あらすじ
■ファン待望「チョプラ博士の実践書」が誕生!
故マイケル・ジャクソン、ミランダ・カー、クリントン元米大統領など
名だたるセレブたちに支持される、世界的メンターの最高傑作
『宇宙のパワーと自由にアクセスする方法』ファン待望の【実践編】が登場しました!
■本書【実践編】では
アメリカを中心に開催されている
チョプラセンター主催のプログラムの中で
講義の合間に教えてもらえる一般的な瞑想方法や、
瞑想の前後に行うと良いチョプラ博士お薦めのワークが
随所に散りばめられています。
深くて効果の高いワークが、
原著ではさらっと簡潔に語られているだけとなってしまっています。
そこで本書では、
新たに追加した各章の終わりの「解説」にて――
・瞑想の方法
・マントラの唱え方
・朝晩のワーク
・呼吸法
・食事法
・サウンドヒーリング
・アロマテラピー
――など、読者の皆さまがしっかりと実践できるように、
詳細なインストラクションと補足説明を加えています。
理論編にあたる前編
『宇宙のパワーと自由にアクセスする方法』を
まだお読みになっていないあなたは
〈パート1 「実践編」を読み進める前に〉で
内容のおさらいをしていますのでご安心ください。
※本書は、2007年4月に大和出版より刊行された
『あなたが「宇宙のパワー」を手に入れる瞬間』を改題、大幅に再編集したうえ、
新しく解説をつけ、加筆修正をしたものです。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
私たちは幸せになるために生きている。仕事での成功を求めるのも、お金が欲しいのも、人に好かれたいのも、突き詰めれば自分が幸せになりたいからだ。
それなら仕事での成功やお金を求めるのではなく、直接的に「幸せ」を求めればいいのではないか?しかしこの時の「幸せ」とは実体のあるものではなく、自分の内にある「意識の状態」のことなのだ。真の幸せは自分の外にはない。
私たちは社会的制約の催眠状態によって、「自分」というものが物理的に知覚される肉体の中にあると信じ込んでいる。しかし肉体であるところの物質は、化合物であり、原子であり、素粒子である。視覚や触覚によって物質として認識されても、それはあくまで粒子であって物理学的にはほとんどが虚空である。人間が知覚できる世界の狭さ、あるいは知覚しきれないことのあまりの多さに驚嘆する。
量子物理学によれば、世界は1つの根底である場(「知性の場」)で構成されている。物質とは、知性の場の中で知性が凝縮されたもの、あるいは知性の焦点が集まったものであるという。
長年、ただの化合物である肉体が意識を持っていることに対して疑問を持ち続けていた。化合物で出来た肉体という箱に意識が宿っているというイメージだったからだ。上記の考え方に則れば、知性の場の表現として肉体があるのだ。意識の場が考えや感覚、感情を表現し、そして体の分子となる。これが創造のプロセスでもある。
ある出来事は時間と空間の中で起こると私たちは感覚的に思っている。しかし私たちがそのように認識しているだけで、実際には世界は共時的であり、偶然に一致しているという。すべてのことは同時に起こり、すべてが互いに関連し、すべてのことと同時進行する。こう書かれていても、イメージすることは難しい。人間の認識の枠組みからは外れた説明だからだ。
時間とは考え・観念である。しかし時間は幻想であって、実体のある絶対的なものではない。(考え・観念も幻想である。)時間とは、意識がある1つの経験と別の経験との間を測るための方法である。2つの経験の間を計測するために意識が時間と空間という観念を作り出したのだ。そして時間空間が原因と結果の経験を作り出し、物質世界としての経験を作り出す。
一方、意識は無限で、際限がなく永遠で始まりも終わりもない。意識が時空間、因果、物質世界を作り出すのだとすれば、すべての世界は意識の想像上の形であり、意識の自作自演である。先に書いたように、肉体が意識の表現であるなら、死は消失を意味しない。それは単なる表現の変化に過ぎないのである。私が「自分」だと思っている人格も幻想に過ぎない。「私」は時空間に固定された不動の人格ではなく、純粋な意識が様々な表現をしている、終わりないプロセス全体であり起こる出来事すべてである。
自分で「これが自分だ」と思っているセルフイメージは幻想であり、内なる自己を見失わせ、知性の自然な流れを妨げてしまう。内なる自己=純粋な意識は考え・観念の源である。痛みや苦しみ、幸せ、時間も意識によって作られ認識された観念に過ぎない。私たちは考えや観念ではなく、それらの源である「存在」だということを理解しなければならない。
「存在」は願望を実現化する源でもある。そして願望とは、実現を求めている純粋な潜在力であり、内なる自己・純粋意識である。ここからあそこまで歩きたいとき、私の体が自然に実行してくれる。そこに考えや観念は差し挟まれない。本来的に備わっている知性の流れを妨げないためには、私たちはただ存在し願望に注意を向けるだけでいいのだ。「ここからあそこまで歩けるだろうか」と心配したり、努力しすぎることは不自然であって、願望が実現する流れを妨げてしまうものである。
「努力して、より苦しめば目的は達成しやすくなる」というのは古い信念だ。しかし自然はこのような仕組みになっているだろうか?ひとつの種が木になり果実を実らせるのに、努力している様子はあるだろうか?
