【感想・ネタバレ】神聖ローマ帝国-ドイツ王が支配した帝国-のレビュー

あらすじ

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A:あの八五〇年も続いた最強最大の神聖ローマ帝国とは?……
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[編集者から]高校の世界史の授業で必ず出てくる「神聖ローマ帝国」! だれでも一度は聞いたことのある名前です。場所はドイツ・・・。広がったり小さくなったり。ローマ教皇との深いつながり。しかも皇帝は、正式には教皇から戴冠されないと皇帝ではなかった!
著者の池谷先生は様々な媒体を使って、すっきりと語って下さいます!
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B:中部ヨーロッパとイタリア地域にまたがる「帝国」で,古代ローマ帝国と異なって,中央集権的な統治が困難だったのは,何故だったのだろう?
フランスやイギリスと比べて,ドイツでは中世に中央権力が弱体化していったのは何故だろうか?
中世後期以降の「領邦国家体制」と「近代におけるドイツ統一問題」とも密接に関わる神聖ローマ帝国(中世ドイツ帝国)の実体が本書で明らかに!

C:略目次
第1章 「神聖ローマ帝国」とは何か?
1 始めのQ&A/予備知識としての神聖ローマ帝国略史(中世末まで)
2 オットー朝のドイツ帝国の成立 → 始まりはカール大帝!
第2章 皇帝と教皇の協調と対立の構図
第3章 「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」
1 ローマでの皇帝戴冠と「イタリア政策」・・・
第4章 帝国内の「諸地域」と人々
第5章 近世・近代の「ドイツ帝国」
→ 神聖ローマ帝国の終焉
終わりに ヘーゲルとランケ
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「神聖ローマ帝国史略年表(カール大帝~帝国の終焉まで)」
「歴代のドイツ王・皇帝リスト(家門,血縁関係,生没年,国王戴冠年,皇帝戴冠年)」
写真・図版・関連地図を多数掲載

D:著者紹介
池谷文夫(いけやふみお)
1948年東京生まれ。1977年東京大学大学院博士課程単位取得退学。茨城大学教育学部教授を経て現在,茨城大学名誉教授。博士(文学)。専門はドイツ中世史・政治史・政治思想史。主著:『ドイツ中世後期の政治と政治思想』刀水書房 2000年,『ウルバヌス2世と十字軍』山川出版社(世界史リブレット)ほか。

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Posted by ブクログ

カール大帝のフランク王国は東西中に分裂。東フランク王国を収めるオットー1世は教皇より皇帝に戴冠される。以後ドイツ王がローマで教皇による皇帝戴冠を受ける慣行が成立。蛮族の侵入からキリスト教世界を守ることが使命とされる。
教会に不輸不入権を付与し諸侯の支配から解放し、教会領を王の支配下に置いた。帝国教会政策である。皇帝、諸侯、教皇の三つ巴である。
オットー朝のイタリア遠征は、中フランク王国の再興阻止のためであった。
カノッサの屈辱後、ヴォルムス協約により皇帝は司祭の叙任権を喪失。諸侯よる封建領土化が進む。
13世紀から14世紀にかけ教皇による戴冠なく皇帝を称するようになり、神聖ローマ帝国は事実上ドイツ帝国となる。皇帝による中央権力、帝国議会による諸侯権力が二重に構成する身分国家である。帝国の連邦的構成はカール四世の金印勅書により認められた。
フェーデ(戦闘を伴う自力救済)は帝国を不安にさせ、帝国議会はフェーデを禁じた。
マクシミリアンの時代帝国は司法権と執行権を喪失し実際的力を失っていった。30年戦争後のウエストファリア条約により帝国は事実上解体。ヨーロッパの脇役となる。
ナポレオンに対抗すべく諸州はライン同盟を結成し帝国から離脱。皇帝はナポレオンから脅され帝冠を放棄し、帝国国政は消滅した。

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2022年07月03日

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