あらすじ
目に見えないウイルスの感染者数が日々「可視化」されたコロナ禍の2年間の後に残ったのは、一人では安心感を得られず、周囲にも疑いの目を向けあう日本人の姿だった。SNSで自らプライバシーを発信し、政治信条や病気・障害までを社会の視線に公開しても、最後は安易なルッキズム(見た目偏重)ばかりが横行する「すべてが見えてしまう社会」を、どう生き抜くのか? 歴史学者から評論家に転じた著者が、臨床心理士の東畑開人氏、哲学者/作家の千葉雅也氏、文化人類学者の磯野真穂氏と白熱した議論を交わしつつ、人文学の方法論の壁を超えて「見えない信頼」を取り戻す方法を提言する! 【目次より】・情報を「見せる」ことで国民を操る権力 ・過剰可視化が失わせる「身体感覚」 ・キラキラしたダイバーシティの空疎さ ・若者の「ヤバい」「エモい」に隠された不安 ・現金支給という「数値化」が不公平感を招く ・病気で「タグ付け」することの是非 ・ファクトよりも先に「品位」を問うべき ・「ハレとケ」を区分できない、のっぺらぼうな日常。
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Posted by ブクログ
何でもかんでも「見える化」すること、あらゆる議論のプロセスを透明化すること…本当にそれが正しいのかと、前々から疑問を抱いていました。
全てを白日のもとに晒すことは弊害も多いと思うのです。
Posted by ブクログ
タイトルから安直に想像していた内容より2段も3段も深い掘り出し物。著者のことは知らなかったが,学者としての著作を読んでみようと思わされた。
文体が独特。分かりやすさを求めているとは本人の弁だが,アカデミックな文章と思って読むと違和感があるが,薄っぺらいビジネス書とも違う。語り口はちくまプリマーで,もっと内容が濃い,という感じか。個人的には全く新しい文体と感じた。
積ん読になっている東畑開人との対談も含まれており,読みたくなった。千葉雅也はイメージとして好きではないのだが,違う一面が見られたような気がする。
「リモートのほうが,たとえばカウンセラーが暴言やセクハラをしかけてきたら電源を切ればいいので,量的な意味での不安は本来「少ない」はずです。しかしそうして不安が生じる可能性をメカニックに消してしまうと,逆に人は安心感を得られない。密室で対面し,物理的にはハラスメントが起きうる環境でも「現におきていない」事実こそが,はじめて相互に質的な信頼をもたらす。」
「炎上がセックスに代わりつつある」(千葉雅也)
「ネットを使えば他人に対してすて自分の意図通りに,容易かつ過激に介入できてしまう。やはり相手の身体がないと,歯止めが利かないんですよ。同じ場所にリアルの人間がいたら,そう酷いことは言えないわけじゃないですか。それは人間の身体的プレゼンス(存在感)がもつある種の権威性のの為せる業で」(千葉雅也)
ハラリ批判もあるが,ちょっと的を外してるようにも思う。ハラリに批判な人って一定層いるんだけど,その論拠はちゃんと確認したことないのよね。個人的には,内面の欠如が引っかかるのだけれども,理論的にはどう批判されているのか。大ベストセラーに対するやっかみも大いにあるのだろうとは思う。