あらすじ
※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。
子どものころから何十年もいっしょに過ごすうちに、ちょっと…いや、かなりぼろぼろになってしまったぬいぐるみたち。
U2のボノやミスター・ビーンのクマをはじめとした、愛の重みを一身に受けたぬいぐるみたちの姿を、笑いや涙の思い出が詰まった文章とともに紹介します。
目や鼻が取れていたり、ほころびを縫い合わされた腕をしていたりするクマやウサギを見れば、きっと自分の幼いころを思い出さずにはいられないでしょう。
何も要求せず、見返りも求めずにそばにいてくれたぬいぐるみのことも。
原作はアイルランド首都ダブリン在住の写真家マーク・ニクソン(Mark Nixon)。
4年前彼は、自分のスタジオで大切なぬいぐるみと持ち主の写真を撮り、ホームページに載せました。
この作品「MUCH LOVED」は1ヶ月で150万件以上のアクセス、3ヶ月で450万件を超えることに。
それらをまとめた写真集「MUCH LOVED」は中国からペルー、アイスランド、アルゼンチン、アメリカからロシアまで、そしてヨーロッパ中でもニュースやブログで話題になり、日本では2015年6月9日放映「マツコの知らない世界」でも紹介されました。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
持ち主に愛されすぎてボロボロになったぬいぐるみの写真集。
ウチにも死んだ犬とまだ生きている猫の2代に渡って大事にされてる「お友達」と呼ばれてるボロボロの熊のぬいぐるみがあるけど、これは絶対に捨てられない。
ぬいぐるみには何か持ち主の思いや気持ちといったものをため込む機能のようなものがある。
Posted by ブクログ
書店でみつけて、なんとなく開いた瞬間みぞおちを掴まれた一冊。
グロテスクなほどボロボロになったぬいぐるみたちの写真。持ち主とぬいぐるみのエピソードにまたぐっとくる。
こんなになるまで愛されて、それでも(それ故)捨てられることなく大切にされ続ける。
尋常じゃない量の思い出を抱えて、どうかずっと持ち主の人と一緒にいてほしいと思ったし、私もそんな存在を持ちたい、と思った。
Posted by ブクログ
ぼろぼろだけど、愛で満たされているぬいぐるみの写真集です。それぞれの写真に、ぬいぐるみと持ち主とのエピソードもかかれています。
かつてお店にズラリと陳列されていたぬいぐるみが、それぞれの持ち主との歴史を経て、今の姿になったんだなあとジーンときました。
自分の思い出のぬいぐるみが自然と思い出され、どこにあるのか見当もつかないので、つい母に連絡してしまいました。
Posted by ブクログ
きっとこの本を手にする多くの読書も、大切なぬいぐるみの友人がいる人たちなのかなと勝手に思った。
かくいう私と娘もぬいぐるみ愛好家で、ふたりで本書のページをめくる度に共感と感動、驚きの連続でした。
ぬいぐるみたちの、誰かの愛を一身に受けた姿、美しいなぁ。
Posted by ブクログ
子どもの頃から大人になってまで一緒に過ごしてきた愛着まみれのぼろぼろのぬいぐるみたちの写真集。目とかしっぽとかが取れてぼろぼろになっているのが美しい。これが新品のぬいぐるみの写真が並んでいたって何の面白みがあろうことか。
ぼろぼろだけど幸せそうなぬいぐるみたち。縁ある人からの一文が添えてあるんだけど、それを読むと、一時的に行方不明になったり旅先で忘れられたにもかかわらず戻ってきた強者たちだったりもする。それぞれにそれぞれのエピソードがあり、ぬいぐるみという無生物の枠を超えた存在だってことが伝わってきてほっこりした気持ちになる。
もとはアイルランドの本らしく、ぬいぐるみの多くが熊でその名もテッドやテディというのも面白い。日本で同じような本をつくったらもっといろんな動物や名前のぬいぐるみになりそう。
わが家の押し入れにもパンダ親子のぬいぐるみが眠っているはず。久しぶりに会いたくなった。
Posted by ブクログ
とってもハートフルで、ちょっぴりセンチメンタル。(何かの宣伝文句みたい笑)
写真家の著者は「愛されすぎたぬいぐるみたち」という、使い古されたぬいぐるみを撮影していく企画を立ち上げる。それに応募・集結したぬいぐるみは、持ち主と過ごした時間やボロボロ具合に至るまでまちまち。
しかし愛情の深さだけは、どのぬいぐるみにもムラがなかった。
