あらすじ
何かを追いかけているのか、
それとも何かから逃げているのか。
父のルーツの言葉、母語の檻、未知なる日本語
父と息子、故郷へのそれぞれの想いが静かに共振する
留学先の日本から、サウスカロライナに帰郷したラッセル。
葛の繁茂した庭、南部ならではの湿気、耳に届く哀切な音楽――
青年は、遠くイランからこの地に根を下ろした父の来し方に想いを馳せる。
デビュー作『鴨川ランナー』で、言語と自己のはざまの揺らぎを描き、
京都文学賞を受賞。
越境文学の新たな領域をとらえる著者の、注目の最新刊。
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Posted by ブクログ
『鴨川ランナー』よりもさらに複雑に、言語と自己の関わりについて常に考える、考えざるをえない状況を描く。
イラン出身でペルシャ語を母語とし、米国に暮らす父。
アメリカに生まれ英語を母語とし、父とも英語で会話をしてきた自分は日本へ留学している。一時帰国中。
父の人生にフォーカスしたくなる。
自宅の庭に次々に繁茂する葛、日々それと格闘する父。本当は何と格闘しているのか。
しかし葛がkudzuであったように、「異」であっても重なるところはある。母国を出て、母語でない言葉を使い、必死に人生を開墾してきた彼が、これから誰かとの重なりを感じられますように。
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『鴨川ランナー』から続けて『開墾地』を読み、著者のことも考えるのだけれど。誰が書いたかということをわきに置いて、とても面白い物語だった。自身の経験から生み出されたものだろうということは意識しながら読んだけれども、日本語を母語としない人が日本語を使って書く、ということはまるで意識しなかった。それだけ日本語がうまいからだ、なんてことは考えもしなかった。
1冊の本を読んで、ああ面白かったと終える。私にとっての基準は一体なんなのだろう。ストーリー、文体、はありそうだ。著者はどれほど影響しているか。読む前から絶対に面白いに違いないと思える著者がもちろん何人もいて、それってバイアス込みで読んでいる?