【感想・ネタバレ】物語論のレビュー

あらすじ

人間はなぜ物語を必要とするのか?
精神分析、政治、戦争、神話、歴史、そして昔話、小説、うた――。
物語は社会のいたるところにある。
平家物語などの「語り物」やアイヌのユカラとの対比、源氏物語の婚姻制度と母殺しの阿闍世コンプレックス……日本列島の物語を起源から、そして世界文学との比較から考える。
「もの」とはなにか。
「語り手」は誰なのか。
物語理論の金字塔となる、伝説の東大講義18講、待望の文庫化!

【目次】
I 物語理論の進入点
1講 ものがたり と ふること
2講 うたとは何か
3講 うたの詩学
4講 語り手を導きいれる

II 物語理論の基底と拡大
5講 神話から歴史へ
6講 神話的思考
7講 語り物を聴く
8講 口承文学とは何か
9講 昔話の性格
10講 アイヌ語という言語の物語

III 物語理論の水面と移動
11講 物語人称
12講 作者の隠れ方
13講 談話からの物語の発生
14講 物語時称
15講 テクスト作りと現代語訳

IV 物語理論の思想像
16講 『源氏物語』と婚姻規制
17講 物語と精神分析
18講 構造主義のかなたへ

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Posted by ブクログ

物語が「何」を示すのかそれ自体・物語の「読み方」ではなく、
物語というものを構築する言葉に関心のある人向け。
実践的な面では、四人称の理解や、古典を読む=本文を読み、「研究訳」を作る・注釈を付すための心得などを、わかりやすく学べる。

個人的に好感度が高かった箇所。158頁
「アイヌ語に文字はあるかと聞かれたら、どう答えるか。すこしまえまでなら、「ない」と答えるのがたしかに正解だった。また、アイヌ語は滅びゆく言語だという言い方をする人がいる。この言い方そのものが、成り立たない不可能な意見、つまり背理である。その言語を使わない人々だけがそのように言うことができるのであって、言語はそれを使う人にとって、肉体そのものを抹殺されたり、言語で考えることをやめさせられたりするのでないかぎり、亡びようがないのだから。」
ことばそのものに耽溺するのではなく、それを語る「ひと」への眼差しがある真摯な学問の姿を見ました。

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2023年01月02日

Posted by ブクログ

「ものがたりをするとは、人と人とが向き合っての座談や、複数の人物による談話のたぐいをもともと意味した。」p.22

「「かたり」という語に「もの」を冠して、話題のとりとめなさをそこにこめているのだ」p.23

「ふることは、文字どおり『古事記』などの歴史叙述であって、助動辞で見ると「き」を用い、過去のこととして出来事を語る。…ふることという語は、古い固定的な詞章をさしたり、古歌、古詩、あるいは決まった伝承をさしたり、というような語として後代にまでずっと生き続ける」p.31

「古代の叙述はけっして一枚岩的なものでなく、「ふること」という「かたり」の世界と、そうでないくだけた感じの「ものがたり」との、二方向からなる、と見ることができる。」p.32

「句読点は古くより、漢文訓読や物語読者の営為であったのが、印刷技術や作家たちの成立とともに、読者たちから書き手がその権利をうばって、句読点をみずから打つようになってしまう。私は読者の営為を取り戻すために、古文に句読点をほどこすテクスト作りをする」p.54

p.58 時枝の「詞」と「辞」

「七と言い、五と言い、すべては文化的、歴史的所産ではないのか。自然の成立ではなく、詩的な形態のために内在的にえらびとられる成立だなのだというに尽きる」p.63

「『源氏物語』などの物語文学にしても、その構造上、よほど神話性を希薄にしてゆき、『源氏物語』などは現世物語、世話物語と認定されるにもかかわらず、それでも光源氏という主人公の家の起源から語られるように、けっして神話性から無縁になりすましているわけではない。物語の舞台は現実に似た社会だとしても、そのそとがわには神話的世界が包むように広がっている」89

「…沖縄や奄美地方に、またアイヌ語文化において、こんにちにあっても、語りの演唱やうたの形態をとって、神話の実態だ、といわざるをえない口頭伝承が見出される。それは演唱であり、あるいはうたであって、神話をそういう装置で保存するならば、いつまでも生きられる。」101

「説経という見方から眺めると、貝祭文…が講談のようであろうと、あるいはわれわれの親しんできた浪花節にしても、江州音頭や河内音頭にしても、各地の盆踊りでの語りのたぐいにしても、淵源はそこにあると知られる。」128

「…九州各地の盲僧たちが差別ゆえに「平家」を語らせてもらえなかった代わりに、豊富な種類の叙事語りを現代にのこしてくれた」130

「昔話のあるものは…いまになお延々と続く口承文学であり、…物語文学…は、日本社会の場合、おもに文字を手にしてからあと、昔話にとって代わるべき、ごく新しいタイプの文化のうちに誕生した」140

「…昔話に出てくる人間や動物には肉体的な奥行きがない。…人体が平面で、人形のようであるなら、たしかに血の流れようがない。」147

「…動物語を人間語へ変えて語って見せるのが、語り手の役割だ。こうしてサケへは繰り返されなければならない。排除的一人称複数で小狼の神が語ることの理由を、そのあたりの事情に求められないか」164

・人称の累進
「…従来、語り手の語りが主人公の視線にかさなる、などと理解されてきた。かさなるのは、なるほど、主人公についての語り=三人称叙述と、人物そのひとの視線=一人称叙述とであることに気づく。」175
=物語人称(四人称)

「アンやアは、みぎに言ったように、日常言語では、引用の一人称に出てくるから、物語全体が長い"引用"だ、と見る見方は見方として成立する」179

「…もしアイヌ語のように包括的一人称複数か、あるいは引用の一人称か、一人称でない人称で表現するならば、それを四人称と認定しようと思う」181

「『源氏物語』のなかに、本来の読み聞かせする女房がおり、本文を作成したという筆記・編集者がいるほかに、作中世界に生き、それを語ってくれる語り手たちである古御達もいる。」190

「紫式部は読み聞かせる女房だった役割を越えて、物語作者になっていった。その、物語が作られて、享受者たち、観照者たちにまでとどけられる過程とシステムとを温存して、作中のそこそこに見せている。というより、そのような過程とシステムとを作中に虚構化することこそが創作の秘密であった」190

「コト(事)=コト(言)という未分化状態から、しだいに出来事と言語とが分離してきた、という考え方が日本古代での言語哲学だと私はこれまで論じてきた。…ロゴスがもし「物語」=説話であり、かつことばでもあるのだとしたら、まさにそれは…コトという語に相当するのではないか。」219

「世界が理解しあえる共有感情を拒否するなら、あとは無理解しかない。」268

272 ゼロ人称の定義
273 無人称、四人称の定義

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2024年07月01日

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