自分も昔からぬいぐるみloverであるが、ボロボロになるほど長く手元に置いている子はいない。実家の棚や箪笥に何体か置いてきたが、いずれも色や形状が保たれている。
我ながら「物持ちが良い」とも言えるが、「ボロボロになっても一緒にいたい」という彼らの関係がとても羨ましかったりする。
「彼はいつもそこにいたのだし、いつだって”彼”でした」(P 82/テディ)
「それにスポッティは忠実な友達なの ー 糸でできた唇はたくさんの秘密をしまいこんでいるし、ふわふわの前脚でそれは多くの涙をぬぐってきたわ」(P96/スポッティ)
「ボロボロであればあるほど望ましい」というのが、ぬいぐるみの選考基準。
新品みたく表情が読み取れる子から、ホラー映画顔負けの崩れよう…って子もいる。顔と胴体が一筋の生地だけで繋がっていたり、毛がハゲ切ったせいで顔が焦げているように見えたりと、第三者にとっては「ギョッ」とする瞬間の連続だった。
でも子供にとってのぬいぐるみは、かけがえのない存在。遊び相手であり、相談相手であり、魂を分けた相棒である。その感覚は成長しても離れず、気がつけば今も手元に置いている…。どんな形であっても、「彼/彼女」は「彼/彼女」なのだ。「自分のもとにもそんな子がいたら、同じ想いを抱いたのかな」と、ふと思う。
「自宅や移動先で無くしたけど奇跡的に見つかった」というケースも何組かあって、やっぱり彼らは運命的な強力なもので結ばれているんだと本気で信じざるを得なかった。(自分は凄い頻度で紛失していて、いずれも見つかることがなかったから余計…)
個人のぬいぐるみだけではない。
かの有名なテレビ番組『ミスター・ビーン』のテディちゃんも写真を撮られに来ていた!持ち主はミスター・ビーンを演じたローワン・アトキンソン氏と英テレビ制作会社の”Tiger Aspect Productions”!!彼らもまた、著者のラジオでの呼びかけに応募したのだろうか。
ミスター・ビーンもそこに登場するテディちゃんも大好きだったので、このお披露目には興奮しまくった笑 本文でも言及されている通り、確かにテディちゃんの目はエピソードごとに違っていて、ある時は金色の画びょうが刺されていた(!)
身体中が毛玉だらけなのを除いて、写真ではきれいに原型を留めている。それに思っていたよりも大きかったんだね。
これだけ認識されてるってことは、持ち主だけじゃなくて視聴者からも愛されすぎたクマちゃんだったってわけだ。
「純真な心を失った時も子どもの世界から大人の世界へ入ったときも秘密は絶対に守ってくれ見返りも求めずそばにいる」(P 7)
色褪せてすり減ったのち、最後に残るのは魂かもしれない。だったらやっぱり、最後まで一緒にいたいよね。
Posted by ブクログ
“書店員は見た! 森田めぐみ著”で紹介されていました。
私も実家を出た際、ゴリラのぬいぐるみを持って行きました。そのぬいぐるみは、父が「オレに似てるだろ?見張ってると思って机に置いてなさい。」と高校受験の中3の時にくれました。見守ってくれている気になり、今でも近くにいます。鼻の部分が破れてきてます。
愛されすぎたぬいぐるみ。愛を感じずにはいられません。持ち主は、そのぬいぐるみを愛し そのぬいぐるみを送られた人から愛されていたことも感じとれました。
Posted by ブクログ
年月を経てぼろぼろになったけれど愛着のあるぬいぐるみを募集し、ポートレートと共にエピソードを紹介する写真集。
だいぶ前に原書を読んでいて、懐かしくなったので購入。他人の目にはちょっと可愛いと言えないレベルに形が崩れてしまっている子もいるのだが、添えられた思い出話を読むとそのクタクタな姿こそが特別なのだとわかる。原義のフェティッシュ=呪物崇拝の世界だ。
いくつか手作りのぬいもいるけれど、ほとんどは工業製品。だが、パーツを付け直し、布をツギハギされていくうちに、とても元はデパートに並んでいたとは信じられない風貌になっている。この唯一無二の佇まい。"表情"としか呼びようのないものが写真にうつっている。
イギリスにはぬいぐるみを学校に連れてきていい日があったり、パブリックスクールでもぬいと入寮するのが推奨されていたりすると聞いたことがあるけど、アイルランドもぬいと人との結びつきが強いのだろうか。ただ愛されてきただけではない、「人を支えてきた」という誇りに満ちた良い顔の揃った写真集である。
Posted by ブクログ
個性溢れるぬいぐるみたちに沢山の心温まるエピソードが詰め込まれていて楽しかった!
