あらすじ
フェイスブックが社名をメタに改めたように、いま熱い注目を集めるメタバース。ブームが過ぎ去り、本格的な普及が予想される2030年以降、社会はどう変わるのか? そして貨幣、雇用、身体の行方は。資本主義を大きく変容させる「純粋デジタル経済圏」の誕生をも論じる未来の書。
累計16万部、『人工知能と経済の未来』の続編誕生!
バーチャル美少女ねむ(メタバース文化エバンジェリスト)推薦!
「メタバースから経済を見て、未来を探る思考の旅を始めましょう」
●目次
1章 メタバースとは何か
2章 この世界はスマート社会とメタバースに分岐する
3章 純粋デジタル経済圏の誕生
4章 メタバースとお金の未来
5章 資本主義はどう変わるか?
6章 人類が身体を捨て去る日
7章 日本をメタバース先進国にするにはどうしたらいいか?
井上智洋(いのうえ・ともひろ)
駒澤大学経済学部准教授。慶應義塾大学SFC研究所上席研究員。博士(経済学)。2011年に早稲田大学経済学研究所で博士号を取得。早稲田大学政治経済学部助教、駒澤大学経済学部講師を経て、2015年4月から現職。博士(経済学)。専門はマクロ経済学。特に、経済成長理論、貨幣経済理論について研究している。著書に『純粋機械化経済 頭脳資本主義と日本の没落』『ヘリコプターマネー』(ともに日本経済新聞社)、『「現金給付」の経済学』(NHK出版新書)、『人工知能と経済の未来』(文春新書)、『AI時代の新ベーシックインカム論』(光文社新書)、『MMT 現代貨幣理論とは何か』(講談社メチエ)など。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
今後世界的に普及するであろうメタバースとそれに伴う社会の未来について書いた一冊。
メタバースという名の仮想世界やマルチバースが身近に来ていることを実感した。
Posted by ブクログ
私には、なぜ、メタバーズに関して大騒ぎする人がいるのか不思議だった。
本書を読み終え、概略は理解することができた。
ただし、著者が考えるような未来が到来する可能性はきわめて低いと思う。
マクロ経済に対する著者の立場はありきたりであり、経済政策にかかわる主張には若干、がっかりした。
Posted by ブクログ
メタバースの話題からAIの現状や限界。
デジタル経済圏やお金の話などメタバースを軸に日本での現状を語る。
未来のAIで意識をハードにアップロードするという話もあるけど、これは実現が難しいとのこと。
メタバースが空間的に時間的に現実の世海を超越しコミュニケーションの仕方も大きく変わる。AIでアメリカや中国には追いつけないからメタバースで主導権を握りたいようだけど、主導権を握っても人が性善説に立った正しい使い方をしない絶望的な未来を考えてしまいます。
Posted by ブクログ
昨今何かと話題のメタバースについて、その概要から経済、社会に与えるであろう影響について分かりやすく解説されています。
非常に勉強になる内容でしたし、汎用AIを始めとする技術の進歩により訪れる未来については単純に読み物としても面白かったです。
Posted by ブクログ
世の中の階層化や分断への警鐘がやかましくなると、ルソーが、自由でフラットで個人の尊厳への希求が、社会への実装についての「新しくて古い」アイデアが、流行する。現在は、多くの論者が、技術の進歩によってそれが可能に近づいているという見解を示す。はて?
