あらすじ
海軍軍人、天文学者、クリスチャンとして、明治から戦後までを生きた秋吉利雄。この三つの資質はどのように混じり合い、競い合ったのか。著者の祖母の兄である大伯父を主人公にした伝記と日本の近代史を融合した超弩級の歴史小説。『静かな大地』『ワカタケル』につづく史伝小説で、円熟した作家の新たな代表作が誕生した。朝日新聞大好評連載小説の書籍化。
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Posted by ブクログ
クリスチャンで天文学者で、海軍少将だった秋吉利雄。池澤夏樹の父である福永武彦の伯父。軍人ではあるが、艦隊勤務ではなく、天測によって航路を知り航海暦を策定するのが主たる任務。タイトルはクリスチャンにはなじみのある聖歌の一節。聖公会は日本では少数派のクリスチャンの中でも、さらに少数派。七百ページを超える大部の小説で、クリスチャンのありようを語り尽くす作品は、日本文学の中でも稀有なこと。ミッションスクールの外国人宣教師が、戦時中の日本を語った文章はいくつも存在しているが、戦前、戦中、軍隊にあって、天文学者という合理を極め用とした人が、聖書で日常を語る人など、これまでなかった。この作品をキリスト教文学と呼ぶのがふさわしいかどうかわからぬが、遠藤周作の『沈黙』と並ぶ重要な作品だと思う。
Posted by ブクログ
こういう、家族の一代記ものはもともと好きで読み応えもあった。
軍人として、天文学者として、そしてキリスト教信仰者として信仰との矛盾に悩みながらも生きる主人公とその妻たち(先妻の死亡後に再婚)が魅力的だった。特に2番目の妻のヨ子(ヨネ)さんが魅力的だった。
終戦後、彼女が夫に向かって言う
ヨ子「でも終わりました。次は勝てばいいのですよ。平和のための戦に」
利雄「そんなものがあるか」
ヨ子「平和と繁栄の日本を造ってかつての敵を見返す」
軍人だった利雄がヨ子と再婚したのはよかったなと感じた。彼女によって短い戦後の人生ではあったけど利雄は救われたのではないかと思った。
靖国神社の扱いについてここはいまだ難しいところだと思うけれど、利雄の言うように「(山本五十六元帥の魂が)郷里長岡に帰られたとわたしは思いたい。戦争はもう終わったのだからもう軍人たちを束ねておくことはない。それぞれ生まれた土地に戻ればいいのだ」には共感。祀られながら縛り付けられていないかという部分もあるので。亡くなったことを美化するのではなく、国のために夢途上で亡くなられた方の鎮魂の場ではないだろうかと感じた。二度とそういう犠牲を国が個人に強いることの無いよう、戒めとする場ではないか。
妹トヨの告白
「あの時、わたしは本当に聞いたのでしょうか、愛をもって死を補えという天使の言葉を。(略)それでも、今この時の苦しみが癒やされるならば、わたしはこの身を捧げよう。」については、違う方法はなかったのか。末次郎(後に事情を理解して夫となる)や生まれてくる子ども(武彦)に背負わせるものは大きくなかったか。献身とは少し違うように感じた。
また「信じることは観測に依らない。観測を必要としないのが信仰である。
証拠はわたしの心のなかにある。」何を信仰していても証拠ではない、信仰する心こそが勁さと感じた。
「母性は職業意欲より強い」という箇所は利雄の実感かもしれないが極度に母性を美化するのはなぁと思った。結果としてヨ子は利雄や゙家族を働きながら支えていくのだけれど。
また、Mと加来の友情もよかった。特に加来の殉職について
「加来は死を選んだ。軍人の人生には、戦場で死ぬということが初めから織り込まれている(略)敗軍の将として国に帰る屈辱よりはここで自分の人生を閉じるという方を選んだ。するべきことはした、と自分に言ったのだろう。その判断は部下たちによっても共有されたのだろう。潔いと人は言うだろう。しかし加来がそこまでに積み上げてきた能力と体験を日本は失った。」という箇所について、戦争によって死を美化してはいけない。犠牲を強いられたこと、その人自身を失わせたこと、そういう状況に追い込んだ当時の軍部の暴走こそ憎むべきではないかと思った。
また、加来の俳句から始まる
『「つはものの 疲れ犒う(ねぎらう) 月夜哉」
(略)戦争はよいことではない。言うまでもなく世界は平和であるのが望ましい。しかし人は、富と領土と覇権を求めて争う。あるいはそれを奪われないようにと言って戦う。
(略)戦争は避けられない。だから、戦いになった時に負けないように普段から不斷の努力で防備を固める。それが軍というものだ。軍は盾であると同時に矛でもある。守るのではなく攻めるものにも使える。そして攻めているのではなく守っているのだというのにも使える。』というてころは信仰者であり、軍人でもある利雄の辛さ、苦しさも裏に感じた。
ここは
「主は日本人とアメリカ人を区別されない。ただ、どんな形にせよ戦争が終わることを望んでおられる。どんな平和でも戦争よりはいい」という形で利雄なりの解釈をしているようにも思える。
Posted by ブクログ
新聞連載の大作。少し前の『ワカタケル』を思い出させる単行本の文量だ。
著者池澤夏樹の大伯父・秋吉利雄の生涯を透し、近代日本の歩んだ歴史を描き出す、一市民の大河小説。
歴史の大まかな流れは日本人なら誰もがよく知る大正~昭和史、その大きな流れの中で、海軍軍人でありキリスト教信者、そして天文学者という、一見相容れない側面を持つ主人公の人生、ヒトトナリを、いかに矛盾なく描き通すかが見せどころ。
主人公利雄は、当然のことながら、キリスト教の信仰と軍人としての責務(戦争としての殺人行為)を、個人の中で、矛盾を抱え葛藤しつつ、人生を全うしていく。
史実の中に、個人の生の存在を描き出す筆致は、30余年ものキャリアを積んだ著者をして成せるところだろう。主人公やその家族の他、登場人物の多くは実名だ。そのそれぞれに人生があり、物語がある。個々の物語、storyが、大きな束となって、歴史、historyを紡いでいく流れに、なんとも言えない感銘を覚える。
歴史は、けっして個々人の人生とは切り離されているものではないのだ。
海軍の水路部に所属し、天文学者としての知見をいかんなく発揮し、海図を描く主人公の姿が尊い。
「星天と向き合っていると自分が一つの点になる。万象は絶対不動と思われる。
不動だからそれを基準に自分の位置、大洋にあっては艦の位置を知ることができる。
私は点になった自分が好きだった。わたしもまた星である。」
生涯、自分の立ち位置を、不動の星の位置を頼りに見定め、ブレることなく生き抜いた。天に召されるまで、何度か繰り返されるタイトルの「また会う日まで」は、主人公秋吉利雄の最大の業績とも言える、1934年のローソップ島における日食観測、その時、島を離れる際に島民が歌ってくれた讃美歌のこと。
人生は、多くの人との出会いと別れを繰り返し紡がれていく。主の元で、また出会えると信じ、自分に正直に生きた利雄は、別れのたびに「また会う日まで」を胸中でリフレインしていたことだろう。