派である。
まともって、不安なんだ。正解の中にいるって、怖いんだ。この世なんてわからないことだらけだ。だけど、まとも側の岸に居続けるには、わからないということを明かしてはならない。”


当時は、この本を読んでもなお、自分のことを無意識で「理解する側」と思っていたのかもしれない。けどこの約2年半を経て、登場人物たちの抱える悩みや葛藤が他人事とは思えなくなった感じがする。読んでいて自分を重ねてしまうとか、引き込まれすぎてしんどくなってしまう度合いが高まった。


“「理解がありますって何だよ。お前らが理解したってしなくたって、俺は変わらずここにいる」
「何でお前らは常に誰かを受け入れる側っていう前提なんだよ。お前らの言う理解って結局、我々まとも側の文脈に入れ込める程度の異物か確かめさせてねってことだろ」”


辛さとか苦しみを「自分の方がしんどい」「あの人の方が辛いだろう」と比べてしまうことはある。けど、苦痛の種類や度合いは人によって違うから単純に比べることはできないし、完全に理解することもできない。「分かり合おう」と努力することしかできない。ただその努力すらも、押し付けがましくなってしまうこともあるもどかしさ。話しても理解されないだろうという諦め。しんどい。


“「はじめから選択肢を奪われる辛さも、選択肢はあるのに選べない辛さも、どっちも別々の辛さだよ。」”


あと、「正しい命の循環の中を生きている人」という表現が強く印象に残っている。
「明日、死にたくないと感じている」というのもそう。明らかに正しい。
「正しさ」って人を苦しめるよなと最近思う。自分の中にある「これが正しい」のせいで自分をがんじがらめにしてしまう。他人のまともさ、健全さに直面することで、その正しさゆえに批判もできず、自分が正しくない側に追い詰められていく。
だけど人に対しては正しさを求めてしまったりする矛盾。

『正欲』って、一つには「正しい欲」って意味があるんだと思う。こういうのが”普通”の欲としてあるよね、とか、正しい欲のあり方ってなんだろうねとか。
もう一方で、「正しさに対する欲」という意味もあるのかもしれないなと思った。

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2024年06月03日

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多様性という言葉をずっと気持ち悪く感じていた。マジョリティなんてマイノリティの集まりでしかなくて、互いに理解することもできないのに集まりあって、仲良しごっこをしている。そんな世界に違和感を感じていた。これは僕の正欲だった。繋がり、この人はいなくならないという安心感?に救われる気持ちだけは読者皆が共感できそうだ。
繋がりを諦めない点で八重子が強いんじゃないかな。終盤の啖呵、これがのちの繋がりを示唆するようで、彼の救いになることを願う。

さて、この解釈も正しいのだろうか?
もちろん僕には当てはまるけれども

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2024年06月03日

Posted by ブクログ

ネタバレ

2024.05.30
何の気なしに目にしていた本の帯の
「読む前の自分には戻れない」
というフレーズが、読後これでもかと頭の中に響いてくるなんて想像もできなかった。
それくらい、久しぶりに読み終わってからの余韻に存分に浸った小説だった。

自分の中の「多様性への考え方」を大きくアップデートさせてくれた作品とも言えると思う。


冒頭の文章やニュース記事の部分から、
「小児性愛者」をテーマにした作品だとばかり思っていたが、読み進めていくうちに
冒頭の文章が言わんとしていたことがこういうことだったのかと合点がいき、そこからはノンストップで読み終えた。

世間が言う「多様性を認め合おう」みたいなのって
結局はマイノリティの中でもマジョリティになる部分をさしてしかなかったなと感じた。

自分の中の常識の限界が多様性を作り上げているんだという発見はこの作品に出会わなかったら一生気づくことのなかったことだと思う。
それくらい、この作品に出会えてよかった。


マイノリティに当たる人たちがみんな、「理解してほしい」と思ってるわけではないこと。
これは頭の隅にしっかり置いてこれからもいろんな人との関わりを大切にしたいと思う。

