あらすじ
ナチによるユダヤ人大量虐殺の首謀者、ラインハルト・ハイドリヒ。ヒムラーの右腕だった彼は、第三帝国で最も危険な男と怖れられた。チェコ政府が送り込んだ二人の青年によってプラハで決行されたハイドリヒ暗殺計画。それに続くナチの報復、青年たちの運命……。ハイドリヒとはいかなる怪物だったのか? ナチとはいったい何だったのか? 史実を題材に小説を書くことに、著者はためらい悩みながら全力で挑み、小説を書くということの本質を自らに、そして読者に問いかける。小説とは何か? ゴンクール賞最優秀新人賞受賞作。/解説=佐々木敦
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終盤のある章の終わりでしばらく放心状態になって動けなくなり、物語の最後の1文で泣き出しそうになった。
すごかった……暫定今月の1位。この著者の別の本も絶対読む。最近読んだミア・カンキマキさんの「眠れない夜に思う〜」と同じように史実に著者の考えや生活が挟み込まれる形式だが、当たり前だがそういうエッセイみたいなのとは全くもって別物。事実だけでも読み応えがある上に、ちゃんと全体が「小説を書くこととは何か」という作品になっている。事実のちょっと手前に著者がいて、その著者と一緒に事実を目撃している感じ。書いているうちにその事実と一体化していく作者を見守る読者になる。いや、、すごかった。
なぜ私たちはナチスを題材にした本や映画にこうも惹かれるのだろう。
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ハイドリヒと類人猿作戦、という Lieblingsthema
2010年代に観た二本の実写化映画のうち、キリアンも出ておらず面白くもなかった方の原作小説。
これが読んでみるとかなり刺さった。題材があまりにもドラマチックなのは言うまでもないとして、フランス人著者のチェコ・スロヴァキア愛と歴史小説に対する異常なこだわりが好き勝手に書かれていて楽しかった。
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ナチ高官ラインハルト・ハイドリヒ暗殺事件を,ドキュメンタリー風に描く.とはいえ,そこには執筆に悩む作者も登場し,1942年当時と作者がいる現代を行き来しつつ,ハイドリヒ暗殺とその後の顛末からなるクライマックスになだれ込む.
このようになかなか不思議な構成なのだが,「スローターハウス5」のテイストに非常に近い.
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20年前、彼らはヒロシマとナガサキを知っていた。
読み始めてすぐに一旦停止。
内容が内容なだけに、歴史の勉強のやり直し。
そうしてから読んでも、読むのに時間がかかった。
時系列で話が進まないし、作者の感情も入りすぎているように思う。読みにくい。
本当にこういった作品は好きじゃない!!
だけど・・・。
その時の情勢が目に浮かぶ・・・。
昔の話なのに(1世紀も経っていない。途中で作者が言っていた)その場の臨場感がそのまま伝わる。
20年前のボクはプラハの街を歩いたのに、そういった歴史を一切知らなかった。
言いたいことは、天に星、地に石コロの数ほどあるけれど・・・
ボクは、この英雄達の名を決して忘れない!!
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作者は、この作品がデビュー作とのことだが、信じられないクオリティかつ圧倒的な面白さ。
翻訳も素晴らしい。
内容は重厚だが、章立てを長短織り混ぜることでリズムを生んでおり、一気に読ませる。
歴史を「語る」ことを、「僕」の視点から迷いも含め真正面から挑んでいる。
この逃げない姿勢、逡巡をそのまま吐露できる強さ。
Posted by ブクログ
歴史史料から話を紡ぎ出す方法について、作者がいわば種明かしをしながらフィクションとしての「歴史」を書いている実験的な作品。
途中、核心である事件になかなか至らないし、ハイドリヒの細かいエピソードの掘り起こしが続くので辛いところもありつつ。その分、クライマックスから最後のシーンは想像力に訴えかける迫真性があったと思う。
チェコ、スロバキア、ドイツと周辺国の歴史の理解にも役立つ。
HHhHをあしらった本の装丁がかっこいい。
