あらすじ
〈螺旋プロジェクト〉、ついに文庫化!
「いいか、島でのこと、だれにも話してはいけない」
海の民の少年オトガイは、父から代々伝わる役目を引き継ぐ。
山の民の少女マダラコは、生贄の運命から逃れて山を下りる。
死を知らぬ海の民イソベリ、死を弔う山の民ヤマノベ。
二つが出会い、すべてが始まる原始の物語。
〈巻末座談会〉八作家が語る、〈螺旋プロジェクト〉のいままで
【電子版巻末に特典QRコード付き。〈螺旋プロジェクト〉全8作品の試し読みができます】
※〈螺旋プロジェクト〉とは――
「共通ルールを決めて、原始から未来までの歴史物語をみんなでいっせいに書きませんか?」伊坂幸太郎の呼びかけで始まった8作家朝井リョウ、伊坂幸太郎、大森兄弟、薬丸岳、吉田篤弘、天野純希、乾ルカ、澤田瞳子による前代未聞の競作企画
〈螺旋〉作品一覧
朝井リョウ『死にがいを求めて生きているの』
天野純希『もののふの国』
伊坂幸太郎『シーソーモンスター』
乾ルカ『コイコワレ』
大森兄弟『ウナノハテノガタ』(本作)
澤田瞳子『月人壮士』
薬丸岳『蒼色の大地』
吉田篤弘『天使も怪物も眠る夜』
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Posted by ブクログ
螺旋シリーズ6冊目。
原始編!
ところどころ謎のワードが出てきて、おそらく海だな、おそらく太陽だなみたいなのがわかってきて楽しいが、それとは別に普通にネズミとかどんぐりとか、現代と同じ用語が出てくるので、どうせなら全部変えろよと思いながらもそれやったら単に全部新しい言語で書けという無茶振りになるし難しいな…
海族には死と生の概念がなく、というか隠されていて、山族は死と生どころか武器などの文化もある。
そして起きまくる地震のせいで彼らが出会い、そして破滅していく。
まあ、海族はいつまでも死の島を隠せる気がしないし、山族は放っといても相打ちやいけにえで滅びそうだし、どっちにせよ滅んでたのではないかという気がする。
武器を知った海族が狩りを楽しみまくるシーンがある意味一番怖かったかも知れない。頭に巨大な岩が落ちてきて半分潰れたような死体になっても、離れ島に置いておけば別の存在として復活すると思い込んでる海族。そして争いという概念がないが、弓で山族を攻撃するのは躊躇せず行う。
でも、怪我をしたら痛いというのはあるわけだし、その痛みが度を超えると死ぬ、というのは気づかざるを得ないのでは… うーん。
単語だけが違うのかと思いきや、主人公とその父親が長老的な存在に背中をさすられて黒い塊を吐き出すという謎の文化というか病気があった。しかも特別なのはそれだけ。アレはなんだったんだろう。役割のストレスによる病気なのか、誰にも言えない秘密を吐き出すメタファー的なものなのか。
最終的には海族側についた山族の知恵で武器が作られ、戦争が起き、人が死にまくってるところに更に地震と津波が来て新天地に旅立つ…のか?
なんかところどころ何が起きてるのかよくわからないイベントがちょいちょい起きてた。
ただ、山族合流からの勢いがすごく、一気に読み終わってしまった。満足度は高い。
巻末座談会として螺旋プロジェクトに関わった8人の作家の対談が載ってるが、ネタバレの予感しかしないので最後に読む。
Posted by ブクログ
螺旋プロジェクトの第1弾。
固有名がなじみのないカタカナで、また古代を表現するために知らない単語で表現しているので最初はメチャ苦戦しました。第2章が終わる頃には慣れましたけど、進んでは戻り、進んでは戻りを繰り返しました。
死の概念がないイソベリと生贄という犠牲を払って生きるヤマノベ。現代の感覚ではどっちもどっちな感じがしますが、この物語を神話、と捉えると、まぁこういう世界観もアリかな、と思いました。
ハイタイステルベの家系、カリガイ・オトガイはマダラコが言うように、イソベリの生贄として生きることを強いられていた。イソベリの掟のようなものを守るために。カリガイは辛かっただろうな、と思いました。マダラコもそれは同じことですが、マダラコはヤマノベで死を理解しているので、逃げ出せたんでしょう。
ウナクジラはどういう役割で登場したのかな?たぶん、ハイタイステルベはイソベリを守るため、って言っていたけど、死を理解させることでイソベリの目の前で朽ち果てていったのかなぁ、と思いました。また、共通シーンの何かが壊れる、の何かはこのウナクジラなのかなって思います。ほかに該当するようなものなかったしな。
超越的な存在はウェレカセリ。途中でエビヌマに沈んだまま出てこなくなって亡くなったのか?っていう謎はあるでんすが。ウェレカセリの残したメッセージを、マダラコとオトガイが読み解くところは、面白かった。ウェレカセリは全部、知っていたんでしょうね。ウェレカセリの喋り方、おもしろい。
最後、残っていたヤマノベたちもイソベリの舟に乗れたのか、その舟の穴は大丈夫だったのか、「ウナノハテノガタ」に向かって行けたのか、マダラコはイソベリたちとうまくやっていけるのか、ヤキノが新たな災いのもとにならないのか・・・。疑問がいっぱい残ったまま、希望のエンディングを迎えた。
苦戦したけど面白かった。
螺旋プロジェクトの第1弾として読みました。別の作品でマダラコとかオトガイとかまた出てきたらエエな、と思います。ウェレカセリはどこかで登場するみたいですね。楽しみです。