知性は自然界のあらゆる詳細を管理しており、星や惑星を所定の位置に留めるほどの力がある。この知性の力に比べたら、私の意思の力など米粒以下のちっぽけなものだ。意思の力でどうにかするより、この偉大な力に委ねてしまうほうが良いに決まっている。
私たちは通常、「起きている状態」「夢を見ている状態」「眠っている状態」の3つの意識状態を経験する。ここから瞑想等によって第4の意識状態を経験する。そこは自分の魂を垣間見始める場で、物質世界の背後のより深い現実を感じ始める。これは通常の「起きている状態」からさらに目覚めなければならない。
第4の意識状態を定期的に経験することによって、第5の意識状態「宇宙意識」に導かれる。この意識の中では、人生のなかで人間関係が最も重要であることに気付くと同時に、私たちは体でも心でもなく演じている役割でもないことにも気付く。「観察者」としての完全な目覚めである。
第6の意識状態「神性意識」では、「観察されている対象」としても完全に目覚める。宇宙全体がすべてのものの中に存在していることを認識するのである。
さらに完全に目覚めるとき、第7の意識状態「統一意識」へと目覚める。様々な意識が1つになり、私たちは1つのスピリット=意識であって宇宙全体はその1つのスピリットが表現されたものなのだ。
世界は私たちの内側に存在しているのであって、私たちが世界の内側に存在しているのではない。宇宙が考えるから私は考える。宇宙には「私」や「私は存在している」という感覚があるということだ。そしてそれは私が持っている「私」や「私は存在している」という感覚とつながっている。
この意識レベルまで目覚めることができれば、自分には創造できないものなど何もないことに気付くことができる。
Posted by ブクログ
外的な要因に依存する条件付きの幸せは真の喜びをもたらさない。真の喜びは内的な意識の状態であり、この内的意識状態が自分を取り巻く世界をどのように認識して経験するかを決定している。
世界最古の哲学の一つ、ヴェーダンタでは、条件付きの幸せは形を変えた不幸だと言っている。なぜならこの時あなたの幸せは一つ一つの状況や出くわす見知らぬ人に左右されてしまうから。
幸せとはすべての目標の目標であり、幸せとはあなたの中にすでに存在している意識の状態である。
あなたの人生が内なる幸せの表現そのものである時、宇宙の創造のパワーとつながっているという感覚を味わう。そのつながりを持つことによって、あなたはどんな願いでも叶えられると感じる。
自分はどこから何のためにやってきて、死んだらどこに行くのかという質問の答えは、自分の内側の深いところにあり、それは探求するというよりも、自分がすでに知っている事を思い出すというプロセスである。
ヴェーダンタによると、人間が苦しむ理由は5つ。
1. 私たちは自分が誰かを知らないこと
2. 自分たちをエゴまたはセルフイメージで認知していること(対象依存)
3. 一過性のものや実在しないものにしがみついていること
4. 一過性のものや実在しないものを恐れてたじろいでいること
5. 死に対する恐れ
あなたが自分のものだと思っているその体は、実際には宇宙を創っている原料。リサイクルされた土であり、水であり、空気。それは窓の外にある木でも同じ。では、木や星や月を自分のものだと呼ばないのに、なぜ体はあなたのものと言えるのか?あなたが自分だと思っている存在が物理的にどこに位置しているのか、本当に理解できているのか?