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ナチスのユダヤ人大量虐殺の責任者であったハイドリヒがチェコで暗殺された事件を描くお話
ハイドリヒの生い立ちや、暗殺に至るまでの過程を大量の資料や、過去の小説、映画などを参照しながら書いていくのだけど、それを書いている作者の視点が随所に織り込まれて、歴史を小説という形で創作することについての考察が並行して語られていくという構成
映画「ハイドリヒを撃て」を見ていて、暗殺計画の行く末は知っていたので、歴史的な部分よりも、歴史を創作することの是非を考える部分の方をとても興味深く読みました。
読んでいて、これはあまりにドラマチックに描きすぎではないかと思っていたら、直後に作者自らがそのことをつっこんだりしていたのがすごく面白かったですね。
資料のないところは創作しないと書けないけど、勝手に歴史を変えてしまうことに対する葛藤みたいなのが出てきてしまって、結果的に普通なら盛り上がりそうな場面がすごくあっさりしていたりするのも面白い。
この小説自体が映画化されてるのだけど、どんな感じになってるのか気になる。映像化することの葛藤を交えた映画化だったら面白そうだけど、ちょろっと調べた感じそうではなさそう。
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徹底して史実に忠実であろうとする姿勢と細部へのこだわり。またフィクションでもノンフィクションでもない語り口によって、歴史を過去の出来事として語り直すのではなく、今再び立ち上がらせ読み手に体感させる熱意と文体に脱帽した。読むのが少し時間かかってしまったけど、じっくり読めて良かったです。
Posted by ブクログ
チェコスロバキア人の青年2人によるナチ高官暗殺を描いた歴史小説
あらためてナチスとは何だったのか、そして1世紀も経ってないことに気付かされる
そして史実を小説にする葛藤をそのまま文章にする奇抜さと、物語とその葛藤が融合していくラストは痺れる
Posted by ブクログ
フランス・パリ出身のローラン・ビネのデビュー作であり、2009年に本国で出版、2013年に邦訳が出版された本作、『HHhH』。この謎めいたタイトルが渦めく装丁に興味を惹かれて書店で購入したのだが、その感覚がは大いにあたり、ストーリーテリングの面白さと、極めて技巧的・意識的な仕掛けに溢れた一作。
タイトルの奇妙な4文字はドイツ語の「Himmlers Hirn heißt Heidrich」という文章に由来しており、”ヒムラーの頭脳はハイドリヒと呼ばれる”という意味になる。そのヒムラー、すなわちナチス・ドイツの親衛隊(SS)のトップであったハインリヒ・ヒムラーにその頭脳として仕えたラインハルト・ハイドリヒらが本書のモチーフ及び舞台となる。
より具体的に言えば、その頭脳を持ってユダヤ人の虐殺や制服した諸国での恐怖政治を指揮したハイドリヒを亡きものとするために、チェコのプラハで立ち上がった2人の若者による暗殺計画が本書のストーリーの骨子である。・・・のだが、本書が特異なのは、その史実を元にした小説を書くための作家本人を主人公に据えて、「小説を書くということの小説」とも言えるメタレベルの視点を持った小説に仕上がっている点である。
さまざまな事実調査をしながら書き進めていく難しさ、その個々の史実に対する作家自らの感想などが合間に挟まりながら、それでいて悲劇的なクライマックスに向けて突き進む2人の若者の暗殺計画が綴られていく。高いリーダービリティを持ちつつも、メタ小説の面白さにも溢れており、改めて小説という枠組みでまだまだ面白いことができる、というその可能性を強く実感できる1冊だった。
Posted by ブクログ
ユダヤ人問題の最終的解決問題の実質的推進者で、「金髪の野獣」と呼ばれたラインハルト・ハイドリヒ暗殺計画のエンスラポイド作戦を描いた小説。
短い区切りの章が次々と繰り返される、ちょっと面白い形式で書かれています。その短い章も著者の現代や、物語の時間が入り乱れていますが、意外に読みにくくありません。書いた著者が上手いんですね。
暗殺実行者が立てこもった教会で戦う最後のシーン。「なんかこの描写、何かの映像作品で見た気がするな??」と思ったら、この作品を映画化した『ナチス第三の男』を見ていましたw
Posted by ブクログ
Himmlers Hirn heißt Heydrich.