よく私はぬいぐるみを連れて行って写真を撮るぬい活をしているが、この本を読んでぬいぐるみと付き合う長さはただモノではないなと実感した…
今のお気に入りの子も生涯の相棒と呼べるくらい大切にしていきたい。
Posted by ブクログ
長年愛されてきたぬいぐるみのポートレートと、彼らにまつわるエピソードを収めた写真集。原題は『Much Loved』。
U2ボノが持ち主であるテディベアや、ミスター・ビーンのテディベアも収録されている。いちばん印象に残ったのは『ミスター・テッド/ジョニーのクマ』。ダウン症で生まれたジョニーの元にやってきて、彼が6歳になる数ヶ月前までを共に過ごし、その後も妹たちと遊んだ。自信に満ちた優しい表情に見えた。
写真・文:マーク・ニクソン、訳:金井真弓
著者による前書きの部分の、「ぬいぐるみを募集した際にほとんどが子どもであることを想定していたが、大人にも大いに受け、多くの大人もぬいぐるみを大事にしていることがわかった。ようやく自分にとってのぬいぐるみの意味を話す機会ができたといった感じだった」(要約)という部分と、「移行対象」という言葉(「ライナスの毛布」もこれ)が印象に残っている。
誰かをとっ捕まえて聞かせるほどではないけど、聞くというなら話したい事柄……
自分のこととしては、ぞうさんのぬいぐるみとドラえもんのぬいぐるみが記憶にある。ずいぶんと大事にしていたと思うけど、小学1年生に上がっていつの間にか手放してしまったと思う。
息子は、この写真集に登場してもいいぐらい、ずっとファミリアのファミちゃんのぬいぐるみを大事にしている。
Posted by ブクログ
愛されすぎたぬいぐるみたちの写真とエピソードをまとめた本です。
欠損の美、滅びの美に近い何かを感じました。ボロボロになるくらい持ち主に愛されたぬいぐるみたちは幸せなのかもしれません。
Posted by ブクログ
愛されすぎてボロボロになったぬいぐるみたちの写真集。
ぬいぐるみの写真とともに書かれているぬいぐるみの名前や年齢、持ち主から語られるエピソードも読み応えがある。
載っているぬいぐるみの写真は、愛され「すぎ」たと言われるだけあって、正直かなりひどい見た目のものも多い。
ふわふわだったはずの毛は擦り切れて下地の布だけになっていたり、カラフルだったはずの色は黒ずみ色あせていたり、目や腕は取れかけていたり取れていたり、糸や布で直された跡が丸見えだったり。
車で数十キロ引きずられたのか?と思うようなものや、ホラーゲームのクリーチャー―と見紛う見た目のものもある。
しかし、擦り切れたり黒ずんだ布は、主人に繰り返し撫でられ抱きしめられた証なのだ。
むき出しの糸や色が違う布は、主人に何度も治療された証だし、パーツが取れていても、どんなに見た目が汚くて怖くても、それでも手放されなかった彼らの姿はどこか誇らしげに見える。
Posted by ブクログ
こんなになるまで愛されるなんてぬいぐるみも本望でしょうとはとても言えないくらいぼろぼろのぬいぐるみの写真集。びっくりした。子どものぬいぐるみに対する「大好き」の気持ちはこういう形で残るのかと。ちょっとぞっとする。好きです。
Posted by ブクログ
ぬいぐるみと持ち主と出会った経緯や別れた経緯なども書かれています。
色あせ、つぎはぎ、ボロボロ。ぬいぐるみそれぞれに持ち主(元持ち主も含めて)と同様の人生(?)がありました。
Posted by ブクログ
愛されすぎたぬいぐるみたちの勇姿をみよ。
手も足も目もなくなり、原形がわからないほど、抱きしめられ、キスされ、なめられ、かじられ、投げられ、いくつもの打ち明け話を聴いてきたぬいぐるみたち。
大量生産品として生まれ、買われ、いつしか、誰かのたったひとりだけの存在になれた彼ら彼女らは、とても誇らしげな顔をしている。
子どもがぬいぐるみに夢中になる理由は、愛する母親以外に「自分のもの」となる存在をつくる第一歩とするため。(“移行対象”と言うらしい)
どんなに乱暴に扱おうとも、受け入れてくれるぬいぐるみに、安心感を得ながら、他者への適度な愛着を自分なりに調整していくのかもしれない。
ぬいぐるみの写真についたコメントは主に持ち主さんが書いている場合が多いので、臨場感がある。
わたしのぬいぐるみは今三体かな。
フリマで買って元の持ち主に「大事にしてください」と云われたエリマキトカゲ。
あみぐるみキットを買って手こずっていたら、母がひょひょいと編み上げたくま。
愛猫が亡くなって数年後、どうしても猫のようなものが撫でたくなって、ネットでポチしてしまったねこ。(の、ぬいぐるみ)
どれも棚に飾ってあるだけだけど、たまに視線を感じる…ような気がする。
Posted by ブクログ
思い入れのある大切な友だち。
うちの子どもは、ぬいぐるみよりプープー音の出るバスタオルだった。小学校卒業のとき、あまりにボロボロにちぎれていて処分したが、残しておけばよかったと少し後悔。