人間は五感を通して宇宙のエネルギースープを取り入れ、自分たちの意識の中で物質的な現実に変換している。つまり、エネルギースープの解釈が、私たちの現実を構成し、知覚的な経験を作り上げている。私たちはこれをほとんど無意識に社会的制約の範囲で行っているが、これを「社会的制約の催眠状態」と呼ぶ。もし、エネルギーまたは情報を私たちの感覚で知覚する事ができなければそれらは存在しないものだと考え、知性は言語的に構造化された論理とともにこの誤った現実認識を正当化する事に加担している。
あなたは自分の感覚を信頼することに対して社会的制約をかけ、物質主義の迷信を信じてしまう為、自分自身が誰かを忘れてしまう。
自分自身を観察している無限の意識が、「観察者(魂)」、「観察するというプロセス(心)」、「観察されているもの(体と世界)」という概念を作り出し、この関係が空間となる。そして、これらの関係を作り出す動きが「出来事」を作り出し、時間となる。しかし、作り出されたすべてのものは「無限の意識」そのものに他ならない。つまり、あなたは自分の経験の対象や体や考えや感覚だけではない。あなたはそれらすべてのものであり、すべての体であり、すべての考えや感覚である。あなたはすべての可能性の場、つまり純粋意識そのものである。
知性は私たちを架空のイメージの檻の中、息がつまるような空間と時間の因果関係のからくりの中に閉じ込める。その結果私たちは、現実の真の性質 (パワフルで境界がなく、不滅で自由であること)との接触を失ってしまう。
知性は現実の投影を現実そのものと取り違え、投影は真のあなたの影を薄くしてしまう。
あなたがあなたを真の本質として自己認識する時、知性の檻から脱出し、無限の世界に入り込む。
あなたは宇宙全体を創造している知性の場から分離することができない。これを知ることによって、自分が分離された体の中で生きている分離された自己であるという幻覚から自由になれる。
体は1年未満で体内の96%の原子を入れ替える。5日毎に新しい胃腸内壁を作り、1ヶ月毎に新しい皮膚を作り、6週間毎に新しい肝臓やDNA を作り、3ヶ月毎に新しい骨格をつくる。あなたの今日の体は3ヶ月前の体と同じではない。
脳細胞の表面には、化学物質伝達子の為の受容体がある。ある脳細胞が他の脳細胞に話しかけたい時、神経ペプチドを生成し、それが他の脳細胞の受容体にくっつく。つまり、「考える」という事は脳の化学物質を実行させるという事。この時の会話は私たちが使う言語ではなく、内なる空間から来る化学物質伝達子の言語。
この化学物質受容体は脳のみならず、胃腸細胞、心臓細胞、肝臓細胞など身体中にあり、考える時に脳が作り出す化学物質と同じものを生成している。つまり、私たちは体全身で考えている。
つまり、「心が悲しみでいっぱいです」や「喜びではちきれそうです」という言葉は真実を語っている。
一旦自分の心と体は純粋意識の場である事を知ると、一過性のものや実在しないものにしがみつかなくなり、恐れてひるんだりしなくなる。あなたは風の中の木の葉や風そのもののように自由に感じる。純粋で際限のない意識が持つ自由よりさらに価値のあるものは存在しない。この自由が悟りの状態である。
自分の心と体は純粋な意識そのものだと気がつくとき、あなたはパワーと自由と恩寵をすでに手にしていることを知る。したがって、幸福とは自分自身の本当の性質、つまりパワーと自由と恩寵そのものであることを知る事である。
ヴェーダンタの言葉
「すべての事はすでに知られている、という事を知ることによってすべてを知りなさい。」
体には100兆個の細胞があり、これは銀河系のすべての星より多い数。一つ一つの細胞が毎秒数え切れない事を実行しながら、他の細胞達が何をしているのかを即時に知り、自分自身の活動も他の細胞すべてと相互に関連しあう。
生物のリズムは宇宙全体と関係している地球のリズムの表現であり、以下のリズム(1日のリズム、潮の干満のリズム、1ヶ月のリズム、年間または季節のリズム)は私たちの体内のすべてのリズムの基礎となっている。
私たちが元気がない時、体は宇宙のリズムと同調していない。この時は海の近くや自然中で過ごす事は私たちの体内リズムを自然のリズムと同調させる助けとなる。月の28日周期も自然のリズム。
様々なリズムの中には、短くて30分、長くて28時間続くウルトラディアンリズムと呼ばれるものがある。すべてのリズムは宇宙の交響曲を作り出し、心と体は常にそのリズムを宇宙のリズムに同調させようとする。
