【感想・ネタバレ】法華経 上 全三冊のレビュー

あらすじ

数多い大乗仏典中「法華経」は特にその強い個性と庶民的性格によって,我が国仏教の歴史に大きな影響を及ぼし信仰の柱としてあがめられ,唱えられて来た.また,経中の美しい譬喩,巧みな説話の数々は文学・芸術の世界にも豊かなものをもたらした.本書では,漢訳・読み下しに原典の現代語訳を対置,味読の便を計っている.※この電子書籍は「固定レイアウト型」で作成されており,タブレットなど大きなディスプレイを備えた端末で読むことに適しています.また,文字だけを拡大すること,文字列のハイライト,検索,辞書の参照,引用などの機能は使用できません.

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Posted by ブクログ

この本は妙法蓮華経の原文と書き下し文、それに『サッダルマ=プンダリーカ』(正しい教えの白蓮)のサンスクリット語原典の口語訳を両ページ同時進行で読めるありがたい構成。妙法蓮華経を漢文の書き下し文で読みたいかたにはおすすめ。

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2025年11月05日

Posted by ブクログ

  とても大事なご本なので丁寧に読もうとしました。
 お上人の話では10回くらい読むということですが大変だと思います。
 お釈迦様のお説きになった最後の教えの法華経なので楽しいです。
 勉強になります。
 いい本です。

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2012年06月25日

Posted by ブクログ

究極の教えを示していると言われているが、発祥は不明。
最澄や日蓮の行動原理にふれてみたいとおもった。

一神教に似た響きを感じる。

狂信的グループが作ったもので、非難されると法難だとさらに結束を増したという。

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2015年03月06日

Posted by ブクログ

解説が良い!

法華経と日本の相関も教えてくれた☆

キーワード
聖徳太子 空海 大乗仏教 小乗仏教
かの医者 巧妙な手段

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2009年10月04日

Posted by ブクログ

いつも日本ばっかりじゃ偏ってるので、たまには比較相手になる聖典でも読んでみるかと。
しかし法華経とは言うのは奥義ではなく、どちらかと言うと宣伝物だったようで内容はイマイチ。

それでも、「インド人の列挙癖」なるものは、結構ツボだったり。
・・・「以下同文」とか「さっき言った通り」とか「それ以外」とか、うちの息子でも最近は使うぜ、みたいな(笑)
まあ、あえて列挙することで競い合っているようなので、仕方ないっちゃ仕方ないけどね。

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2009年10月04日

Posted by ブクログ

以前三輪明宏の本を読んで「法華経」を読みたいと思っていた。
そのさらに前に安岡正篤の本で、読むことを薦めていた。

口語訳を読むことが精一杯だったが、そのエッセンスは吸収できた。
と思いたい。
正直、これは!という文章はない。それはいままでの読書で知識として知ってはいたものが多い。
情報としては皮膚感覚でわかっていたこと。
それを改めて意識させるツール=古典(仏典)である。
昨今の自己啓発本のような即効性はないが、じわじわ味わい深い。

「激しい欲望の生ずることが苦悩の起源である」激しい欲望を滅するために、汝らは常に執着してはならぬ。(p205)

一切のものの本質がないこと(空)と、一切のものに差別の根拠となる形状がないこと(無相)と、一切のものは作為なく存在していること(無願)と
「さとり」の境地への入り口とは、4種の薬と見做されるべきである。(P293)

善人・悪人のいずれを問わず、、、
中程度の理知によって分別することから、独覚といわれる。「空」についての智慧が劣っていることから、声聞といわれる。(p295)

「自分自身の完全なさとりのために」如来の教誡に精を出すのが声聞と独覚であって、みずからさとりを求めるとともに、世間に対する憐れみから、
多くの人間の幸福と安楽のために「一切の衆生の完全なさとりのために」如来の教誡に精を出すのが求法者である。後者は大乗であり前者は小乗である。(p360)注より

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2009年10月04日

Posted by ブクログ

サッダルマ=プンダリーカ(正しい教えの白蓮)というのは約二千年前に成立した経典だといわれる。
舎利弗(しゃりほつ)は仏の言葉を疑い、悪魔が仏に化けて自分を惑わしているのかと疑い、仏はそれを見て「舎利弗は未来世に仏陀となる」という預言をした。
舎利弗はそれを信じて無邪気に喜んだ。
そこで仏はこれについての譬え話をした。
「長者は炎に包まれた朽ちた家にいる子供たちを救おうとして、鹿の車等の現世利益で子供達を連れ出した。」
舎利弗は本当に鹿の車等の現世利益を与えなかったとしても、その長者の行いは間違ってはいないと思った。
法華経に出てくる諸々の功徳というのは、そんなもの(現世利益という報酬)に囚われた心を救うのが目的であって、鹿の車を貰うのが目的ではない。
仏陀の称号はそれ自体現世利益であって形にすぎない、、、、、、

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2009年10月04日

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