小説に出てきた好きなフレーズメモ

◎ 社会的な繋がりとは、つまり抑止力であるということ

◎ 未来を疑う気持ちごとパキンと跳ね返すほど、相変わらず強度の高い健やかさを保っていた

◎ その声には、その場を離れようとする人間の拳をそっと握るような温度があった

◎ 靴紐をきつく結び直すようにそう呟く

◎ ピント張った肌にはなんの歴史も刻まれていないように見える

◎蒲公英であり、菫である

◎ そこから世界を覗く時だけ、大也はこの社会から顔を出して息継ぎができる

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2024年05月30日

Posted by ブクログ

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多様性って言葉の暴力性、人の無知さ、自分はマジョリティ側であることの確認作業、さまざまなシーンがグサっとささる。
自分は多様性受け入れられる方だって自負してたけど、まだまだなのかもしれない。あまり他人の性的嗜好に興味なくて、マイノリティの人にありがたいと思ってもらえたこともあるけどそんな私でも受け入れられないものがあるのかも。
人は狭い世界しか見れてないこと、分かってない人に日々もやもやしてるんだけど、そこを突いてて分かるー!と思った。
世の中の流れに組み込まれない欲求を持ってる3人がようやく会えた!とホッとした後、児童ポルノ所持で逮捕っていうやるせない結果に気持ちがズーンとして気持ち落ち込んだ。
本人たちの欲求の満たし方が間違ってたのはある。だけど、自分たちの欲求はありえないものとされ別のものに置き換えられ勝手に判断される虚しさやるせなさ。本人たちもどうせわからないでしょ?って諦めた態度。昔捕まった犯人がその後生活保護で無敵の人となって起こした事件。全てがうあああーー!!!!となった。苦しすぎる。
私のこの感想もかなり薄っぺらい。でもこれが私の思うことの全て。
世の中の全ての人に読んで考えてほしい。多様性について。

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2024年05月27日

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とても面白かったがとても難しい話だと感じた。性はすごく身近な話だけれど結局は同じ性癖同士ではないと通じ合うことが難しいと感じた。

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2024年06月05日

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 「多様性」という言葉の複雑さを考えさせられる本だった。
 読み始めは事件調書の読み上げ、3人の視点の展開に「どういうこと?」と本のイメージがわかなかったが、読み進めるに連れて「この人の行動はこの思いが根底にあるからかと」徐々に話が結び付いていった。
 「水」に性的嗜好を持つ登場人物は「小児性愛」と勘違いされて冤罪となり、「どうせ理解されないから」と反論することもしない。「なぜ主張しないのだろう」という思いは本書の登場人物の背景を知っているとなくなった。
 「俺は正常」と考え、柔軟な考えを持たず排斥する検事は家庭が崩壊し、特殊性癖を持ち生きづらい人生の中で、他者と共有できるつながりを見つけ出したナツキとヨシミチは逮捕されてもつながりが切れていないのが対照的だった。
 ナツキが妊娠したと勘違いされ、仲良くもないのに向かいの店舗の店員から罵倒されるのが可哀想だった。
 八重子は男性恐怖症が治ったわけではないが、それを理由に塞ぎ込んでしまうのをやめた部分を、これも社会との向きあい方の一つだと改めて思った。

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2024年06月04日

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ネタバレ

人は自分が想像できる範囲でしか物事を捉えられない。多様性の時代といわれ、様々な価値観の人を受け入れようと唱えられることが増えたが、私たちが考えている「多様性」の範囲はかなり狭いのかもしれない。
今回は「性欲」の対象が何かという多数派と少数派が明確なテーマだったが、他にも様々な価値観が世の中にはあり自分が少数派となり得る可能性は十分にある。
小説の中で性欲の点では多数派である人物等も、実は自分が多数派であるのか確かめながら人とコミュニケーションを取っているのかもしれないという一節があった。
人は誰しも孤独で、人との共通点や繋がりを求めながら生きている。
よく多様性を「受け入れる」という自らが多数派である前提で多様性について語られることが多いが、その時点で向き合い方が誤っているのかもしれない。
多数派少数派と分類することをやめ、目の前の個と向き合い、ありのままの言葉を受け入れ、尊重する。
自分の今の人との関わり方についてじっくり考えられる本でした。

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2024年06月02日

Posted by ブクログ

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この本を読んで、『多様性』にうっすらと感じていた気持ち悪さの原因がわかったような気がしました。
この言葉がどれだけ世間に浸透しても、自分では言わないようにしよう、とかつて思った気持ちがこの小説を読んで確信に変わりました。

登場人物が切り替わる度に、全員の自意識が烏滸がましく感じられ、同時に、全員の気持ちの一部には自分にも思い当たる節があり、居た堪れなくなりました。

映画とほぼ同時期に視聴しており、映画では大也が八重子に「ありがとう」と言うシーンに違和感を感じ、何に対しての「ありがとう」だったのか全くわかりませんでした。
ただ、小説を読んで、世界を閉ざすという楽な選択をしていることを八重子に指摘されたことにより、誰かと繋がることに対しての気持ちがより前向きになれたことに対する「ありがとう」なのかな、と思いました。
小説にはそのようなセリフは存在しませんが、映画のように感謝の気持ちを感じていてもおかしくはないなと。うまく言葉にはできませんが、それだけでもあの2人の会話には何か救われるものがあったんだなと思えました。

誰からも理解されないと思って世界を閉ざすだけなら誰でもできる。出会いは偶然だったとしても、閉ざした世界を超えて一緒にいることを選んだ夏月と佳道の2人の関係は尊く、自分にもこんな繋がりがあればと羨望しました。

