あらすじ
権力の正統性はいかに歪められたか?
日本が占領から独立を回復して70年が経った。時の政権は“保守本流”宏池会出身者である。宏池会の領袖だった宮澤喜一は「占領というのは非常に屈辱だ」と述懐した。公職追放という最高権力が振るわれる傍で、数多の日本人が理不尽な目に遭っていた。私たちはこうした事実を忘れたままでよいのだろうか? 本書は、著者が収集した史料や証言をもとに、広島カープ創設者悲話、フリーメイソンと宮内庁の攻防、三木武夫とGHQの蜜月、田中角栄伝説誕生の舞台裏を描くことで、GHQによる公職追放の恣意性を浮かび上がらせる。また、当時の混乱がこんにちの「保守本流」のあり方までをも規定したことを示す、実力派による刺激的な現代史である。
【目次(仮)】
序 「あのお話はなかったことにして下さい」
第一章 広島カープの「生みの親」谷川昇の軌跡
第二章 「バルカン政治家」三木武夫の誕生
第三章 フリーメイソンと日本の有力者たち
第四章 「田中角栄伝説」と戸川猪佐武『小説吉田学校』
おわりに 「道義のない民主々義はありません」
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Posted by ブクログ
著者は日本政治史、とくに自民党史の研究者。昭和天皇とフリーメーソンとの関わりが気になったので購入したが、占領期の日本政治のリアルな一面を感じとることができる内容。一言で言えば政治家たちは、「GHQの意向」という表象に翻弄され、そうであるがゆえに、GHQと太いパイプを有する(と称する)存在が力を持った。現在の日本政治の構図は、その延長線上で作られてきたわけだ。白洲次郎がGSに足しげく出入りして、「ミルク(情報)マンです」と言いながらウロチョロしていたというエピソードは、まさにそのような関係性を象徴している。
やや話題としては「占領秘話」的な内容が多かったが、それでも、国民協同党時代の山本実彦の公職追放と三木武夫との関係や、戸川猪佐武『小説 吉田学校』における田中角栄表象の上書きと操作の記述は勉強になった。巻末の参考文献にも、参照してみたいものがいくつもあった。
Posted by ブクログ
占領下とは特殊な状況であり、また現代史の時代であるから、語られないこと、都合良く語られること、あるいは語りたくないことなど、様々である。本書は、そんな占領時代のいくつかの出来事にスポットを当てて、その実相に迫ろうとした試みである。
第1章で取り上げられるのは、谷川昇。彼は東京市職員として勤務し、1944年退官、民間会社に勤務していたが、おそらくその米国在住の経歴を買われたのであろう、1945年10月山梨県知事、46年1月内務省警務局長として公職追放事務に従事、47年2月退官、4月の衆議院選挙に当選という異例の経歴を辿った。そして47年7月、今度は谷川自身が公職追放に。それはなぜだったのか。
GSのケーディスと鳥尾元子爵夫人との交際などケーディスの私行調査をする警察、そしてその背後にはおそらくG2。こうしたGHQ内部における”代理戦争”に巻き込まれた結果、谷川は公職追放の憂き目に遭ったと著者は推理する。
総理目前だった鳩山一郎を追放し、戦後日本政治の進む道を変えることとなった公職追放。その一つの具体例として興味深いトピックだった(おそらく谷川の経歴から言っても、谷川がケーディスの調査に関わっていた可能性は薄いと著者は言う。おそらくその通りだと思う。そうした意味でも、本人にとっては酷い話だ。)。
第2章の登場人物は三木武夫。今では三木武夫と言ってもピンと来ない人が多いように思われるが、田中角栄が金脈問題で退陣後、「クリーン三木」ということで総理になったこと、また党内の熾烈な三木おろしに相当に抵抗したことなどが印象に残っている。本章は、あまり語られることのない三木の実像に迫ろうとするもの。
特に1948年秋の、中道連立政権(首相は芦田均)から第二次吉田茂政権へと交代する際に起きた「山崎猛首班事件」が取り上げられる。芦田内閣が昭電疑獄事件等で総辞職するに当たって、次期首班としては当時野党であった吉田が有力であったが、吉田を好ましく思わないGSの示唆等もあり、連立与党側からは民主自由党幹事長だった山崎首班構想が持ち上がった。そのすったもんだの中において、実はマッカーサーから三木に首班の打診があったというもの。三木は連立与党だった国民協同党の委員長。ここにも、占領下のGHQの「意向」というものに日本の政治が振り回された様子が窺える。この章が一番面白かった。
第3章は、占領下におけるフリーメーソンの活動について。昭和天皇がフリーメーソンに関心を持ったという都市伝説的な話があるが、それは本当だったのか、会員であった人物の日記等の新史料を基に、明らかにしようとするもの。
第4章で取り上げられるのは、戸川猪佐武『小説吉田学校』。学生時代に角川文庫で一応全部読んだと思うが、吉田茂と鳩山一郎の対立、党人派と官僚派の対立、池田と佐藤の争い、熾烈な派閥間の争いとその領袖たち、総理を目指しながらも夢破れた大野伴睦や河野一郎などなど、印象的なエピソードが次々と出てきて、面白く読んだ記憶がある。”小説”と銘打ってあるので、どのくらい事実だと思って読んだかは定かでないが、エピソードは印象に残るものだ。
著者は特に田中角栄伝説の最たるものとして上げるのが、山崎首班事件の際に、引退を覚悟した吉田総裁を前に、田中が吉田首班を主張しGHQを批判したことで、吉田が自信を取り戻し、また総務会の空気も一変したというもの。それにより吉田が田中の存在を認知し、田中は吉田学校の一員として活躍する契機となったされる。
結論として言えば、こうした総務会で田中が発言した事実はなかったと著者は明らかにする。これは『小説吉田学校』の著者戸川のイメージ操作であり、田中へのサービスであったとする。田中角栄が吉田学校の一員であり、「保守本流」に属するものであるというイメージ作りに貢献したという(田中がそのイメージを作りたかったのは、そのライバルである福田赳夫を想定して)。
学問的にどうかということは別にして、占領下における政治の動向のかなりミクロな部分まで知ることができて好奇心を満足することができた。
著者が最後に言うように、鳩山の追放がなければ吉田の出番もなく、そうすると吉田学校の政治家たちも、そもそも政治家になったのか、なったとしてもその出番も随分違ったものになったであろう、正に戦後政治は違う道を進んだ可能性が高い、そうしたことをとつおいつ考えると、感慨深いものがある。