訳:ヒムラーの頭脳はハイドリヒと呼ばれる。
タイトルは上記の単語の頭文字をとったもの。
ヒトラーが生み出したナチという思想を、そのまま具現化したかのような金髪の野獣、死刑執行人、ハイドリヒ。
ユダヤ人大虐殺の首謀者である彼を暗殺すべくイギリスから飛んだチェコ人、スロヴァキア人の青年二人を主人公に据えた史実に基づく小説。
訳者あとがきに言いたいこと全てが書かれている。僕はその上澄みをここに貼り付けることしかできない。
いわゆる歴史モノ、ナチモノ、ノンフィクションモノである本書だが、他と一線を画するのはその小説スタイルだ。
脚色を排し、膨大な史実に裏付けされた出来事を忠実、誠実に、ともすれば偏執的に細部のディティールにまで拘り徹底した歴史を書く。
それだけでも確かに凄いことなのだが、
それだけでは小説ではなくただの年表になってしまうし、資料の書き写し、Wikipediaにしかならない。
とはいえ、膨大な裏付けをもってしても描ききれない出来事を想像により補填してしまえば、
それは歴史を歪めたフィクションになってしまう。
その歴史と小説、事実と脚色の間をせめぎ合う様さえ読者に詳らかに語るストイックで誠実なスタイルは、小説とは何か?という哲学さえ投げかけている。
結局著者が辿り着いた答えは、
リアルタイムにアップデートした歴史を断章によって掛け繋いでいき、まるで映画の副音声のように著者が俯瞰して語り、史実をインプットした上での考察、情景、登場人物のアウトプットを果たす。というスタイルだ。
そこには、その情報の確度や、別作品からの比較や、幅広い知見からの総合的判断が加わり、
その当時の悲惨さや時代背景や生活を見ることができ、
弱者が一矢報いる物語の歴史性を損なわずに話を展開していくという離れ業をやってのけている。
歴史小説という側面もあるが、本書が評価された理由は詩小説的で、純文学的で、歴史モノなのに日記のような私小説感のある読み味にあると思う。
誰かに入り込むのではなく、あくまで自分自身の視点で歴史を捉えるところに文学性が生じ、ノンフィクションノベルとしての新たなスタンダードになり得る小説なのかもしれない。
だからこれを著者自身が基礎小説と呼んだことに些かの疑問もない。
この小説は、あらゆる文学が貫いてきたスタンスのエッセンスを含んでおり、"われわれ"がそう在れと願った純真さと好奇心で読者を満足させることだろう。
第一部はほとんど敵であるハイドリヒやナチサイドの歴史話がほとんどで少し重い。
しかし第二部に入ってからはページを繰る手が止まらず、
ラストスパートへと怒涛の畳み掛けがある。
事実は小説よりも奇なりというより、
ありったけの事実を小説にすることの奇を見ることのほうがよっぽど稀だと思う。
42年のプラハの事を眼前にありありと浮かぶ体験。
その暗殺する曲がり角を、ヒトラーのヒステリーの鼻息を、ハイドリヒの傷口に入り込んだメルセデス車のシートの中の馬毛を、
ガブチークの楽天的態度も、クビシュの微笑みも、礼拝堂の地下も、蹄の音も、自転車も、服装も、戦争も、ユダヤ人も、、、
終盤のあの書き方は必見。
布石は序盤に撒き散らしてあるので、
何故作者がそこでそんな風に書いたのか、
そんなところを鑑みるのも一興。
効率度外視の無駄の極みこそ人間味で、
ひいてはそれが文学なのかもしれない。
おわり。
Posted by ブクログ
◼️ ローラン・ビネ「HHhH プラハ、1942年」
タイトルの奇抜さに気が惹かれ、やがて来るその瞬間に向けて集中力が高まっていく。
書評と受賞歴で評判はなんとなく分かり、読みたいと思っていた。本を読む前に予備知識はあまり入れない。単純に知らない方が楽しめるから。今回も最初の方のページに書いてある紹介文にはほとんど目を通さなかった。ナチもの、という程度の認識だった。
ナチスの大物幹部、ハイドリヒ・ラインハルト。天才的な実行能力と、狂気とを併せ持ちドイツ第三帝国領内のユダヤ人を絶滅させようともくろみ実行した男。チェコを統括する地位に就いたハイドリヒを暗殺すべく、ロンドンの亡命政府が刺客を放つー。
作者の分身である「僕」が常に顔を出し、膨大な資料や先行書籍、映画まで検分して、歴史に向き合い叙述することの手法や是非をチェックしつつ、自作の執筆に悩みつつ、物語を進めていく。新スタイルの歴史ものとして世界的に評価され、日本でも本屋大賞の翻訳小説部門で2014年の第1位となった。文庫化はおととしと遅かったのが意外だった。
最初はどこに向かうのか分からず、どうももったいをつけてて冗長だなと感じていた。でも暗殺実行者のガプチーク、クビシュがチェコ領内にパラシュート降下をするあたりから集中力が高まって、暗殺の実行そして後日談へと早く読みたいと気が急いていた。
