【感想・ネタバレ】風評被害~そのメカニズムを考える~のレビュー

あらすじ

1954年の第五福龍丸被爆事件に始まる日本の風評被害の歴史。その後、74年の原子力船「むつ」の放射線漏れ事故、81年の敦賀原発放射性物質漏洩事故、99年の所沢ダイオキシン報道などを経て、風評被害はひんぱんに起きる現象になってしまった。何が原因なのか、どういう具合に広がっていくのか。事態の収拾に有効な方策はあるのか。今回の東日本大震災の後に起きた未曾有のケースも含めて、第一人者が多角的に論じる。【光文社新書】

...続きを読む
\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

感情タグはまだありません

このページにはネタバレを含むレビューが表示されています

Posted by ブクログ

ネタバレ

よく、耳にする「風評被害」この言葉の定義を知っていますか?
風評被害という語句は、国語辞典などにはなく、現代用語の基礎知識、イミダス、知恵蔵などに代表される現代用語辞典の中にとりあげられており、学術的用語でも公的に定義された用語でもない。つまりマスコミ用語である。よって、この言葉がコンセンサスのないまま社会に定着している(本著より引用)
では、その風評被害はどのようにして起こるのか?第五福龍丸事件から福島第一原発事故までの間に起きた様々な事件を通して。風評被害がどのように起きてきたかを書いている。そこには、我々の絶対神話とゼロリスクを他者に求める心理・行動と、マスコミによるキャスティングされたストーリーとサブリミナル効果により、情報は増長され風評が作られていくのである。では、各個人が科学リテラシーをもてばいいかと言えば、必ずそうとも限らず、食品などの場合は、流通過程やそこに介在する組織などの要素により発生する可能性があるからである。
絶対安全はない、何ごとも社会全体のリスクとベネフィットで判断されている。よって我々もその判断された結果をどこまでなら許容できるのか考えなければならない。。さらに「うわさは智者でとまる」という言葉のとおり、うわさと風評とは違うが、ひとりがひとりが智者となり、上記に書いたように、安全やリスク回避を他者に依存することなく、自分自身で判断しなければならない。それこそが、少し前から言われているレッセフェール・自己責任であり、それのないところに、真のグローバル化はない。

0
2013年05月16日

「社会・政治」ランキング