あらすじ
初の「平民」首相として、本格的政党内閣を率いた原敬。戊辰戦争で敗れた盛岡藩出身の原は苦学を重ね、新聞記者を経て外務省入省、次官まで栄進する。その後、伊藤博文の政友会に参加、政治家の道を歩む。大正政変、米騒動など民意高揚の中、閣僚を経て党の看板として藩閥と時に敵対、時に妥協し改革を主導。首相就任後、未来を見据えた改革途上で凶刃に倒れた。独裁的、権威的と評されるリアリスト原の軌跡とその真意を描く。
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原敬の評伝。新聞記者、外務官僚を経て政党政治家に。政党政治家のイメージが強かったが、まだ人事制度が流動的だった時代とはいえ1895年に39歳で外務次官になる程の能吏だったようである。
第一次西園寺内閣で内相として、元老山縣有朋に郡制廃止を挑むも敗北する。だが、山縣に勝負を挑んだことで、原は官僚ではなく政党人としてのイメージを獲得する転換点となった。
ライバル松田正久の死もあり、政友会を完全に掌握すると寺内正毅の後を受けて総理大臣に就任。外相、陸海相以外の閣僚は全て政友会から出す「初の本格的政党内閣」であった。原の総理大臣就任は地元盛岡の人にとっては戊辰戦争の賊軍の汚名を返上するものとしても歓迎された。原自身も南部藩敗北時には当時12歳で戊辰戦争の記憶がまだ世間には残っていたことが窺える。
1920年の総選挙では原率いる政友会は圧勝したが、圧勝したが故に世間は政府与党への目線が厳しいものとなり、原の政権運営を難しくした。暗殺直前は皇太子の摂政就任とワシントン会議に執念を燃やしていたようだが、残念ながら亡くなってしまった。
本書の著者の清水唯一朗が編著を務めた『政務調査会と日本の政党政治』との関連性も感じられた。原敬記念館が盛岡にあるようなので、いずれ行ってみたい。
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小説みたいで、原敬が死ぬ直前からの描写には涙が止まらなかった。
本を読む前は平民宰相という印象しかなかったけれど、とてもグローバルな人間で、日本を考えて、着々と総理になっていく様子は、彼は日本のトップになるべくしてなったんだ、と痛感した。
同時に、明治から大正にかけてのギラギラした時代が伝わってきて、あの情熱がある時代は失われた30年と言われる世代に生まれた私としては羨ましくなってしまった。
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初の本格的政党内閣、平民宰相、暗殺された総理大臣と、歴史的に有名で、日本の近代史では必ず登場する原敬。そのわりには、その個性が分かりにくい人なのではないでしょうか。本書では「原敬」について、生い立ちから、最後までを辿ることで、その魅力と業績を知ることができます。それによって、「本格的政党内閣」や「平民宰相」が当時の社会や世界に与えたインパクトの大きさを知ることができます。現代では見られない、将来を見据えた行動と、その結実としての総理大臣。国を考えての様々な行動が、昭和天皇含めて、戦後の日本にもつながる重要な影響を与えた人であることを教えられます。賛否の否もあった人であるゆえに、その人間的な苦しみから、為したいものへの執念が世の中を巻き込んで大きな影響を発したこと、今の私たちにも学ぶべきこと多数あると思います。
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初の本格的な政党内閣を実現した「平民宰相」原敬の評伝。原は、粘り強い現実主義者として、傑出した政治家だったと再認識した。また、年齢を重ねるにつけ、円熟していく様がよくわかった。現代の、特に野党の政治家にも参考になる点が多いと感じた。
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1856年(安政3)賊軍南部藩の家老格の次男として生まれ、明治9年20歳にして司法省法学校に入校するも12年退校処分に、同年11月郵便報知新聞社に入社、15年4月大阪の大東日報に入社したが同年10月退社、帰京後11月には外務省御用掛に。19年にはパリ公使館書記官としてパリ着任、22年帰国後農商務省勤務に、大臣の陸奥宗光に出会う。25年3月陸奥とともに辞職するも8月には外務省に復帰し通商局長、日清戦争後の28年には次官に。29年6月在朝鮮特命全権公使と、官界の階段を上りつめる。
公使を退き次の途は、30年9月大阪毎日新聞社に編集総理として入社、31年9月には社長に。33年11月同社退社、立憲政友会に正式入党。12月、市議会汚職事件のため辞職した星亨逓相に代わり、第四次伊藤内閣の逓相として発入閣したものの、翌34年5月内閣は総辞職。35年8月衆議院総選挙に郷里盛岡市選挙区から出馬し初当選。
その後、政友会における原の存在感は上昇していき、西園寺総裁の後を継いだ原は、大正7年ついに組閣の大命を受け首相に就任、平民宰相と呼ばれたことは有名な話。
著者も言及しているが、上記の経歴を見て分かるとおり、新聞人、官僚、経営者、政党人と様々なキャリアを経て首相となり、初の本格的政党内閣を樹立した原であっが。彼がこのようなキャリアの途を歩むことができたのも、まだまだ若々しく多岐の可能性を許容した初期明治国家の下であったからだろうと思われる。
原については最近とみに評価が高くなっているが、原の歩んだ軌跡とその考え方をバランスよく記述しており、信頼できる好著だと思います。