Posted by ブクログ
極めて個人的な意見であるが、未来世界は、生活時間のほとんどがメタバース内で消費されると思っている。
もちろんデータで分析した訳ではないし、あくまでも個人の感想だ。
だから、実際にどうなるかは全く分からない未来の話である。
しかしながら、感覚として「こうなるのではないか」という確固たるものが自分の中に存在している。
これはもう本能的な感覚としか言いようがない。
それにも関わらず2016年頃にVRブームが訪れて、以後約10年が経過したのだが、メタバース世界がなかなか訪れないことに苛立ちすら感じている。
当時は「日常がメタバースになる世界は、相当に早いのではないか」と思っていたが、2025年の現代において、その状況にまでは至っていない。
(すでになっていて、私だけが認識していない可能性もある)
思ったよりも進みが遅かった理由は様々あると思うが、だからといって「メタバースは永遠に来ない」とは、やっぱり思えない。
自分でもメタバース世界を体感したり、様々な関連書籍を読んだりしているが、何をどう考えても、未来では、リアルとメタバースの割合が「50:50(半々)」位になっていくのではないかと感じてしまう。
着地点が、「60:40」だったり「70:30」だったりするかもしれない。
しかし、それは僅かな誤差であって、「メタバースは永遠に来ない」という話ではない。
30%でもメタバースが普及していれば、それは社会に十分浸透してると言ってよいだろう。
ほとんどの人の生活の一部になるのは間違いない。
今現代でも「スマホ」は日常的なツールだ。
何なら可処分時間のどれくらいをスマホに費やしているのか。
もしくは、可処分金額のどれくらいをスマホ関連に支払っているというのか。
そんな社会が来るなんて、約20年以上前は考えもしなかった。
当時はガラケーのiモードコンテンツに、月額380円などを支払っていた時代だったが、それはそれで異常な世界観だったのかもしれない。
2008年頃にスマホ(iPhone)が日本で発売された時でも、「こんなものは普及するはずがない」という人は存在していた。
それが、すでに日常的に無くてはならないツールになってしまっている。
メタバースだって、「そこにあるのが当たり前」という日が来ても、何ら不思議ではないのだ。
現実的に、便利な部分は多い。
仕事だけを考えても、ホワイトカラーの主な業務はメタバースで代替できるはずだ。
ホワイトカラー業務を担うビジネスパーソンの、ほとんどの仕事が、会議と会議のための資料作りだったりする。
(こう記載しただけで、自分の行っている仕事がつまらないものに思えてくる)
そう考えると、テレワークでも十分に可能だし、Zoom・Meetなどの無機質なタイル画面よりも、メタバース世界での会議の方が、ノンバーバル(非言語)な部分も感じられて、リアルに近い会議の質が保てるかもしれない。
常時メタバース上にいれば、仕事でスタックしても「ちょっといいですか?」と、リアル出社と同じような即時確認ができるだろう。
「これマズイかも」というヒヤリハットも、常時メタバースの世界なら防げるようになるのかもしれない。
益々リアル出社して「会議と会議のための資料作り」を行う意味が全くない。
今も自宅から一歩も出ずに、テレワークだけで完結している人も多いと思う。
それが益々便利になって、いずれメタバースに進化していくだけだ。
この方向性には異論がないと思われる。
それでも、メタバースが普及段階に至るには、まだまだ超えるべきハードルが多いのだろうと思う。
ヘッドマウントディスプレイ(HMD)がもっと小型化して使いやすくならないと、実際の普及は難しいだろう。
そのティッピングポイント(転換点)が、どのタイミングか。
メガネ型なのか、コンタクトレンズ型なのか。
そうなった際には、リアル世界とメタバース世界の差もほとんど感じられないだろうと思う。
自分にとっては、両方の世界が日常なのだから、「どっちもリアル(現実)」というだけかもしれない。
まさにシミュレーション仮説のような世界観になっていくが、その方向性も不可逆と言えるだろうと思う。
そんな世界で自分たちはどうやって生き残っていくか。
もしかするとあまり深く考えなくてよいのかもしれない。
それが日常世界になるのであれば、普通に生きていくだけだ。
今現在でも、この世界に生きている訳だから、人間は案外環境に適応できるものなのかもしれない。
メタバース世界が当たり前になると「国家の概念ってどうなるのだろう?」とか、「お金はメタバース内通貨だけで完結できちゃうのだろうか?」とか、色々と想像してしまう。
そういう中から新しいビジネスアイディアが生まれてきて、メタバース内での経済活動が活性化されていくのだろう。
本書内では「日本はどのポジションを狙っていくか」という方向性で展開しているが、実際にどうなるのかは私にも分からない。
元々はゲーム大国だったはずだが、その地位もだいぶ厳しい状況になっている。
ゲーム、メタバース、AIだったり、ロボットだったり。
世界が変化するのが不安でもあるが、楽しみでもある。
変化を楽しんで、メタバース世界で長生きしたいと思っている。
(2025/6/15日)
Posted by ブクログ
人類は今から20年以内に、目覚めている多くの時間をコンピュータ上の仮想空間で過ごすようになる。アクセスがより簡単で容易になり、リアリティが増して濃密な体験が可能になる。経済活動のかなりの部分がメタバース内で行われるようになる。
身体性が不要になって、認知能力だけで暮らせるようになるとして、認知症はどうなっていくのだろうか。