あらすじ
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暗渠(川跡)を通じて、往時の東京の町の姿(江戸時代からの変化、戦前・戦後の変化、高度経済成長期での変化など)を見直す。著者作成の暗渠地図、町の変化の様子がわかる古地図、そして暗渠周辺の様子がわかる写真などの豊富なビジュアルと、そのエリアに伝わる伝承やそのエリアで生まれたカルチャーなどを紹介することで、その町の変化と性格がわかる 1 冊。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
POKEMON GOならぬANKYO GO!あまりの面白さに驚いています。陣内秀信「水都 東京」からの鈴木浩三「地形で見る江戸・東京発展史」、からの「東京の美しいドボク鑑賞術」、からの本書。江戸、そして東京という都市の歴史を「水の流れ」という視点で捉える読書が、細く長く偶然に繋がって、たまたま手にした本です。その源流は中沢新一「アースダイバー」かもしれませんし、門井慶喜の「家康、江戸を建てる」「江戸一新」なんどの小説にも寄り道しているかもしれません。しかし、縄文の記憶とか、江戸幕府の統治とかの大きな物語としてではなく、土地で生活する人々の暮らしの痕跡としての暗渠という存在が小さな記憶の点であることを知りました。点は繋がって線になり、線が交差して面になって、江戸・東京に行き渡り、そして蓋をされ、埋め立てられ消えていく、その現在進行形。今、東京のいう生き物の毛細血管は鉄道の路線図であり、道路地図なのでしょうが、江戸の毛細血管は水路網であったのです。その欠陥が繋ぐ細胞が水田という生産の場であり、そのには「水利組合」という生存競争があったのです。水路で語る東京から鉄道で語る東京への転換は、生産都市から消費都市への転換の歴史でもあったような気がします。やっぱりこれは小さな記憶、というだけではなくて大きな物語か…。都心から郊外への変化のズレもドキュメントとして生々しく、蓋をあけたら飛び出す歴史、がANKYO GOの面白さです。これからの散歩は、変に曲がった道、行き止まり、広い舗装路の下にある水系の物語を感じることも出来るようになりたい…かも。
Posted by ブクログ
東京には人知れず流れている川がある。
川や水路にふたをしている地下の水路が本来の意味だった「暗渠(あんきょ)」だったが、もともと川だったりした場合に、その土地の空間とあわせて暗渠と呼ぶことも多いと説明している。
「ブラタモリ」ですっかりおなじみになった暗渠。
隠しても地形までは隠しきれず、「痕跡」が残っている場合が多い。
不自然に曲がった道など「土地の記憶」を今でも見ることができる。
戸越銀座といえば、メディアでも取り上げられることの多い商店街だ。
しかし、大正末期までは川が流れていて、水田が東西に連なって広がっていた意外な一面があった。
江戸時代後期にはタケノコの名産地として知られ、集落や谷の斜面は竹林に覆われていたそうだ。
状況が変わったのは大正後期だった。
水田が整理され、複数に分かれていた川も1本にまとめられた。
関東大震災で被災した人たちが移住してきたが、かつての水田だった場所ゆえに雨が降ると水浸しになった。
そこで、銀座で不要になったレンガを使って道路整備を行った。
レンガを道に敷き詰めた。そのさいに、道沿いの川を暗渠化した。
渋谷に暗渠があるのは「ブラタモリ」で知ったが、いろいろな所があるなあ。