あらすじ
「運命よ 私はお前と踊るのだ。」
理性と感情、男と女、東洋と西洋、二人の父、偶然と必然……幾多の対立に引き裂かれ、安定を許されなかった生のただなかで、日本哲学の巨星は何を探究しつづけたのか。その生い立ちから、留学、主著『「いき」の構造』『偶然性の問題』、最晩年の『文芸論』まで、その思索の全過程を、第一回中村元賞受賞の著者が明解かつ艶やかな筆致で辿る。九鬼哲学への決定版・入門書。
[目次]
はじめに
第一章 出会いと別れ
第二章 「いき」の現象学
第三章 永遠を求めて
第四章 偶然性の哲学
第五章 偶然から自然へ
第六章 形而上学としての詩学
あとがき
学術文庫版へのあとがき
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Posted by ブクログ
本書は九鬼周造の主著を紐解きながら九鬼周造その人の思想の核心に触れる評伝である。若松英輔氏の『岡倉天心『茶の本』を読む』で本書が引かれていて、それ以来気になっていたのであるが、やっと講談社学術文庫で手に入るようになった。『「いき」の構造』で知られる九鬼周造の哲学は明晰な叙述で展開されるが、どことなく近寄りがたいところが否めない。しかし本書を通して九鬼周造その人の生涯の中で主著である『「いき」の構造』と『偶然性の問題』とがどのように記されたのかが生き生きと描かれ、生涯を貫くその哲学の核心が明かされるのである。
まず印象的であったのは『「いき」の構造』そのものが西洋哲学の精緻な理解を土台として作り上げられた構造物として理解されていることである。ハイデガーの『存在と時間』の不安概念と突き合わせることで第一の主著の積極的な意味が浮かび上がるのである。何の解説もなしにいきなり『「いき」の構造』に取り組もうとする読者は偏頗な男性中心の考えを読み取ってしまうかもしれないが、本書の明快な補助線を通して、それ自体明晰な叙述とも指摘される『「いき」の構造』の意図が明らかにされるのである。意気地をめぐる意気の現象学には目を見張るものがあり、性差についてより省察を求められる今の私たちに問いかけるものがある。
『「いき」の構造』で取り上げられた主題が文脈を変えて「日本的性格」で取り上げられる際に、前者で強調されていた意気の「張り」が姿を消し、後者において「諦念」が自然との結びつきで説かれていることに、自らの思想の高揚感と落胆とをその生涯に重ね合わせて読み解くこともできよう。だがそこに見られる思想的落胆がただの失望ではなく運命をめぐる洞察を経た九鬼の生涯の深まりと呼応することにも気づかされるのである。思想的営為そのものが如何に緊張をはらんだ繊細な統合の道行きであるかを思わされるのである。
『「いき」の構造』に端を発し、『偶然性の問題』で深まりを見せ、最後の著作『文芸論』の自然へと考察を深めていく筆致は圧巻である。高揚感から落胆へと移ったかに見える九鬼の思考は、自然をめぐって深まりを見せていく。その様子を著者はゲーテの色彩論を傍証に詩歌論の読解を通して明らかにしている。永遠の今の現出を五七の音の連なりのソネットの内に見出させ、その詩歌の形に時を刻む形式を明らかにするのである。その復興を企図する九鬼の最後の著作は今を生きる私たちの生を豊かにし得る問いかけを含んでいると思う。
著者のあとがきに述べられているように、自らの人生の危機を乗り越えてきた九鬼の思索は、様々な危機を目の当たりにする私たちにとってもまた生を豊かにし得る力を秘めている。本書は九鬼の生涯を通して、私たちにとっての生を問いかける言葉に出会うことのできる一冊である。
Posted by ブクログ
九鬼周造は明治から昭和を生きた哲学者。
その生い立ちも興味深い。
九鬼周造が、松岡正剛著の『日本文化の核心 「ジャパン・スタイル」を読み解く (講談社現代新書) 』を読んでる中で登場し気になり購入。
(彼を知らないことへの焦りのような感覚)
ただでさえ、哲学の基礎知識がない中、「九鬼周造」の本は大変難解に感じた。
西洋文化と日本文化の違いについては、自分の関心が高いところだし、彼のように内外で哲学を学んだというバックグラウンドからも、彼が日本文化・精神を何をどのように捉えているのか興味が湧いてくる。
九鬼も後年は仏教に傾倒していったらしい。
昨今、欧米からも注目されている仏教の考え方を知識としても習得する必要があると感じる今日この頃。
仏教の概念である「輪廻」「無常」、これは人生は周っているという概念。一方、一神教がベースにある欧米社会では、出発点が決まっているので(キリスト誕生等)、時間が進む概念が強いとする。その概念が技術の発展を支えている、得意とする、という事実にもつながる。
ただ、出発点が明確で進化が前提の社会であると、何らかの歪みが生じる。行き過ぎた資本主義、環境破壊等は、そのような中で捉えることができる。そして、そのアンチテーゼとして仏教の考え方が受け容れているのかもしれない。
そんな問題意識がある中で本著を読み、九鬼も同じよう概念を示しているように感じている。