土日休日の文化圏では、月曜日の朝9時に比較的多くの人が死亡する。彼らは絶え間なく、「時間がない」という観念を持ち、その「時間がなくなる」という内部の経験を身体的な経験に置き換えてしまうのだ。逆に、時間の概念を持たない人は歳をとらない。
「人々が歳をとって死ぬ唯一の理由は、他の人が歳をとって死んでいくのを見るからだ」
人間は1日に平均6万の考えを持つが、その95%は昨日考えた事と同じである。私たちは無意識に同じエネルギーパターンを作り出し、体に同様の身体的表現を引き起こしている。
私たちの感覚は、存在している刺激の10億分の1以下しか知覚せず、身にしみついた社会的制約は私たちが不可能だと考えることを強化し、私たちが可能なことを削除していく。だが、この一瞬一瞬の解釈はもともと自分で作ったものなので、いつでも自分で変更する事が可能なのである。つまり、私たちには選択する力がある。
あなたは自分の感覚を通して得た経験を解釈する事で、自分の現実の創造に参加している。世界はあなた自身の解釈でできた建築物。
人間の体は考えた事が現れる場で、あなたが経験している体はあなたが体に対して持っている考え全てを表現したもの。
あなたの心と体のリズムは自然のリズムと同調していて、すべてがたやすく、宇宙は喜びに満ち、恍惚としてあなたを通して流れている。
「私は誰?」という問いに対する答えは、「私は純粋意識で純粋潜在力で、すべての可能性の場である」
私たちの知覚力は「オン」だけを認識し、「オフ」を認識しない。
新しい何かを創造するという事は、その何かの為に死ななければならない。一つ一つの死は創造の量子的飛躍(クオンタムリープ)の為の機会。死を通して私たちは自分自身を各レベルで再創造する。毎回の死と共に、私たちは時間が始まった時から蓄積してきた経験による知恵を保存し、創造性の量子的飛躍をするので、私たちは再び自分自身を初めてのように見ることができる。人格は死後も生き残るのかといえば、人格とは生きている間でさえ刻一刻と変化するもの。芋虫はさなぎになる為に死ぬ。つまり、実際には何も死んだわけではなく、ただ変化しただけ。
生物学にはアポートシス(計画細胞死)という学術用語があり、このアポートシスが欠如すると細胞は死ぬことを忘れてしまう。この状態がガンと呼ばれている。
あなたが死ぬ時、あなたはどこに行かない。あなたの魂が単に異なる周波数で振動するようになるだけ。
すべてが変化しているが、何も死ぬことはない。生きている時にそうであるように、死を超えてもあなたは変化し続ける。
あなたが自分自身を永遠のスピリット、変わることのない意識の本質そのものとして認知する時、あなたは死に対する恐怖を含むすべての苦痛を超える。
あなたが誰の上でも下でもなく感じる時、他人をコントロールする必要性を捨てる時、他人に彼らが彼ら自身でいられる為のスペースを作ってあげ、自分にも自分自身でいられるようにしてあげれば、制約の牢獄から脱出する事ができる。
あなたが恐れや不安の代わりに幸せで気楽に感じる時、自分が自由だとわかるでしょう。
あなたが他人からの良い意見にも悪い意見にも惑わされない時、承認を求める必要性を手放した時、自分が今のままで十分だと信じられた時、自由だということがわかるでしょう。
ある瞬間にあるがままの状態に委ねて宇宙が味方してくれていると信じられる時、あなたが怒りや不平不満を手放して許すことを選択した時、自分が自由だとわかるでしょう。
生来、対象物は変化するもの。私たちが対象で自分自身を認知している限り、私たちは自分の真の本質を知る事はないでしょう。なぜなら人や物や情勢や状況に関して唯一変わらない要素が、「変化する」という事だから。自分のアイデンティティをこれらの変化しているものに結び付けず、自己完結的でいること。
あなたが海だったとしたら、自分自身を波とみなしたり、たった一滴の水と同一視しますか?あなたは常に変化する海の一つ一つの「行動」ではありません。あなた海の「水という性質」そのものです。そして、この性質は変わる事がありません。
「正しい行いと間違った行いという考えを超えると、そこにはフィールドがあります。そこでお会いしましょう。」〜ルーミー
すべての事に真逆のものが存在する。苦痛があるから快楽があり、悲しみがあるから喜びがあり、冷たさがあるから熱さがあり、貧困があるから富裕があり、恐れがあるから勇気がある。どちらか一つだけでは意味がなく、両方を知らなければそれらを経験する事もできない。
あなたが自分の強みと弱みの両方を心地よく感じる時、あなたからシンプルで気取らない人間性が溢れ出す。これが人に好かれる本質。