引き続き螺旋プロジェクトを読んでいきます。
Posted by ブクログ
螺旋プロジェクトの原始時代編。
自分が読んだ順では、昭和後期~平成~近未来の2冊に次いで3冊目。前の2冊は今の自分のいる時代と地続きのお話として読める。でも他の物語を読み終えてみると(まだ全4冊だけだが)、伊坂さんが目指した、「火の鳥」のような時代を超えた一連の作品になっているのが分かる。「火の鳥」は何度も読んだなあ。クマソの話、不死になった宇宙飛行士の話、仏像彫りの話・・・
さて、この「ウナノハテノガタ」。よく書けたなあ、が感想。背景設定、キャラクター、シナリオ、構成、演出、情景描写、言語(音)使い・・・どれも非常にレベルが高い。実写化、アニメ化には向かない描写が多いが、逆にこの時代っぽいリアリティを醸し出していると思う。大地震や津波を持ってくる辺り、日本という地域を意識させる演出にもなってる。
毛皮も爪も無くバランスの悪い体を持つ人間は自然に対して本来ひ弱。ケガもすれば火傷もするし、それは簡単には治らない。でも、マンモスや大きな鳥を絶滅させるくらいの変な方向性の力も持ってる。やっぱりでも自然の力にはかなわない。したたかに生き残ってきているはいるけど。災害の後に生まれるのは、諦念なのか、希望なのか。
文化や宗教。子孫たちがここシオダマリで住み続けられるようイソベリが作り出した物語、とウェレカセリは言った。始まりはちょっとした知恵や工夫の集合だったのだろうけど、情報を知る者の優位性が強化されるにつれ、知らざる者を支配するための、為政者のツールになっていったんだろうな。
Posted by ブクログ
「ウナノハテノガタ」
「海の果ての潟」かと思って読んでみたが、「海の果ての方」だった。
オトガイはイソベリの少年。
イソベリには死の概念がない。
動かなくなったら、息をしなくなったら、イソベリは島へと運ばれる。
そこでイソベリはイソベリ魚となり、ケガは治り、昔々にイソベリ魚になった人たちとウナでずっと幸せに暮らす。
たった一人、島へ運んでくれるハイタイステルベはオトガイの父、カリガイ。
イソベリは、食べたい分だけシオダマリで魚や貝やタコを取って食べる。
争いごとのない世界。
そこへ、森の奥から見慣れぬ獣のようなヤマノベのマダラコがやってくる。
ヤマノベは、武器を取って戦うことを知っている。
ヤマノベは、死を弔うことを知っている。
ヤマノベの仲間に追われたマダラコを匿い、大地が揺れて崖崩れでけがをしたヤマノベたちを救ったイソベリ。
それはいけないことだと、ウェレカセリは言う。
ヤマノベとイソベリは近くで暮らしてはいけないのだ、と。
しかしケガが癒えたヤマノベは採れるだけの食材をシオダマリで採り、イソベリに分けることなく、余らせたものは捨てて腐らせていく。
武器を持たないイソベリは…。
薄い本なのに、すごく時間がかかりました。
苦しくて、読むのが。
オトガイの親友ヤキマは、ヤマノベの世界観をどんどん吸収していきます。
知らない概念を知る喜び。
しかし、それが彼を幸せに導いたかというと、そうはならない。
ハイタイステルベは、イソベリで唯一「死」を知る存在です。
たった一人で秘密を抱えているカリガイの心が、どんどん蝕まれていく様子は、読んでいてとても辛いものでした。
そして次代のハイタイステルベたるオトガイもまた、「死」を知らないがゆえに無茶をしても平気なイソベリたちに、命を、身体を、無駄にするなと言ってしまいたくなります。
「死」を知らないイソベリは、まるで特攻のようにヤマノベに向かっていきますが、あっけなくやられてしまうのです。
だって今まで争ったことすらないんだもの。
最後は、ヤマノベもイソベリも大きな脅威に晒されることになります。
なんとなく希望を抱かせる終わり方。
でも、私はずっと、カリガイの苦しみが辛くて苦しくて。
一人の苦しみの上にある大勢の幸せ。
マダラコはそれに反発をしてヤマノベから追われることになるのです。
そしてハイタイステルベにすべてを任せて安穏としているイソベリの在り方も、ヤマノベと同じといいます。
要は生け贄だけが苦しめばいい、と。
その、悪気のない無責任が重い。
Posted by ブクログ
螺旋プロジェクト(私の中で)2冊目。
まず、なんだかすごいものを読んだなぁという感想。
記号のような言葉も、読み進めていくと文脈から意味を持つ単語に変わる過程が、言葉の生まれた過程そのもののようでまずそこに感動した。よく書いたなこれっていう。
死について対照的なイソベリとヤマノベ。
死の概念というのは隠されると、怪我を恐れない大胆な行動になるのか?本能は作用しないのか?とか人間の姿じゃなくなる(イソベリ魚になる)のは悲しくないのか?など、疑問は少々ありながらも、それを超える世界観。生々しいありありとした描写が良い。
死(死後)について誰も分からないのは現代もこの時代も変わらないという人間のちっぽけさに反して、一歩前に進もうとしたオトガイのラストシーンが生を際立たせていた。「死にがいを求めて生きているの」に続いての2冊目だったので、より生と死について考えさせられた。
他の螺旋プロジェクトも楽しみだ。
どうでもいいけどハイタイステルベという単語が自分の中でしばらく流行語になる予感。