あらすじ
男性政治とは,男性だけで営まれ,男性だけが迎え入れられ,それを当然だと感じ,たまに女性の参入が認められても対等には扱われない政治である.ジェンダー平等な社会を目指す推進力が生まれているが,男性政治の最後の砦,永田町がその流れを阻んでいる.こうした日本の現実を超えて,女性も,男性も,マイノリティも,誰もが生きやすい社会への道を探る.
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Posted by ブクログ
とても正直で残酷。だからこそ価値がある本。
女性差別の実例があまりにも克明に言葉にされているので、読み進めるのがしんどい部分もある。でもそのしんどさを一番感じているのは、被害者と著者本人だ。
Posted by ブクログ
一度投稿したつもりでいたのだが、うまく保存されていなかったようで、メモも含めすべて消えてしまった。以下、記憶を頼りに。
本書でいう「男性政治」とは、「男性だけで営まれ、男性だけが迎え入れられ、それを当然だと感じ、たまに女性の参入が認められても対等には扱われない政治」のことをいう。昨今話題になっている「政治とカネ」の問題も然り、日本の政治が絶望的なまでに停滞しているのは、特定の層に政治牛耳られ、彼らが既得権の擁護に専心しているからに他ならない。多様性こそが政治に求められるものではないのか。
先進各国では保守政党であっても、政治家のパリテ、クオータ制が進んでいる。そのなかで最も政治の男女平等が遅れているのは、ジェンダーギャップ指数が先進国でも最も大きい日本なのである。著者の三浦先生は、「男性政治」の弊害を、データを示しつつ、とてもわかりやすく解説してくれている。
誤解してはならないのは、本書は「男性批判」の書ではないということである。「男性政治」への痛切な批判であり、この「男性政治」は多くの男性にとっても有益ではないことを示している。この内容を、一部の研究者の目にしか止まらない専門書ではなく、新書という一般向けの形態で刊行した意義はとても大きい。いまこそ読むべき本といえる。
Posted by ブクログ
これまで男性中心の政治がいかに弊害を生んできたかを詳細に論じ、世界的にはどのような形で、それが打破されてきたか、研究結果や各国の取り組みを丁寧に述べられており、説得力がある。また議論や運動を進めていく中で、バックラッシュなど注意しないといけない点も述べているのはバランスが良い。女性が政治の世界で活躍する世の中になることが、ジェンダー平等で多様性のある世の中を作ることにつながるし、「家父長制が引き起こす抑圧と暴力」を打破することは本当の意味での民主主義を進めることにつながると言うことが理解できた書であった。
Posted by ブクログ
日本の政治の場に女性が少ないのは、男性がケア責任(育児・家事)を免れていて、政治リーダー象が男性らしさを元に作られているからということがわかった。
日本では、家父長制の文化により、女性が指示する立場にあることに嫌悪感を覚えるミソジニー(女性処罰感情 )が発生し、政治の場にいる女性に対してセクハラなどの嫌がらせをおこなうもとになっているとのこと。男性のほうが権威があると勘違いして、悪意ある行動をするのをやめてほしいと思った。
変えていくには、私たちの意識を変えると同時に、クオータ制などの制度の導入も必要だと感じた。
印象に残ったこと。
・日本の男性には、ケア責任=育児・家事を担うことがほとんどない。ケア責任は女性が担うものとされている。政治の場は、ケア責任を免れた男性をモデルとなっているため、女性が入れない。
・男性政治家がケア責任を免責されているということは、「ガラスの下駄」を履いているようなものである。クオータ制をめぐっては、女性に下駄を履かせるものだという言い方がなされることがあるが、実態は男性がすでに下駄を履いているのである。ガラスの喩えは見えないことを意味しているから、シークレットブーツといってもいいかもしれない。
・女性が不利な理由は、典型的な政治リーダー像が男性らしさをもとに作られているから。様々な文化において、男性に期待される役割の中核は作動的(agentic) なものとして、女性では共同的(communal) なものとして理解するステレオタイプが形成されている 。
・女性がこれだけ多くの時間を無償労働に費やしているということは、アーリー・ホックシールドが「セカンド・シフト」と名付けた状況に女性たちが直面していることを示す。これは女性は外で働くシフトが終わっても、家庭内で次のシフトが待っているという意味。働く女性の過重な労働実態を浮かび上がらせる。
・ミソジニー=女性嫌悪。女性をからかい、いじることで貶める言論を目にする機会も多い。いじりが罪深いのは、冗談だと言い逃れることで、問題を提起する女性の声を無効化し沈黙の淵に追いやると同時に、女性蔑視を正当化するからである。
Posted by ブクログ
男性だけで営まれ、男性だけが迎え入れられ、それを当然だと感じ、たまに女性の参入が認められても台頭には扱われない政治である「男性政治」という観点から、日本政治の構造に切り込み、なぜ性別均等な議会が実現しにくいのか、どのように変革の道筋をつけるのかを論じている。
日本の政治がいかにジェンダー平等からは程遠く、「男性政治」となっているのかという現状とその背景、そしてそれを変革するための方向性について、データも踏まえて多角的に論じられており、勉強になった。特に、クオータ反対論への反論はかなり説得的で、個人的にこれまで政治におけるジェンダー平等は進めるべきだがクオータまで導入する必要があるのかと疑問に思うところもあったが、本書を読んでクオータは導入したほうがよいという考えになった。
一方、自分がアンコンシャス・バイアスに毒されているからなのかもしれないが、いかにもフェミニズムという感じの、断定調、糾弾調の論調には違和感を覚えるところもあった。