宇宙意識の中では、希望は絶望の兆候にすぎない。あなたが「私には希望がある」と言う時、あなたは絶望する事をほのめかしている。あなたは希望と絶望を越えていかねばならず、それは、あなたが本当に何者であるのかを思い出す事によってのみ可能。これには知識と経験の両方が必要。あなたが自分は何者であるかをという真実を経験した時、存在するどんなものでも克服する事ができる。いったんあなたの心が際限のない純粋意識の中に浸透すれば、この両極端なもの同士の遊びごと(希望と絶望に振り回される事)に腹をたてる事はなくなる。
永続的な幸せへの鍵は自分自身を内なる自己の不変の本質、源として認識する事。そうするとあなたは幸せをすでに手にしている事を知るので、幸せを探し求める事をやめる。
ポジティブな心よりもっと重要なものが静かな心。静かな心は判断せず、分析せず、解釈しない心。私たちは、人生が提供するすべての矛盾を受け入れるとき、快楽の岸と苦痛の岸の間をどちらにとどまるでもなく両方を経験しながら心地よく流れて行ける時、あなたは自由に達する。
受精卵が赤ん坊に成長するのに必要な全てを実現する為にあなたは何もしなかったが、それでもすべては実現された。私たちができる最高の事は、宇宙の知性の流れを妨げないこと。それは、あなたが自分のセルフイメージで自己を認識したり、あなたの魂とつながっている感覚を失わないこと。例えば、人は心配し始める時、トラブルを予期し始める、全てをコントロールしようとする時、恐れている時、孤独を感じている時、これらすべての事は自然な知性の流れを妨げ、その心配の種は実現する。
創造全体の仕組みは極めて簡単。ある事に自分の注意がどのようなクオリティで向けられているかどうか。つまり、あることを経験したければそれに注意を向け、経験したくなければそこから注意をそらすこと。あなたが注意を向けるどんなことでもあなたの人生の中で大きく育つ。
努力をせず、自然でいること。渡り鳥はシベリアから南アフリカに移住するのに努力はしない。自然は最高に効率よく機能しており、この自然の原理は、より少ない行動でより多くを達成する。やるべきことは、すべての創造力の源である沈黙の場に行き、まず願望を持ち、そして手放し、やってくる結果を観察する事。
そして、物事が私たちの望み通りに進んでいないように見える時、それは自分が考えているよりもっと大きな絵(全体像や宇宙の計画)がある事を察知し、物事がこうでなければならないという考えを手放す事。全体的に見ればより大きい絵の方が私たちにとって良いこと。私たちは、自分の人生には目的があり、宇宙全体の目的に適合している事を理解している。宇宙が自分のサポートに回ってくれている事を知る事によって、私たちは執着せずに、ただ受け入れられるようになる。
あなたの意識の中に目標を定め、注意を向け、疑わず、努力せずにいれば願望は実現する。願望は土の中に埋められた種のようなもの。それはちょうどよい季節を待って自然に美しい花々を咲かせ、堂々とした木々へと成長する。
私は自分の中の会話やストーリーが、自分の生理機能や自分の世界を変える引き金となる事を知っている。
七つの意識階層
第一の意識、、、眠っている状態
第二の意識、、、夢を見ている状態
第三の意識、、、起きている状態
第四の意識、、、自分の魂を垣間見る状態
静寂、静止、瞑想の中で時間を過ごし、第三の意識状態から目覚めた状態。直感的になり、表面的に見えている物事の後ろにもっと何かがあると感じられるようになる。
第五の意識、、、宇宙意識
第四の意識を定期的に経験すると導かれる状態。
私たちの意識は、時空間に局在化された体という形をとっていながらも、同時に非局在的、または超越した状態でもある。これを自覚できている時、シンクロニシティは訪れ、隠れたヒントが増えていく。そして自分の意図の持つパワーを理解し始める。観察者としての完全な目覚め。
第六の意識、、、神性意識
すべてのものの中にスピリットの存在を見て感じる。例えば木の葉を見たとき、「これは木の葉だけれど、日光でもあり、地球でもあり、水でも空気でもあり、無限の虚空でもあり、宇宙全体が木の葉の役を演じている。」と感じる。観察されている対象の中でも完全に目覚めた状態。ここに至ると、奇跡を日常的に起こせるようになる。
第七の意識、、、統一意識