ナチの残虐性を代表する金髪の野獣、ハイドリヒはナチでどのようにしてのし上がったのか?ヒトラーその他の幹部にどう受け止められていたのかも興味深いが、なにより暗殺は成功したのかどうか?鉄槌はくだされたのか、段々とクライマックスに迫っていく感覚。特殊な読ませる文章にゾクゾクする。まだか、と思わせるのも手法の1つだなと再認識。そして暗殺決行時に起きる偶然にはドラマ性とともに現実感が強く伴う。
なにせ従わなくば殺せ、従っても殺せ、という土壌。暗殺後のヒステリーのような悲劇は痛ましい。大きな裏切りとレジスタンスたちの最後の抵抗を経た後の喪失感。エピローグも短めで好感が持てる。
映画にはドキュ・ドラマというジャンルがある。この作品はドキュメンタリーでもなく、歴史的出来事を扱うノンフィクションでもない。スタイルという面での賛辞は多かったようだ。私としては、僕、の登場と語り、という手法そのものよりはやはり、やがて来る決定的なシーンに読み手を惹きつけ、その過程で知識とシンパシーを深めていく筆力そのものに感嘆した、と思っている。リーダビリティ、読み応えが半端ない。
おもしろい読書体験、良い読書でした。
Posted by ブクログ
1942年のプラハで、ナチのゲシュタポ長官であるハイドリヒを暗殺しようとした「類人猿作戦」を描いた小説、を描こうとした「僕」が何を調べて、何を伝えたくて、何をためらい、何を取り上げたり取り上げなかったりしたのかを逡巡していくうちに、歴史の出来事の記述がコントロールしづらくなっていく様を描く小説。原書はフランス語。
ある事件を描いた、というだけだったら歴史小説として読めばいいのだけど、「僕」が一体何なのかを理解したり慣れたりするのに少し時間がかかる。なんかこれまでに読んだことのない感じの小説で、割と前半は、「僕」の話と何人かの登場人物の整理がつかなかったり当時の政治状況に関する無知のせいで、やや忍耐力を強いられる感じがするが、それでもだんだん慣れてくると後半は割とスムーズに読めた。p.139に書いてある通り、「ハイドリヒのついての僕の本」。メタ的な構造になっている。この『HHhH』という不思議なタイトルは、"Himmlers Hirn heisst Heydrich"、つまり「ヒムラーの頭脳はハイドリヒと呼ばれる」(p.180)ということらしい。
10年以上前にチェコとポーランドに行って、本書にも登場するテレジンの収容所にも行ったり、アウシュヴィッツにも行ったので、その時にナチスやホロコースト、ユダヤ人に関する本は割と読んだ記憶があって、結構人よりは知っているつもりだったけど、ここに書いてあることはほとんど知らなかった。そもそもチェコのプラハ城の下でこんな劇的なことが起こっていただなんて、この本を読んでからプラハを訪れたら、いろいろ感じ方も変わりそうだ。例えばドイツがポーランドに侵攻した際のラジオ局襲撃のエピソードとか。強制収容所から特別に外に出された囚人(「缶詰」と呼ばれる)にポーランド兵の制服を着させ、「ポーランド軍による襲撃であることを具体的に示す証拠を残すために心臓に止めの一発を撃ち込んだ」(p.152)とか、知らなかった。他にも今ロシアの侵攻で話題になるキーウでのユダヤ人の残酷な運命のこととか。「おばあさんの谷」(p.186)の話。あとはリディツェ村(p.400)の話とかも。
解説を読んでハッとしたのは、確かにこの「僕」はもともとは「作者」ではなく、この「僕」も作者の創造であるという事実。この新しい形が完成させているこの著者のすごさを改めて感じた。そしてこの著者はこの後、『言語の七番目の機能』とか『文明交錯』とか、これらは「歴史改変小説」らしく、これも読んでみたいと思った。(25/05/06)
Posted by ブクログ
その名はラインハルト・ハイドリヒ
「第三帝国デもっとも危険な男」、親衛隊将軍、国家保安部長官、ユダヤ人虐殺の司令官。
強制的に併合されたチェコの総督となったハイドリヒ。
暗殺すべく、チェコ人、スロバキア人のパラシュート部隊員がプラハに送り込まれる。
ノンフィクションでありながら、フィクション。
独特の手法で書かれたディティール。
作者、ローラン・ピネのデビュー作であり代表作。
タイトルの「HHhH」は「ヒムラーの頭脳はハイドリヒと呼ばれる」の略だ。(ヒムラーは親衛隊のトップ)
(ちなみに「ヨーロッパでもっとも危険な男」と当時呼ばれたのは、これまた親衛隊のオットー・スコルツェニー大佐。幽閉されていたムッソリーニをグライダーで強襲し、奪還に成功。)
Posted by ブクログ
歴史小説の新しいスタイルで評価は高く、文学的意義もありそうだが、単純に私にはちょっと読みづらかった。没入しづらい。でも終盤は集中して一気に読める展開で面白かった。諦めず頑張って読んで良かったな、という感じ。ナチの歴史ものだが知らなかった史実もあり、興味深く勉強にはなった。