自分の理解の向こう側に存在する人間が繋がりを求めているかは、この小説を読んだ後でもまったくもってわかりませんが、私は夏月や佳道のような繋がりがあるだけで、マイノリティやマジョリティなんてどうでもいいなと思いました。

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2024年05月30日

Posted by ブクログ

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最近、死が遠くなった。
「死にたい/死にたくない」の揺れから遠ざかって、「死んでいる場合ではない」と思えるようになった。死への恐怖を感じない分、死が身近じゃなくなったと思う。死ぬことを怖いと思わなくなって、自然の摂理だと受け入れられるようになった。

けど、それは決して「大人になった」からではない。

p.10「社会からほっとかれるためには社会の一員になることが最も手っ取り早い」

最近やっと、「社会の一員」に、社会のマジョリティになれてきているからだと思う。
そういうことを考えなくてもよい立場になった。
そして悔しいことに、社会の論理にのっとって、そういうことを悩むのは「若い」ことだと徐々に思い始めていた自分がいた。
でも、そうじゃない。
「若い」ときは「社会人」「大人」ではないように、社会の成員にまだなれていないから、そう感じることが多いというだけだ。「若く」あろうがなかろうが、「社会人」「大人」にならない・なれない人は有象無象にいて、別に上下はない。
でも、「社会人」「大人」が社会に責任を担い、社会を動かしている以上、そうでないと主人公にはなれない以上、脇役は感謝するしかないのだ。

そういうことを、いろいろ掘り起こされた。

なので、小説という芸術としては個人的な好みでなかったけれど(あと、筆者の「女性は〜」「男性は〜」バイアスが強く感じる)、当事者にとってもそうでなくても、蓋をして/されてしまいがちな現実を見つめなおさせてくれるという意味で、非常に「良い」本だった。
少なくとも、この本が世間でウケるくらいにはまだマシな社会だ、やりようのある社会だ、と思う。

複雑化する社会のなかで、大きな集団の内部構造が、昨今よく問われているなと思う。
マジョリティのなかのマイノリティ(性)、マイノリティのなかのマジョリティ(性)。
そのあたり、描ききられてはいないものの、片鱗が薄くあって良いなと思った。

マジョリティに見えてもマジョリティになりきれない人、マジョリティに見せかける努力でマジョリティサイドにいる人、、、。
修だって、知的な言葉で言語化できていなかっただけで、実はその野性の嗅覚的になにか気づいてモヤっているものがあったかもしれないし、佐々木の仕事場の上司だって、実はそう振る舞うように訓練されてきた複雑な過去や現実があるのかもしれない。 
マジョリティだって足場はグラグラしていて、いつ崩れてしまうかわからないという不安とともに生きている。そこに自覚的な人とそうでない人がいることは、今は一旦置いておいて。

反対に、マイノリティにいながらもそれを認めてもらえる人や、少なくとも「繋がり」は持てた人がいる一方で、マイノリティのなかでもさらに居場所がない「社会のバグ」「危険」のレッテルを貼られる人がいる。
本書では、「LGBTQ」と「特殊性癖」の対比が描かれていたが、後者のなかにだって優位劣位があるはずだ。
たとえば最後の取り調べのシーン、彼・女らが、小児愛者ではなく、水を性的対象に見ていたから、まだ話として成立していた部分がある。
結局、「モノや二次元に恋するのは勝手だけど、ペドフィリアは危ないからクソ」みたいな階層が、マイノリティ社会の中にもあって、どこまでいっても排除がありつづけるのが事実。

いずれにしろ、性的欲求に限らず、諸々の性質や思考において、みんながマジョリティ性もマイノリティ性も持ち合わせたカオスを生きているのが現代社会なように感じられる。
だから、みんなこの作品にどこか「共感」できるところがあるんじゃないかな。。

自分が最近「マジョリティ」に足を突っ込むことで忘れかけていた、
他者からの執拗な「理解」とか、何気ない「共感」へのウザったさと、それへの罪悪感とか無念さを掘り起こされたと同時に、Aqua Timez の詩を思い出した。
「似たような喜びはあるけれど
同じ悲しみはきっとない」

だけど、その悲しみを超えることでしか喜びを感じられないんだから、ほんと人間って馬鹿だよなあ、と笑ってしまう。

あと、金沢八景大学のモチーフとなる大学に通って、同じ企画局をやっていたので、「あ〜第三者(著者)から見える景色(本として描かれるフィクション)って、ほんと当事者が見てるものとは全然ちがうんだな〜ただのパズルの一部のデフォルメだな〜」ってちょっと悲しくなった。
なんだろう、現実ってやっぱり小説より奇なり。

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2024年06月03日

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