観察者と観察の対象が統一され、全ての意識が一つになる。まるで焚き火のように、一つの心から愛が放射され、個人的な自己が宇宙的な自己になり、自分の存在の中に宇宙全体を見るようになる。「私はこの世界にいるのではなく、世界が私の中にある。私は体の中にいるのではなく、体が私の中にある。私は心の中にいるのではなく、心が私の中にある。私が曲線を描いて振り返り、創造する時、体と心と世界が同時に私の中で起こる」
通常、私たちは自分自身の事をある場所に、ある町に、ある国に、ある世界に存在していると考えるが、これは本当は真逆で、世界が私たちの中に存在している。私たちが体と物質世界と呼んでいるものは、私たちの意識の中に投影さているもの。私たち抜きには世界は存在しない。
宇宙に存在する全てのものが生きた有機体であり、巨大な生きている「存在」である。地球の大気中で起こる稲光は私たちの脳のシナプス回路内の稲光と同じ。私たちが考えているように宇宙も考えている。そして宇宙があるから私たちは考える。この宇宙と私たちは切り離されない。これを理解できれば、あなたは自分が時空間に存在する個体としての体ではない事に気付く。あなたの存在は、この時空間を創り出している源であり、全ての創造物の源と共に、創造に携わっている。このことに気付くと、あなたは自分が創造できないものなど何一つない事に気付く。そしていつか、あなたの内側にあるように思える意識が、あなたの外側にあるように見える意識と統合して、あなたは宇宙全体を自分自身が実現したものとして理解する。
無限の意識は異なる周波数で私たちを通じて創造し、演じる。無限の意識は全ての可能性の場であり、宇宙が妨げられることなく私たちの中を流れていくとき、意識それ自体が空間、時間、物質、因果関係となって全ての現実を演じている事を目の当たりにする。そして、考えの場、感情の場、エゴの場、個性の場も超えよう。すると一つの場だけが残る。それが「私は誰なのか?」という究極の自問の答えであり、人として局在化されている「純粋意識の場」である。
「秋の葉、冬の雪、夏の風、春の花。もしあなたが完全に目覚めていれば、これがあなたの人生で最高の季節だ」禅
世界最古の哲学の一つ、ヴェーダンタはインド最古の古典であるヴェーダとウパニシャッドに基づいているが、これらの聖典は人間によって作成されたのではなく、神から授けられたと言われている。ヴェーダという言葉は「知恵」を意味し、文字が発明される何世紀も前から、師から弟子へと口承で伝えられた。それは一言一句違わない詩として3音節の形をとる。
Posted by ブクログ
最近宇宙についての書物に触れる事が多い。全然意図してないけれど。
とーっても大きな視点で物事を捉えたら、それは一個人の考えに留まらずどんどん広がっていく。
命は宇宙に。そして星なんだと、それこそ幼き頃に思った事に戻っている様な気もする。
Posted by ブクログ
有名な著者ですが、初読です。15年前ほどの出版ですが、科学的なベースは古くなっていませんし、それから論を進める手際も納得できます。意識の進化の説明の後半は、大ぶろしき過ぎる感が否めません。でも、東洋的な「自分」のとらえ方には惹かれます。受精卵から完成までの、精妙でバランスの取れた進み行きは、素晴らしい「知性」そのものです。であるならば、考えや行為の美しさも備わっているのではと思いたくなります。真実は、細部にやどるということ。
Posted by ブクログ
一読して、ある程度のレベル理解できなかったので、
一章の解説に紹介されていた「富と成功をもたらす7つの法則」の方を先に熟読。
そちらの書籍の方が詳細で方法論も示されており非常に解りやすい。著者の思想のポイントがつかめた。
その上でこちらの本を再読。ほぼ内容がかぶっているがそれ以外の点も有る。
違いと言えば、こちら側は、より存在の本質への理解のための本。と言える。
しかし、これだけでは物足りなく、
未読だが実践編の本の方も必須なのかもしれない。
以下個人的な各章のおおまかなメモ
-------------------------------
1章:真の自己を「思い出す」
2章:セルフイメージ 対象依存
物質主義という迷信
3章:心と体は純粋意識の場
4章:時間も考え、解釈(思考思念)、観念、幻想。世界は主観で出来ている。
無限の相関関係、空。
5章:人格と出来事は幻想
6章:エゴ、対象依存から抜け出し自己完結へ
静かな心
既に幸せ
両極の間での遊び。二極性を超える。
自己受容、ありのまま
人間関係はあなた自身の鏡。
影を容認、理解。受容。
7章:物事は自分の意識が作り出す
私達は純粋な存在
8章:意識のレベル
人とは局在化されている純粋意識の場
終