【感想・ネタバレ】日本語の技術 私の文章作法のレビュー

あらすじ

文章術は泥棒に学べ!?
ロングセラー『論文の書き方』の姉妹篇。
実践に役立つ文章修業の本道を説く、社会学者・ジャーナリストとしても活躍した著者による体験的文章指南。
日本語を知り、よい文章を書くための34の方法。

(以下、本文より)
その中の或る文字、或る言葉、或る文章を大変に好きだと思い、反対に、その中の或る文字、或る言葉、或る文章を非常に厭だと感じるような人、そういう人は、立派な文章が書ける素質のある人だろうと思います。
実際に、その人の文章と瓜二つのような文章を何篇も書いてみることです。これが文章修業の本道で、それ以外に道はありません。一にも真似、二にも真似、三にも真似です。



締切という時間的限定、枚数という空間的限定、この二つの限定が曖昧なのが研究室の特色で、それと反対に、この二つの限定が厳格なのがジャーナリズムの約束です。
文章を修業するのには、自分で締切と枚数とを厳重に定めて、これを自分に課するという方法をお勧めしたいように思うのです。

文章というのは一種の建築物だと考えています。大きな論文はビルディングのようなもの、小さな文章は交番のようなもので、文章が建築物であるならば、それを作るのには、どうしても、設計図がなければなりません。
正確な設計図を用意せずに、文章を書き始めたら、論旨不明の文章が出来上るのは全く当然のことです。

...続きを読む
\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

Posted by ブクログ

日本語の技術
私の文章作法
中公文庫 し23-3
著:清水 幾太郎
出版社:中央公論新社

筆者は、戦前から、戦後にかけてのジャーナリスト、学者で、1988年(昭和63年)に没している。2022年にベストセラーの復刻版として出版をされている

独特な感性で、文章修業を語っている

気になったのは、以下です。

・自分の読んでいる文章に好き嫌いがあるかどうか、あれば、上達の見込みがあり、気にならなければ、上達の見込みはない

・修業というものは、はじめは、みな、だれかの真似をするものなのです

・戦前の文語体から、戦後の口語体へ、美文からの解放とともに、レトリックという大切なものが失われた

・書くことに先立って、読むことがある。当然ながら、読んでおかねば、書くことはできない

・新聞記者の真似はするな。なぜなら、主体性のない、主観のない文章だから。文章をかくからには、自分の意見、自分の主観を主張すべし

・使わなくてもよい、強い表現は避けること

・文章の修業は短文から

・なるべく、「が」の少ない文章を書く

・何を書くが、先にあって、文章の工夫も生まれる

・文章は一種の建築物である、そのためには、設計図がなければならない

・文章は、思い付き、アイデアの鎖、思い付きを温めて、文章にする

・芸人は、短い時間で人をひきつけ、商売にする、文章も同様、芸である。そのためには、是が非でも、芸を磨かなければならない

・日本人たるもの、文章の簡潔という美徳をわすれてはならない

・話すにあたって、一つでも、人の心に残ったら儲けもの

目次
まえがき
1 文章らしい文章とは何か
2 良い文章を書くための方法
3 日本語を知るための方法
4 話し、聞くための方法
5 読み、考えるための方法
解説 斎藤美奈子

ISBN:9784122071810
出版社:中央公論新社
判型:文庫
ページ数:240ページ
定価:820円(本体)
発売日:2022年02月25日初版発行

0
2025年04月22日

Posted by ブクログ

 言葉なしでは何も考えることはできない。それほどまでに大事な事柄であるにも関わらず、言葉を真剣に学ぼうと思いはじめたのは、背伸びをしてみてもここ数年がいいところである。過去を悔いても仕方がないので、せめてこれからは怠ることなく歩みを進めていきたい。まずは「文章」と「読書」をテーマに扱っている書籍を濫読しようと思う。

 本書に登場する文章執筆についての記述を以下に要約する。こうして書き続けている記録の一つひとつが、今の自分にとっての「小高い地点」である。

 人生というのは、山を登って行くようなものだ。その途中で、或る小高い地点に達することがある。俄に展望が開け、自分が辛くも渡ることのできた川や、漸く抜け出した暗い谷が、眼下に見えて来る。道はまだ遠い。しかし、自分が辿って来た道を振返っているうちに、過去のいろいろな事柄の意味が心に浮んで来る。そういう場所である。

 ここで、過去を眺めて、いろいろな事柄の意味がただ心に浮ぶというだけでは駄目である。心に浮ぶくらいのことは、誰でも、毎日のようにあることだ。小高い地点に立った人間は、心に浮ぶものを文字によって固定させねばならない。なぜなら、それは、その時は生命を賭けた事柄でありながら、月日の経つにつれて、何時か磨滅してしまうものだからだ。それを繋ぎとめて、われとわが心に、二度と消えないように刻みつけるのには、どうしても、これを文章として書かねばならない。

 或る小高い地点に立った時、人間は、一つの考え方から他の考え方へと心が変わる、転向のチャンスを持つ。私たちが読書や思索に苦労するのは、転向するためである。そのきっかけは、一冊の本でも、何気ない他人の一言でもよい。もとより、これらの書物や事件そのものに特別な魔力が含まれているのではない。人生という山を登って来る途中で出会った無数の経験が、或る言葉や事件を機会に爆発を遂げるのだ。

 どんな人でも、一生に何度か、こういう地点に立つ。その時は、誰でもそれに気がつく。しかし、多くの場合、やがて、それは忘れられてしまう。その瞬間に、自らの経験をキチンとした文章に書くか書かないか、それが、人間が本当に成長するか成長しないか、真実の意味で自分を大切にするか大切にしないかの岐路なのかもしれない。

0
2022年08月18日

Posted by ブクログ

ずいぶん久しぶりの清水幾太郎。IT時代よりも遥かに以前の指南ではあっても、古びていないところもある。読んでもらえる文章を書いたり、聞いてもらえるスピーチをするのであれば、普段から教養を整備しておき、十分に内容を組み立ててから、区切りとつながりを意識してやれ、とのこと。

0
2022年03月15日

Posted by ブクログ

大学の講義を聴いているような感覚。とても読みやすかった。文章は建築物と一緒。最初の骨組みが大切。あと順番も重要。家を建てるのに、初めから瓦を置いてしまったら柱が立てられない。
この本も再読必須。

0
2022年09月27日

Posted by ブクログ

普段読んでいる文章術の本とは違った。エッセイのような感覚だった。いや、エッセイというより、講義を聞いているような感じ。

自分には難しかったな。
でも、段落ごとに小見出しがあったので、読み進めやすかった。

文章に対する好き嫌いがある人は、立派な文章を書ける素質のある人。
なんでかというと、それを真似ることで、文章修行の道に入っていけるから。
好き嫌いが素質に!?ってなったけど、理由を読んで納得。
好きなものに近づきたくて、真似をすることって楽しいから、自然とたくさん修行できるのか。

表現に自由がなかったときに、制限の中で少しでも自分の意志を表すことのやりがいとかは、今は想像もできないな。。
伝えたいという気持ちが、文章を締まったものにするんだろうな。

読書日記をつけると、本の構造がわかるようになってくるというのを読んで、感想を書くモチベーションになった。
あと、今は構造とかを意識できていないのも自覚できた。。
印象に残ったフレーズを残すだけでなく、
反論してみるくらいの自分の意見を考えることで、
相手が説明している内容の構造がわかるのかも。

0
2022年09月09日

「エッセイ・紀行」ランキング